マイ・ペン・ライ | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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最近、私はプログネタにどっぷりと浸かってしまったようだ。

本来は、ここで私の欲求不満解消の為に書いた小説を、随時載せていく予定だった。
が、今は、みんなの家に勝手に上がり込み、お茶などいただいている。

さて、プログネタだが、なかなか年寄りには手応えがありすぎるものが多い。

対象年齢を考えれば、これは当然の結果だろう。
しかし、世の中には、変わり者もいる。年不相応な話題に、果敢に(無謀にも、場をわきまえず、という言い方もある)挑む輩もいる。
私は、そんな傾き者の一人である。

さて、本題に入ろう。

若い子とは違うから、二次方程式や微分、積分なんていう難しいことはしないし、できない。

足し算か引き算。あるいは、実数と虚数のように、決して交わることがない。


それだけだ。
また、それが自然になってくる。


が、それも『机上の空論』かもしれない。


人間という生き物は、感情という素晴らしい、しかし、時にはひどく厄介なものを持っている。

勿論、猿や犬にも、感情のようなものはあるだろう。
が、人間ほど複雑ではない。


人から感情を除いてしまったなら、時代遅れのPCに、はるかに劣る、単なる動物でしかない。

感情があっての人である。

だからこそ、人は進化してきたのだろう。
同時に、多くの悩みもつのらせているのだろう。


恋愛も、感情があるからこそ、素晴らしく、辛い。


感情があるから、複雑な恋愛に発展したりする。



しかし、

じゃあ、そんな面倒くさい感情なんか捨てちまえ、

ということには、まずならない。


感情があるからこそ、苦しみも大きいが、喜びもまた大きいからだ。


が、人は時として、好きだからこそ会わない、という選択をする場合もある。

実際には、たいへん難しいことだ。
というのは、『好きだからこそ会わない』という理論には、多分に自分を、相手を鑑みて判断する場合が多いだろうからだ。

あるいは、会うことにより、何かしら守るべきものが崩れ去る不安がつきまとう。

それさえも超えそうな、もうひとつの自分の感情に揺すぶられ、大海を彷徨う小舟となったりする。


若い時の出会いと別れは、傷が深いが、回復も早い。
年を経るごとに、出逢いのありがたさがわかってくるし、若い時とは違った焦りに似た感情がもたげ始めるから、ある意味では、こちらの方が重症かもしれない。




しかし、短い人生と感じられるような年になってくると、そこまで恋愛に、好きだという高ぶりを、なかなか継続できない。

せいぜい、薄靄の世界を旅するくらいだ。

少なくとも私は、そんな風になってきている。

だからこそ、熱い思いをたぎらせ、悩み、悶える人は、ある意味で驚き、また、尊敬に近いものを感じてしまう。







話は飛ぶが、タイ語に、
マイ・ペン・ライ
という言葉がある。



気にするなよ、に近い意味だが、

くよくよするな、なんとかなるさ


のようなニュアンスもあるように思える。


ケ・セラ・セラあるいは、マニアーナみたい雰囲気があると感じる。



マイ・ペン・ライ

私の好きな言葉だ。






マア、ゲンジツハ ナカナカ ウマク イキマセンケド。


とにかく、


マイ・ペン・ライ