
正月かあ。
新しい年の幕開け。
新たなる決意。
振り返らず、希望に燃えるべき時だ。
しかし、実際には年末疲れで、グニャリとしていることが多くなってしまった。
実に情けなく、申し訳ないことである。
ならば、せいぜい妄想の世界にでもつかり、正月旅行でもしてみようかい。
正月に海外というのも悪くはない。
夜中になっても30度のシンガポール。街路樹が、たわむほどにちりばめられたオーチャード・ロードのイルミネーションを、ガンガンに冷えたホテルで、毛皮のコート着こんで生ビールを飲む、というのも、結構おつなものかも知れない。
が、最近は、日本で正月を迎えることのほうが、はるかに嬉しい。
一番嬉しいのは、ほりコタツにかたまでつかり、ちゃんちゃんこでもはおって、みかんの皮をむく。
そんな正月も悪くない。
でも、それじゃ、あんまりにも年寄りじみている(まあ、年寄りざんすが)。
で、ここで妄想の世界に入ろう。
新しい年。
何かを願い、何かに感謝するなら、いろんな神社でも回ってみよう。
神様わからぬ不届き者の私だが、それゆえ神様にお会いしたいんですね。
どうも信心深い方には申し訳ないですが、心理的な神様や、神様に近い人は存在を理解できるのですが、普通に言う“神様”と言うのが、未だわからないのです。
さて、神社巡り。
まずは、宇佐神宮ですかね。
私の出た高校は、一時京都には入れない事情があって、修学旅行は北九州だった。
島原、熊本城、耶馬渓、別府、そして宇佐神宮がメインポイントだった。
当時は、何ら知識も感慨もなく、何でこんな寂びれた場所ばかり回るのか、くらいしか感じなかった。
今は、違う。
日本の歴史における、宇佐神宮の重要さを知ったからだ。
オーバーな表現と思われるだろうが、現在日本があるのは、宇佐神宮のおかげ、ということもできる。
次は、出雲大社かなあ。
縁結びの神様として定着した感のある、出雲大社。
この建築物は、かつて、“雲太・和二・京三”という言葉があったように、日本一高い建物だった。
注:雲太・・・とは
出雲大社が太郎(一番)で、大和の東大寺が二番目、京の御所が三番目、という意味
出雲大社は、日本一どころか、世界一高い建物であった可能性が、極めて高い。
が、この社自身の不思議さから比べれば、そんなことはたいしたことではない。
この社が存在している、ということ自体が、世界七不思議に入れてもよいようなことなのだ。
この辺の理由については、井沢元彦氏の著書『逆転の日本史』に詳しいので、割愛する。
わかり易い例えをするなら、韓国のプサンか中国の大連あたりに、『大日本帝国、万歳』とでも書いた、高さ100mの石碑を建てるようなものだ。
つまり、あり得ない話なのである。
出雲大社に関しては、個人的にも忘れられない思い出がある。
観光ガイドには、いくらかの心付けを払えば、内宮を回ることができる、とあったから、早速受付のような所で申し出た。
が、私の顔を見て「信者の方ですか?」
と聞いてきた。
信者って何だ?と思ったが、特にこれといった宗教に入っているわけでもないので、「いいえ」と答える。
と、出雲某教以外入れない、ときた。
私は、どうしても諦めがきかない。
しばらく、押し問答が続く。
(女性に関しては、あっさりなのに、こういうことは粘っこい)
で、私はこう言った。
「僕の名前は、母の夢に出た(ここまでは、昔から聞かされていた)、こちらの神様からいただいたものです(これは、真っ赤なウソ)」
そう言って、受付に記帳する。
若い出仕は、いささか慌てて、席を離れた。
年配の方が現れ、ふむ、とうなずく。
あとは、丁重な扱いで出仕とともに内宮を案内していただいた。
誰でも内宮に入れるような記述をした、観光ガイドに誤りがあったのだろうか。
いや、むしろ髭モジャモジャの不審な若者を断る方便だったろう。
確かに、私の名前は、出雲の主の別名に近いが、それを言うなら、むしろ猿田彦の別名に、より近い。
しかし、名だたる神様にウソついてまで近づいてしまった。
ずいぶん、罰あたりなことだ。
が、寛大な出雲の社の主は、笑って許してくれるだろう。
出雲大社の後は、近江、多賀神社。あまり知られていない、この神社も謎が多い。
やはり、日本の成り立ちを考える上ではずせまい。
次に伊勢神宮。
若い時、先に述べた出雲大社の翌々日、ここを訪ねたが、外宮しか見ていない。
最近、外宮の重要さがわかってきたが、次回は内宮も見たいものだ。
ついでに、諏訪にも行こう。
日本では珍しい反逆児である、この社の神様の空気にも触れたい気がする。
ところで、これら社で祭られている神様を一度に集めると、普通に考えると大喧嘩になる。
が、互いに酒は酌み交わすことはなくても、争いは起こらないだろう。
日本は、神様もミラクル・ワールドにおわします。