
大学での専攻(なんていえるような勉強してませんでしたが)も、社会人になってからも、全く関係のない分野を歩いてきましたが、おそらく私には植物分類学者が最も適切で、たぶんその能力もあったと思っています。
小学6年生のとき、踏み跡に生える植物群落の研究をしたことがあります。
とりあえず、郡の研究発表会にまでは進みました。
これはひょっとしたら、そこそこの大学の卒論レベルだったかも知れません。
たまたま居合わせた、東大の先生(教授かどうかは不明)の目にはとまったようですが、最終的に県大会への参加は出来ませんでした。
今思うと、言葉は悪いかも知れませんが、小学校の先生や郡の教育委員会の方々には、いささかレベルが高かったのかも知れません。
だいたい、なぜ植物採集ではなく、群落調査なのか、また、なぜ○○村の植物ではなく、踏み跡植生調査なのかが、理解できなかったのではないでしょうか。
事実、東大の先生の待つ部屋に案内してくれた(結局、不在であり会えなかった)先生が、ボソリこう言ったのです。
「踏み跡とかじゃなかくて、○○村とかだったらねえ・・・」
しかし、私は知ってます。
仮に希望通りの内容であったとしても、おそらくあの場にいた方々には、群落分布記号の意味などちんぷんかんぷんであったろうことを。
もう、私の植物や植生、分類に関する知識はほとんど失われ、特に植物名は、当時の1%くらいになってしまいました。
占い師にも、もうなりようがありません。
二十歳くらいまではあった、私のかなり特殊な能力(自分では当たり前と思っていたのですが、大人になって、どうも普通の人は持っていないと分かりました。私が、八百万の神さまを信じ、因習の残る田舎に育ったことはラッキーです。みんなから一目おかれたりしていました。もし都会だったなら気味悪がられ、陰湿ないじめにあっていたかも知れません)は、世の中の淀みを知り、滅法魅力的な大学のお嬢様たちに興味を持ったとたん、100%完璧なまでに失われたからです。
でも、これはこれで良かったのです。
年をとってまであんな能力があったなら、あまりのやるせなさに、生をはかなくしてしまうか、山奥に隠遁生活でもするしかなかったでしょうからね。