似たことがあるもんだ | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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世間を少しばかり斜めから見てしまうしま爺さんの短編小説や随筆集などなど
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私がプログなるものを始めて、もうすぐ1ヶ月になる。
初めの1、2週間はとにかく書く(打ち込む)ことに必死で、周りを見る余裕など全くといっていいほどなかった。


だいたい、このプログは客観的に見ると、欲求不満の捌け口としての感がある。


さらに、休みの日など散歩がてら身近な動植物の写真を撮る場合などを除けば、通勤電車の中で携帯をパチパチやっている。

パソコンならそこそこのスピードで書き込みもできるが、どうも携帯というのはよろしくない。
また、書き込みミスにも気づきにくい。

発信後の修正などザラである。

まあ、これを始めた一つの大きな理由に、大嫌いな満員電車通勤をいかに忘れるようにするか、いかに時間を有効に使ってフラストレーションを解消するか、ということがあるから、携帯への書き込みの煩わしさは、やむを得ないのだろう。


とにかく今は、通勤時間がひどく短く感じられるようになったから、プログ書き込みは非常に効果的だ、と言えるだろう。


しかし、満員電車の中で白髪(薄髪)の爺さんが、目を三角にしながら怪しい(妖しい)文章を打ち込んでいる姿は、一種異様なものがあるにちがいない。


現に今も、時折斜めの視線を感じたりするが、これは自意識過剰であろうか。




さて、プログを始め約1ヶ月ということを述べたが、最近、やっと皆様の文章を読み、考えられるようになってきた。


インターネットという仮想社会ながらも、よくペタる人などは、その文章や写真を見ているだけなのに、何故かごく身近に感じられたりする。

推理小説が好きだった若い頃、情報化時代に起こり得る、仮想現実社会の危険性を危惧したことがある。

が、どうも私自身が、そのトラップにはまり込んでしまったようた。



しかし、なんですねぇ。


世の中に、なんと自分に似た人たちの多いことか。


ある人は、たまたま連れ合いが居ない夜、飲み慣れない酒を飲みながら、流れてくる曲に早世した友を思いだし袖を濡らし、またある人は、自分の文章の下手さ加減を嘆き(少なくとも私などは、上手いと感じる文章なのだが)、他の人のように皆を癒せるようになりたい、と言う。


老若男女問わず、似た経験、思いがあるもんだ、と改めて思うしだいだ。



おっと、私がたいそう苦手とする時間が終わりそうだ。



まだ、書きたいことはたくさんあるが、これ以上続けると、昨日のように乗り越ししてしまう。





尻切れトンボながら、では、では。