そりゃ、やっぱり | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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そりゃ、やっぱり生まれ育った田舎でしょうね。


夕飯にありつくため、零下30度のアルプスの麓の町を鼻水氷柱(つらら)にして歩けたのも、日本人など見ることもない開国間もない上海・黄浦江(ホワンプージャン)向こうの工場での洗面器飯の毎日を我慢できたのも、はたまた、ここ1000年ぐらいに限って言えば、外国人として、おそらく唯一、大嘗祭の行われる祭殿に極めて近づかれた王女のお母様であらせらるるお方(つまりは女王。政治、注目度においては、今回の世界株安の影響でも話題になられていらっしゃる方には及ばないが、国民の尊敬度という観点では、夫であらせらるる神レベルの国王と同様、肩を並べられるお方は、今の世界には、まずいらっしゃらないだろう)の来日時、歩いて三歩、五歩の距離でお話を聞かせていただいた時も、感涙に震え、2時間の間涙が止まらないわが妹(いも)に比して、その常人にはない輝き、言葉はほとんど理解できなくとも、内側から湧き出てくる“たおやかなる力”には、感激以上の何かを感じたりできた余裕があったのも、すべて“ど田舎”で育ったからでしょう。


田舎に住む人間には、マムシに噛まれることは恐怖ですが、不確実性理論によってブラックホール周縁で反物質が生成し、ブラックホールが消滅しようが、太陽風が秒速600kmを超えようが、恐怖を実感できないのです。



同じように、桁違いなものに対しては、動じない。


いや、正確に言うと、それを理解し、震えるばかりの感動を味わう能力がないのです。


早い話が、鈍感なのですね。


その一方で、千代女ではないが、

『朝顔につるべとられてもらひ水』
的な感覚は強いようですよ。


だから、キラッとしたところのある人や、美しいと思ったものは、何でも記憶に残ったし(今は忘れるばかり、ウェーン)、好きになってしまう(この能力?は、まだ残っている)のです。


例えば、アメブロの記事や写真を見ただけで、本人には全く会ったことも、話したこともないのに好きになってしまう。


はたから見たら、どう見たって、色ボケしているヒヒじじいである。


でも、しま爺としては、そんな自分も、好きになれたこの頃でおじゃりまする。




あらっ!

そうそう、これは自分に最も影響を与えた土地の話でしたよね。


それじゃ、わが愛すべき田舎自慢でもしちゃいますか。
びっくりして、ペタ忘れちゃうかも。





とにかく、わたしゃ、今考えると、びっくりを通りこすような土地に生まれ育ったんだなあ、とつくづく思うのです。
(そう考えられるようになったのは、いろいろ知った比較的最近ですが)




昭和五十年ぐらいまでなら、どこの小学校にでもあった二宮金次郎像。この人が寝泊まりしていたあばら家(今は公園になり、きれいに改築されている)は、子どもたちの度胸だめしをする“オバケ屋敷”でした。
そういうわけで、二宮金次郎というのは、地元の名士か何かで小学校に銅像があるのだろう、と思っていました。
高校生ぐらいになり、全国的な方だったと知り驚いたのなんの。


親鸞の居住していた関東の拠点、専修寺もすぐ近くにあり、中学の社会の先生は寺の住職(この呼び方が変だったならご容赦ください)でした。


大変眉が濃く、日本人離れした目鼻立ちが印象的なお方です。
父とは昔からの友人で、ネズミの運動会が毎日開催される我が家には、よく顔をお出しになられました。


奥様は、それこそ近所に住む村一番の美人で、やはり日本人離れしたコントラストの鮮明なお方です。


小学校からの友人には、勝道上人の末裔とおぼしき者がいました。

勝道上人とは、日光を開山し、東照宮のもととなる中禅寺を建てた、と伝えられる人物です。


勝道上人の彫ったという十二神将を見たことがあります。
どう見ても鎌倉以降の作と思われますが、素晴らしい木像であることに変わりはありません。


この近くには、県の名士に名を連ね、蘇民将来の子孫として毎日日の丸掲揚をかかさぬ方(敷地は、あの山のてっぺんまで、といったレベル)や、逆にきわめてやんごとなきお方の存在国家に反対する大土地所有者(不思議なことに、開所式には、そのやんごとなきお方のご親族がいらっしゃった運動公園の所有者)がいて、桜の枝を折ってしかられたり(でも、そこのおばあちゃんは今考えると、田舎に似合わぬ品のある方でした)、言葉に出すのさえ畏れ多いお家の本流と公言憚らぬ方(中学では、私たちは強制的に坊主頭にされたが、のちに東大に合格したひとつ下の彼は、長髪を許されていた)がいたり、朝から酒かっくらって、自分の孫ぐらいの子どもと本気になって口論した人がいたりと、


まあ、玉石混交。



面白い土地に育ったもんですわ。


そんなだから、私みたいなヒネ爺になったというわけじゃあ、ありませんぞ。



田舎もんは、そう簡単には曲がりませんよ。


いやあ、ずいぶん長くなっちゃいました。


わが愛すべき田舎には、まだまだいろんな“不思議発見”があります。
蘇民将来のようにマイナーではなく、皆さんご存じの名前を、いっぱい出すことができます。


しかし、今日のところは、このへんで・・・。