
よくぞ聞いてくださいました。
ありますとも、
ありますとも。
美しいもの、感動させられたものなら、すべて好きになってしまう私に、ないはずがありません。
それは、やっぱりずーっと昔の話です。
出張の時立ち寄った、あるイタリアレストランでのことです。
その町は、氷河に削りとられたU字型の、湖水の多い盆地の中にありました。
真冬には、日中でも零下20度という、日本ならさしずめ旭川のようなところです。
木々が一斉に氷の花を付け、稀に低い太陽が顔を出すと、それらがダイアモンドをちりばめたように輝きだします。
そるは、まるでおとぎ話の、氷の国のような風景です。
その店は、町最大のショッピング・モールの中にありました。
ですから、レストランとは言っても、同伴ではないと片身の狭い思いをすることも、正装する必要もない店、日本ならデパートのレストランか、ファミレスといったところです。
スパゲッティが好きなので、私は何ヵ所かある店の中で、真っ先にそのイタリアレストランへ行ったわけです。
と、
私はそこで、一瞬固まりました。
モスグリーンの憂いある目をした美女が、
やや上目遣いに、
少し流し目がちに、
ずっと私を見つめているではありませんか。
私は、心底参っちゃいました。
それは、ボッテチェリのビーナスと同じ、倦怠感と哀愁を帯びた、“ビーナスの誕生”という題名にふさわしくない、不思議で身震いするほど魅力的な瞳だったからです。
哲学は嫌いでしたが、兄弟分の美学は好きでしたし、そもそも絵そのものが好きでした。
ボッテチェリは、技術的にはダ・ヴィンチとは比較になりません。
しかし、その構図、不思議な目の感覚は好きです。
特にビーナスの瞳は、ダ・ヴィンチの“岩窟の聖母”やモジリアーニの描く女の子とならび、私が最も好きな目をした女(この表現は、キリスト教の方には失礼やも知れませんが)の絵です。
しかし、
まさか、あんな目をした人が本当にいるはずがない、と小さい頃から思っていたのです。
が、
今、目の前に、あのビーナスと瓜二つの目をした美女が、
私を
ずーっと、
あの気だるい目で
見つめているではありませんか。
私は、彼女に本当に一目惚れし、
そのモスグリーンの瞳は、私の脳ミソのずっと奥の方に格納され、ちょいとやそいとでは、忘れようもありません。
彼女は、この世に現れた私のビーナスです。
追記
あの時、その美女が気だるそうに私を見ていたのは、あまりにオーダーするのが遅いため、
半ばあきれて、
半ば抗議の意味を含めて、
のものだったのかも知れません。
そういえば、流し目というより、横にらみだった気も・・・。