ある日の K.M氏 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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M.K氏とは、現在四十歳以上の方なら、おそらく誰でも知ってる、という表現も誇張とは言えぬ、あの方のことである。



日本人を感動させた愛妻家から、米国を巻き込んだ大疑惑事件へとなった・・・・・・。


と、ここまで書いてまだ首を傾げている方がいたとしたなら、おそらくあなたは当時海外に住んでいらっしゃたか、浮き世のことには立ち入らない学者、俗世を離れた神父様、または、般若湯や牡丹など口にしない本物の僧侶さまくらいなものであろう。



彼とは、個人的なつながりがあったわけではない。

たまたまある時、海外のレストランで隣合わせただけである。



それは、


二十五、六年前のことではなかろうか。


シンガポールのメインストリート、オーチャードロードのはずれ、大統領官邸の目と鼻の先に、この国で最も人気があり、また優良な経営でも知られていた『ヤオハン』があった。


ヤオハンと言っても、若い方はご存知ないかもしれない。

東海地方の八百屋から始めて、一代にして東南アジアでは最も成功した百貨店である。


上海に世界最大級のショッピングモールを建てるあたりまでは、早くから海外進出をしていた伊勢丹などを上回る勢いだった。




特にシンガポールでヤオハンといえは、たいへん視聴率の高いクイズ番組(日本で昔人気があった『目方でドン』の二番煎じ)のスポンサーとして、工場で働く工員数百人を、チャーターした飛行機で海外旅行に連れて行った玩具メーカーと並び、日系企業の中での知名度は群を抜いていた。




その日、私は同期入社ではあるが、シンガポール駐在に関しては先輩でもあるYと、ヤオハンのテラスレストランで食事をしていた。


と、急に隣のテーブルが騒がしくなった。

当時は最新モデルだった、文庫本サイズのラジカセから、インド民謡のような曲が流れてきたからである。


ラジカセの主は、痩せ形でやや神経質そうに見えた。
が、男はそのラジカセの音に負けないくらいの声で、向い側の女性に熱心に曲の説明やら、シンガポールの風物やらについて話しかけている。


私の席からでは、女性の長い髪の毛と背中しか見えない。

しかし、かなり美人であるように思われた。


男は早口で、次々と話題を変えいったが、女性の方は、かすかな笑い声以外、ほとんど口を開かなかったような気がする。



聞き耳をたてていたわけではないが、男は私たちの存在など目に入らないくらいの声で話していたから、いやがおうにも話が耳入ってきてしまうのであった。



コロコロ話題を変え、よく話す人だなあ。


それが男の印象だった。


実は、私にはそれ以上に何か引っ掛かるものがあって、男の顔をチラチラと覗いていた。


中座したYが、少し歩みをゆるめて戻ってくると小声で言った。



「隣の人、タレントじゃないかな」


私が疑問に思っていたことをYが口にした。


男をどこかで見た記憶はある。
しかし、、結局二人とも、その男が『彼』であることは、まだその時はわからなかったのである。
「多分、なんかのチョイ役で出た三流役者だろう」
ということになった。



瀕死の重症をおった妻を、軍用機という特殊手段で母国に運ばせた美談の主は、その数年後の疑惑報道の時ほどには、彼の顔を一流にはしていなかったからだ。


よくしゃべる男の早口を背に、私たちは席を立った。






彼が、世間で報道されたような天使の仮面をかぶった悪魔のような人間であったかどうかは、わからない。





男がこの世を去ってしまったから、真実を知る者は、ほとんどいなくなってしまっただろう。




彼が噂通りの人間だったなら、悪い奴以外の何者でもない。



私も正直、男にどこか不自然なもの、不可解なものを感じてはいる。




ただし、彼をかばうわけではないが、報道被害というものは確かある。



このプログの最初にも書いたが、誤った報道で人生が大きくくるてしまった人も、少なくはないだろう。






情報化時代と言われて久しいが、情報があふれかえる今、情報の取捨選択は当然だが、情報とは『つくられ』る場合もある、いや、政治がらみの場合などには、その割合は決して少なくはない、ということも頭の片隅に置いておくべきではないだろうか。






★クルンテープお休みして、ごめんなさい。

次回はクルンテープ最終回予定なのですが、どうも、筆が・・・・・・。

週末までには、なんとか   。