
オクタビアヌス率いる二百あまりの軍船が、ゆっくりと左旋回をはじめた。それに合わせて、アントニウス・クレオパトラ連合軍二百六十三隻も、左旋回をはじめる。
しばらくは、鬼ごっこのような状態が続いた。
と、連合軍の先頭を走る軍船が、アクチウム岬を背にしたときである。それまで連合軍から逃げるようにしていたローマ・オクタビアヌスの軍船が、急に右旋回し舳先を連合軍の方へと向けたのだ。それでもまだ、アントニウスは事態の急変に無頓着で、後ろをついてくるクレオパトラの船に見入っている。陸の戦いで兵力が半減したとはいえ、軍船の数も大きさもローマ軍をしのいでいる。が、その大きさゆえに小回りがきかぬ弱点に、アントニウスはまだ気づいていないのだ。
敵は夕暮れの中、黄金色の光を背に受けこちらに向かってくる。事態を察した船内が騒然となった。弓を引こうにも、光のカーテンの中をくねるように進んでくる敵船に的を絞れない。その見えぬ光の中から火玉が矢継ぎ早に飛んでくる。みるみる連合軍が、煙とともにアクチウムの海に沈んでいった。
その様子を見ていたクレオパトラは、静かに右手を上げゆっくりと、しかし、機会的とも感じられるかたい動きで、その手を東に向けた。
「われらがラーとホルス、オシリスの神々の見守る地へ」
女王に付き添い残った、切っ先の長い六十隻のエジプト軍船は、栄光の故郷アレキサンドリアを目指して船足を早めていく。その女王軍を一隻の大型軍船が追ってくるのが見えた。
『敵』と、エジプト人たちは口元を引き締めた。
が、その船から「待ってくれ、クレオパトラ」と、火合図が発せられた。
「ああ、アントニウス」
クレオパトラはため息し、その船に背を向けた。総大将が戦列を離れ逃げだしたのだ。