
西洋のおばけも、日本のおばけも怖いには違いないでしょうが、その怖さの意味合いが大きく違うように思います。
これを説明するには、少々長くなるかも知れませんが、聞いてください。
西洋のほとんどの国は、隣の国と地続きになっています。
国境というものがあり、そこまでが一応国の統治が及ぶ範囲という建前が機能し始めたのは、ごく最近ですし、今でさえ西洋の国々の各地では小競り合いが絶えません。
また、北欧や内陸部などは、元来狩猟民族です。
このような環境にあっては、自然は敵であり、それを開拓することが大きな課題だったことでしょう。
この考えを発展させると、おばけも西洋では明らかな敵であり、わずかな例外を除いて、必ずや打ち倒されなければならない存在であるようです。
もちろん、これには、キリスト教という一神教も大きく関わっていることでしょう。
西洋における“おばけ”が、怪物であることが多いのは、皆さんご存知のはずです。
一方、農耕民族、かつ海という自然の国境に守られた日本人は、自然を友とし、日々の生活のみならず、己の人生もまた自然の一つという捉え方をしてきました。
おばけにも同じことが言えます。
どんな狂暴そうな獣のおばけにしろ、江戸時代あたりからさかんになってきた、足のないお岩さんのような人が化けて出たものにしろ、ある意味ではおばけに同情的であり、身近な存在であることが多いと思います。
こう考えてくると、西洋のおばけは物理的、表面的な怖さであると感じます。
これに対し、日本のおばけは情念、心理的な怖さを持つと言ってよいでしょう。
物理的なおばけは、退治すれば怖さがなくなります。
しかし、情念から生まれたおばけは、じわりしみ込み一掃されません。
日本人の多く(若い方はいざしらず)は、日本のおばけに、より怖さを感じるのではないでしょうか。