平和な国と改めて思う | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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番組を見たわけではないが、8月6日には東京で、9月13日には岡崎で大地震が起こる、との予言があったらしい。
インターネットで調べると、確かに、ブラジルの何某氏の将来起こるという大災害が載っている。

実は私も、ごくわずかながらこの大地震騒動に関わっていた。ただし、その地震パニックを鎮める側としてである。

おそらく大多数の方は彼の予言なるものを、テレビ局のエンターテイメント、あるいは話題がなくなった時の切り札として見ていたか、そんな話があったことさえ知らなかったのではないだろうか。私もある地震関連サイトに首を突っ込んでいなかったなら、全く知らずに寝苦しい夏の夜にのみ悶々としていたにちがいない。

さて、私が首を突っ込み、ミイラとりがミイラになりかけたそのサイトは、無料サイトのうえ登録なども必要がないことなどから、全く地震の知識がないと思われる方から、独自に長年研究されていると思われる方まで、実にバラエティーにとんでいる。

最近やっと落ち着いてきたようだが、こうした根拠のない話に右往左往するのをみる度に思うことがある。日本はなんて平和なんだろうかと。
世界の多く国々、地域では、その日の食べ物、その日の水をいかに手に入れるかが最大の問題だろう。いつくるかも知れない天災のことなどに気を揉む余裕などないのだ。ましてや、パソコンや携帯電話を使い、不安を煽って楽しんむなど想像すらできないだろう。

日本では政治を批判しても拘留されることもなければ、あらぬ噂を立ててもお咎めなしが普通だ。
キリスト教にしろ、イスラム教にしろ、あるいはユダヤ教にしろ、およそ一神教世界の国などでは『予言』はまかりならぬし、『預言』をひろめるにもそれなりの決まりがあるに相違ない。

今、少なからぬ日本人は、個人主義と利己主義、自由主義と無責任主義を混同しているのではないだろうか。
自由の持つ重み、自らとるべき責任をないがしろにしてはいまいか。

日本は、長い間実に平和だ。しかし、こんなへんてこな自由が許されると、やがてどうしようもないしっぺ返しがくるのでは、と感じるのはジジイだけの杞憂であろうか。