
若い頃の私の顔は、最小公倍数的な顔だったのかも知れない。
というのは、初めて訪れた先々で
「あらっ?以前お会いましたよね
。どこでしたかしら」
こんな言葉を聞くのは日常茶飯事だった。
その超標準的な顔のおかげで、北海道をリュックサックと寝袋、わずかな小遣いだけで旅した学生時代には、ただで民宿にお世話になり、暖かいもてなしを受けたこともある。
礼文島香深、北の宿さま、その節はお世話になりました。
稚内駅前にある小美術館のようなラーメン屋さん。素晴らしい利尻富士の絵、ありがとう。
知床で釣った魚をくれた人、ありがとう。
ウトロでマイタケのシロ教えてくれた人、ありがとう。
実は海外でも、同じようなことが幾度もあった。
フランスでは
「アラン・ドロンに似てるわ」
なんて、言われたこともある。
そう言ったマダム(とは言っても、私と同年代)は、相当な美人で、英語、ドイツ語も堪能だったから、フランス語がほとんど話せない私は、大いに助けられた。
彼女がパリにいた頃は、ドロン馴染みの花屋で働いていたらしい。
彼女の主人は、日本人には理解できない寛容な人物で、
「あいつの為に、夕飯付き合ってやってくれ」
とか、
「一緒に映画に行ってくれ」
と、全く断る理由のない嬉しい依頼をしたものだ(彼はフランス語以外はほとんど話せなかったから、お互い身振り、手振りを交えての会話ではあったが)。
私はフランス、アイン地方(ワールドサッカーフランス大会のとき、日本人選手団が宿営したエクセ・レ・バンやローマの恋人オードリー・ヘプバーンの老年期のスイスの住み家、食の都リヨン、スキーのメッカ、シャモニーにも近いフランス東部地方)に着くと、真っ先に彼女の経営する丘の上のホテルを訪れたものだ。
さて、かつては地元で彼を身近で見ている人から、アラン・ドロンに似ている、と言われた私だか、
最近は、
私の許可なしに、
勝手に
髪の毛が抜けていき、
ユル・ブリナー
になる日も、
もう、すぐそこまで
来 て い る 。