
こんな危険な質問が、あっていいのかなあ。
恐い!
こんな危険、恐い質問は、初めてだぞ。
いいか、しま爺ワナにはまるなよ!
そんな声が聞こえてきそうなほど、こわーい、危険な問いなのだ。
いいか、いままでこの手の問いに、何人の人たちが泣かされておる。
よくあるパターンが、富、つまり金じゃな。
これを言ったらどうなるか、幼稚園児でも答えられる。
愛のない殺伐とした生活が待っているわけだ。
恋人に、妻に、夫、友に裏切られ、一人寂しい毎日を過ごす、と相場が決まっているわい。
だからといってな、童話にあるように『愛こそすべて』というのも、いささか現実味に欠けるぞ。
いいか、若いうちなら、それでも少しの期間なんとかなるが、子どもができるじゃろ。
そうすると、急にあと少し綺麗な服着せてやりたいとか、都会だと隣の誰ちゃんは私立に行くとか、その為には『ゆとり教育』なんていう、名前はいいが、中味はアホな日本人を増殖させる義務教育じゃダメだから、塾にも通わなくてはとか、とにかく金がないとどうにもならなくなってくるわけだ。
子どもがいなくとも、毎日納豆と葉っぱ一枚入っていない味噌汁では、結局イライラがつのって夫婦間は、冷えていってしまうことが多いわな。
まあ、若い理想に燃えるもんにとっちゃ禁句だが、『金の切れ目が、縁の切れ目』ということは、大なり小なりあるんじゃよ。
世間体みたいものもあろうしな。
それからな、間違っても『自由』とか言ってはいけないぞ。
そんなものを望んだ日には、ゴビ砂漠の真ん中あたりにおいてきぼりにされるからな。
人っこ一人いない町にいたとしようか。
食べ物もふんだんにある。ゲームもカラオケもしほうだい。
でも、それじゃ、結局自分が何をしているのかわからなくなってくる。むなしくなるだけよ。
いいか、よく覚えておけよ。
『自由』というものはな、それに値する義務と責任があって、初めて『自由』なんじゃ。
何もしないことが『自由』ではないのだぞ。
じゃあ、ワシの場合、何がなくなったら困るって?
そりゃ、あんた決まっとるじゃろ。
いやあ、ある程度念鬼の入った、
いや、年金の入った。
あれっ?
なんか漢字変換が、上手くいかないぞ。
ネンキの入った夫婦にゃ、決まり言葉がある。
そんなん、敢えて言わせんといてな。
そんなこと口に出したら、京から園部へ抜ける路、あそこ、何ていったかな。
切り立った影の仲を、
いや、
切り立った崖の中を、川が流れとって紅葉が綺麗なとこあったな。
そこをめいっこに手を引かれて歩く夢がなくなるわい。
?
そういうことじゃ。
夢、
これも
なくなったら、困るわいな。