不正競争防止法2条1項1号の裁判例をよむ

個人的興味からのランダムピックアップ裁判例 その84

 本日は、使用許諾関係にあった当事者の紛争事例を見ていきます。

 本裁判例は、LEX/DB(文献番号25109012)より引用。形式的な修正追加あり(「」等で明示ない箇所もあります)。

 

  奈良地裁葛城支部平7・10・9〔近畿薬品事件〕平3(ワ)1

原告 仁寿薬品㈱ 

原告 S藤S(以下「原告S」)
被告 近畿薬品四国販売㈱ 

被告 I手K則(以下「被告K」)

被告 I手N(以下「被告N」)

 

■事案の概要等 

 本件は、 当時「近畿薬品」という名称を使用して薬品配置販売業を営んでいた原告が、被告会社が原告会社から配置用医薬品を全く仕入れず、第三者から仕入れを始めたのは、原告らと被告らとの間で締結した「得意先の権利」の使用許諾契約ないし本件営業賃貸契約に違反するものであるとして、同契約に基づき被告らに対し、主位的には得意先台帳の返還、その返還後5年間医薬品配置販売業の営業禁止等を求め、予備的には不当利得に基づく損害賠償、不正競争防止法に基づき「近畿薬品」等の名称の使用中止等を求めた事案です。

 

◆原告Sの医薬品配置販売業の経緯
(1)原告Sの父親は、大正時代末期より、「大和の売薬」の名で古くから医薬品配置販売業者の拠点として有名な奈良県において、配置販売用医薬品の製造、販売業を営んでいたが、右営業は後に法人化されて訴外近畿医薬品製造株式会社(以下「近畿医薬品」という。)が設立され、その取締役の地位にあった原告Sが、近畿医薬品の実質的経営に当たるようになった」。

(2)「昭和30年頃から…配置販売用医薬品の製造業者にとって安定した顧客となる配置販売業者の確保の競争が激しくな」り、「原告Sは、昭和32年頃から近畿医薬品と取引のあった全国各地の配置販売業者のうち、資金繰りに行き詰まった業者等からその得意先を買い取ったり、直接雇用した配置販売員や拡張員を全国に派遣して得意先を開拓させるなどして、自ら実質的に医薬品配置販売業に従事」し、「事業拡大に伴い、原告Sは全国各地を幾つかの地区に分け、各地区毎にその責任者として地区長を置き、これに当該地区の配置員を指導監督させ…販売成績の報告、集金した薬代から現地で要した経費や給料及び分配金(ボーナス)を差し引いた残りを、薬の仕入代金あるいは指導料等の名目で奈良の原告Sの下に送金する等の職務を担当させるという体制を作」るなどした。
(3)「昭和47年に近畿医薬品が大阪国税局の査察を受け…原告Sと近畿医薬品の代表取締役であった訴外S兄(原告Sの兄)や父親らとの間で紛争が起」き、「兄弟間で話合いの結果、原告Sは近畿医薬品の経営から退き」…「近畿医薬品がそれまで手掛けていた医薬品の配置販売業については、原告S個人がその営業を承継し、近畿医薬品は設立当初のように専ら医薬品の製造のみを業とするようになった」。なお、その際、原告Sが配置販売する医薬品のうち近畿医薬品製造にかかるもの」は、「従来どおり近畿医薬品から仕入れる旨約束し…その後取引を巡る兄弟喧嘩をきっかけに、原告Sは近畿医薬品から薬品を仕入れなくなった」。
(4)その後原告Sは、個人として医薬品の配置販売の事業を拡大し、昭和55年頃には営業拠点が全国で18地区を数えるようになったので、昭和57年頃、全国を関東、東北、近畿、中国、四国の五ブロックに纏めてこれにブロック長を置き、以後はそれまでの地区長会議に代わりこのブロック長だけを奈良の自宅に集めて会議(ブロック長会議)開くようになった」。
 

◆四国における医薬品配置販売業の経緯
(1)被告Nは松山市で「配置販売業者であったIの配置員として、松山市及びその周辺での医薬品配置販売業に従事していたが…同人から松山市及びその周辺の得意先を譲り受け、近畿医薬品から医薬品を仕入れて配置販売業を続けていたが、資金不足等のために業績が思うように延びず、近畿医薬品に対する買掛金の支払いが遅延し、昭和32年には年間の集金実績が四〇万円にも満たないのに、累積買掛金残額が約七五万円にもなった。そこで、原告Sが被告Nに、得意先を売掛金残金の七五万円で引き取るから近畿医薬品で働くようにと勧めたところ,被告Nは自分や家族の生活が保証されることを条件にこれを承諾した」。「その後、原告Sから松山地区長に任命された被告Nは、被告会社設立までの間、近畿医薬品(原告Sが近畿医薬品の経営から身を引き、個人で配置販売業をするようになってからは原告S)の従業員として、以前と同様松山市及びその周辺において、近畿医薬品の薬の配置販売業に従事するようになった」。

…(省略)…

(5)「昭和57年頃、原告Sが全国を五ブロックに纏めたことに伴い、税務申告も各地区の地区長名義によるのをやめ、各ブロック長名義により申告することにしたが、四国ブロック…は、松山地区以外の前記各地区長であるM、H、Jらが、松山地区長である被告N名義に一本化することを嫌がったため、従前どおり四地区長名義での申告を継続…その結果、表向きは四国以外の四ブロックに四国の四地区を加えた合計八事業体が税務申告することになった。

 

◆被告会社及び原告会社設立に至る経緯
(1)昭和61年の5月か6月ころ、原告Sは大阪国税局の査察を受け……被告Nは原告Sに右追徴金の拠出を要請したが、原告Sは自らの脱税容疑への対応…等の支払いに苦慮していたため、被告Nが昭和55年6月から昭和61年6月までの間、松山地区の売上金の中から原告Sの下に送金して、地区別積立金として積み立てていた金員から一八三〇万七〇〇〇円を被告Nに送金して右追徴金の支払いに充てさせた外は右要請を拒否した。そこで、被告Nは…設立された被告会社名義で、昭和63年1月27日金七〇〇万円を愛媛相互銀行から借り入れて右追徴金の支払いに充てた」。

(2)「右税務調査をきっかけに、原告Sは、各ブロックの従業員に法人を作らせ、各ブロック法人が連携して仁寿グループを作り、その各法人に従前原告Sが営んでいた各ブロックの営業を任せるが、各ブロック法人はこれまで同様原告Sの営む前記仁寿薬舗から配置薬を仕入れ、定期的に集金高及び集金予定を報告し、人事・営業に関する重要事項については原告Sの承認を得させ」、四国ブロックは「松山地区長であった被告Kを代表取締役社長、四国ブロック長であった被告Nを取締役会長、前記のH、M及びIを取締役として被告会社が設立された」。

(3)「…原告Sは新たに設立される被告会社が原告Sの意向に反する行動を取るなどとは全く予想せず、会社は自分のものであって、株主といっても形式に過ぎないと考えていたことや、将来同原告が医薬品配置販売業等の事業経営から引退する際には、得意先を各地区長以下現地の配置員らに無償譲渡することを考えていたが、その場合自分が株主になっておれば贈与税がかかってしまうと考えたこと、昭和四七年に中国ブロックを法人化して近畿薬品中国販売株式会社を設立したときも、同様の考えから株主にならなかったことなどから、原告Sは被告会社の株式を持つことを全く考えず、株主構成、その持ち株数等の決定を被告昇や被告和則らに一任し、自らは被告会社の株主とはならなかった。そこで、被告N及び被告Kらは、被告会社の資本金を1000万円…被告Nは300万円、被告Kは250万円、被告Kの弟二人は各100万円相当の株式を引き受け…同被告らは自らの資金で右各株式引受金を払い込み、被告N及び同KらI一族で合計750万円、発行済株式総数の75パーセントを保有し、被告会社の支配権を握った」。

(4)「原告Sは昭和62年9月17日、妻のSAを代表取締役、原告S、被告K(松山地区長)、SS(関東ブロック長)、SN(東北ブロック長)らを取締役として、原告会社を設立し、これに原告Sが仁寿薬舗の名称で個人で営んでいた配置販売用医薬品卸売の営業を委ねた」。

(5)「被告会社は、その設立後も従前同様原告S(仁寿薬舗)、原告会社設立後は同会社から配置薬を仕入れ、被告Nや被告Kはそれまで同様原告Sに対し、定期的に被告会社の集金高や集金予定を報告し、ブロック長会議に出席し、人事・営業に関する重要事項について原告Sの承認を得ていた」。

 

◆本件紛争の経緯
(1)「被告会社は、原告会社設立後は、仁寿薬舗の営業を引き継いだ同社から配置販売用医薬品を仕入れていたが、原告Sは被告会社に対し、仁寿薬舗当時からのものを含めた原告会社の被告会社に対する累積売掛金…を支払うよう求め」、「原告Sは、従前各ブロック長に対し、累積買掛金を一括して支払えば、配置薬の取引を一割引にすると言っていたことから、その言を信じた被告和則らは、銀行から資金を借り入れたうえ‥‥支払った。
(2)「ところが、被告Kらの期待に反して、原告会社はその後も配置薬の仕入れ値を五分引きにしかしてくれず、そのことについて被告和則らが原告齋藤に抗議しても受け入れられ」ず、「被告Kらは原告Sに対する不信感を抱」き、「その後の同年12月中旬以降、被告会社の宇和島営業所の責任者になっていた」者らが、「得意を買い取って被告会社から独立したいとの要求を」し…被告らは「原告Sはその報復に被告会社を分裂させようとしていると考えるに至」り、「被告Kらの原告Sに対する不信感は決定的となり、被告会社は平成2年1月以降…他者から医薬品を仕入れて四国四県内の得意先への配置販売をするようになった」。
(3)「原告Sはその対策を…弁護士に相談し…残った四ブロックの会社または個人との間で契約内容を書面化する必要があるとの助言を受け…原告Sは「基本合意書」…を作成」し、四ブロック長…を原告齋藤方に集めて、右基本合意書への署名押印を求めたところ、右四名は異議なくこれを承諾した」。
(4)原告Aの依頼を受けた…弁護士は被告会社に…内容証明郵便で、右基本合意書への署名押印を求めたものの、何らの返答がなかったことから、同弁護士は…被告K及び被告会社に対し…内容証明郵便…により、原告Sの所有する得意先に関する権利の使用許諾に関する一切の約定を即時解除する旨の意思表示をした」。

 

◆主な争点
1 請求原因一の事実、すなわち、昭和62年1月当時、四国四県内においてなされていた医薬品配置販売業の営業(本件営業)の主体が原告Sであったか否か、右営業にかかる「得意先の権利」(本件得意先の権利)が原告Sのものであったか否か
2 右1の事実が認められるとして、昭和62年1月頃、原告齋藤と被告ら間において、請求原因二1(一)記載の「得意先の権利」の使用許諾契約(以下「本件得意先の権利使用許諾契約」という。)がなされたか否か
3 右1の事実が認められるとして、昭和62年1月頃、原告齋藤と被告ら間において、請求原因二2(一)記載の本件営業の賃貸契約(以下「本件営業の賃貸契約」という。)がなされたか否か
4 請求原因三の不当利得の成否
5 請求原因四の不正競争防止法に基づく主張の成否
6 請求原因五の被告和則に対する原告会社の取締役としての忠実義務違反の主張の成否

 

■当裁判所の判断

1.争点1(請求原因一の事実、すなわち、昭和62年1月当時、四国四県内においてなされていた医薬品配置販売業の営業(本件営業)の主体が原告Sであったか否か、右営業にかかる「得意先の権利」(本件得意先の権利)が原告Sのものであったか否か)について

 裁判所は認定事実等に基づき以下のように判断しました。
(1)「被告会社が設立された昭和62年1月当時、被告Nをブロック長とする四国ブロックが四国四県内において営んでいた医薬品配置販売の営業の主体が原告Sであり、四国ブロックの右得意先が原告Sのものであることは明らかである」。
 「被告らは、被告Nは昭和32年にその得意先を近畿医薬品に譲渡したものの、同被告は譲渡後も自らの営業を継続し、自らの営業と譲渡にかかる営業とを二本立てで行」い、「右譲渡後に開拓された新規得意は全て被告Nのもので、譲渡にかかる営業は時間の経過とともに全て消滅し」、「原告Sは単なる配置薬の卸元に過ぎない旨主張する」が、①「医薬品配置販売業における得意先は、毎月を経るうちに転居等の理由により消散していく宿命にあ」り、「新規に拡張した得意先はすべて被告Nに帰属するというのであれば、原告Sが買い取った得意先はどんどん減少して行く外なくなるのであるから、このような前提で原告Sが得意先を買い取ったとは到底考え難い(なお、被告らは、被告Nは近畿医薬品に対する買掛金債務の譲渡担保として、本件得意先を譲渡したとも主張するけれども、右主張は被告N自身その本人供述において、得意先は買掛金債務を帳消しにするために譲渡したものであることを認めていることに照らして採用の限りでない。…)」。②「松山地区における各年度毎の月別収支明細書…及び同地区における各年度毎の月別配置員個人成績表…のいずれにおいても、被告ら主張のように原告Sに譲渡した得意先にかかる営業と被告昇自らの営業とを区別していた形跡が全くみられないし、被告K自身右のように営業を区別して二本立で管理していたことを否定する供述をしていることに照らして、被告Nは自らの営業と原告Sへの譲渡にかかる営業とを二本立てで行っていた旨の被告らの主張は採用の限りでない」。加えて③「企業経営上の機密事項であって、これを企業経営に参画する者以外の外部者に開示することがおよそ考え難い収支明細書、配置員個人成績表等…以下の膨大な営業管理資料ないしはその作成資料となった原資料が、被告Nないし被告Kから原告Sに送付され、これらが原告Sの手中にあること」、④「被告N自身、顧客からの集金額から、被告Nの給料を含む従業員の給料、廻商及び得意先拡張に要する費用、その他の経費を差し引いた残額を原告Sに送金すればよいことになっており、資金繰りについては心配する必要がなかった旨、また、ボーナスの性格を有する分配金については原告Sがその基準を決めていた旨各自認していることや、地区長、ブロック長として、原告S方で開かれる地区長会議、ブロック長会議に出席して、原告Sから営業方針等について直接指示を受けていたこと、原告Sが被告らが営業に従事していた四国四県の得意先に関する得意帳を自由に閲覧していたこと、原告Sが「自分が引退するときは、得意は皆に渡すよ。」と言っていたのを聞いたことがあること、原告Sから送付された納品書と請求伝票の齟齬に気付かずに原告Sに怒られたことがあることを各認めていることなどに照らすと、原告Sは単なる配置薬の卸元に過ぎないとの被告らの主張が理由のないことは明白である」。

 以上の事実に加え、証人…各証言並びに原告S本人供述を総合すると、被告会社が設立された昭和62年1月当時、被告Nをブロック長とする四国ブロックが四国四県内において営んでいた医薬品配置販売の営業の主体が原告Sであり、四国ブロックの得意先が原告Sのものであるとの事実」を認定できる

 

2.争点2、3(本件得意先の権利使用許諾契約及び本件営業の賃貸契約の成否)について
 裁判所は認定事実等に基づき以下のように判断しました。

(1)「被告らは、被告会社が設立された昭和62年1月頃、原告Sと被告らの間において…本件得意先の権利使用許諾契約ないしは…本件営業の賃貸契約が、明示または黙示的に成立した旨主張する」。
(2)しかし「原告らと被告ら間の本件紛争が発生した後の平成2年1月27日に、被告Nを除く四ブロック長が署名押印して作成されたもので」、「昭和62年1月頃の本件得意先の権利使用許諾契約ないしは本件営業の賃貸契約の成立を証するに足るものではない」。「原告らと被告ら間において、本件得意先の権利使用許諾契約ないしは本件営業の賃貸契約が、文書ないし口頭による合意により明示的に成立したとの事実を認めるに足る証拠はない」。
(3)「被告会社は実質的に四国ブロックの営業を法人化したものであって、四国四県における医薬品配置販売業の営業をその存立の基礎とするものであるから、この医薬品配置販売業の営業を失えば、事実上被告会社の存続は不可能になるといえ」、「被告会社の資本金1000万円のうち、被告Nは300万円、被告Kは250万円、I出M明ら被告Kの弟二人は各100万円を自らの資金で払い込み、被告N及び同KらI一族で合計750万円、発行済株式総数の75パーセントを保有し、被告会社の支配権を握っていることからすると、被告会社設立の際、被告Nや被告Kが、原告Sとの間で…契約解除に伴う原状回復義務を負うような合意をし、その結果、合計で750万円もの自分らの資金を投入して設立した被告会社をして、その存立を危うくさせるようなことをするとは考え難い。従って、将来における得意先の権利ないしは営業の返還約束があったとは到底認め難いから、その返還約束を内容とする本件得意先の権利使用許諾契約、本件営業の賃貸契約の黙示的成立を認めることも困難である」。

「よって、本件得意先の権利使用許諾契約ないしは本件営業の賃貸契約に基づく原告らの請求は…理由がない」。

 

3.争点4(不当利得の成否)について
 そこで、裁判所は、不当利得の成否について以下のように検討し判断しました。
(1)「被告会社が設立された昭和62年1月当時、被告Nをブロック長とする四国ブロックが四国四県内において営んでいた医薬品配置販売の営業の主体は原告Sであり、四国ブロックの得意先は原告Sのものであるから、四国ブロックの営業をそのまま継続している被告会社は、原告Sの所有する四国ブロックの得意先を、それと知って使用してその営業をなすものである」。
(2)「被告会社は、その設立以来、原告会社から配置販売用医薬品を仕入れていたが、平成元年10月3日、原告会社に対する累積買掛債務金1億1507万9589円を完済し、平成2年1月1日以降、原告会社から一切の仕入れをしなくなり、他社から医薬品を仕入れて四国四県内の得意先への配置販売をするようになり、右得意先は被告会社のものである旨主張し、原告Sが右四国四県内の得意を所有している事実を争うに至っている」。

「…原告Sが、得意先の時価を大きく下回る右各金員の支払いを受けることによって、右得意先を被告会社に譲渡することを承諾していたとは到底認め難く、右累積買掛債務金の支払いによって、右得意先が原告Sから被告会社に移転したということもできない。…得意先の返還を求める原告Sの請求が認められず、原告Sは被告会社からの右得意先の返還を受け、原状を回復することは出来ないから、原告Sは、悪意の受益者である被告会社に対し、不当利得に基づき、被告会社が右得意先が原告Sの所有であることを争い、その返還が不能となった平成2年1月1日現在における右得意先の時価及びこれに対する同日以降支払い済みまで商事法定利率年六分の割合による金員の支払いを求めることができる」。(以下省略)…よって「原告Sは被告会社に対し、不当利得に基づき、…金員の支払いを求めることができる」。
 

4.争点5(不正競争防止法に基づく主張の成否)について
 原告Sは、四国四県内において、「近畿薬品」の表示は、原告Sによる医薬品配置販売業の営業または商品等の表示として周知であると主張」するところ、裁判所は、以下のように認定し判断しました。
(1)「昭和62年1月に被告会社が設立されてからは、四国四県内における医薬品配置販売業の営業主体は被告会社となったのであり、これ以降原告Sは、四国四県内において、「近畿薬品」なる営業ないし商品等の表示のもと、独自に医薬品配置販売業を営んでいないことからすると、四国四県内において、「近畿薬品」の表示が、原告Sによる医薬品配置販売業の営業または商品等の表示として周知であるとするには疑問がある。他に,同事実を認めるに足る証拠はないから…その余の事実について判断するまでもなく、不正競争防止法に基づく原告Sの請求は理由がない」。


5.争点6(被告和則に対する原告会社の取締役としての忠実義務違反の主張の成否)
(1)「被告Kが被告会社の代表取締役として、平成2年1月以降原告会社からの配置用医薬品の仕入れ中止を決定し、これを実行し」、「昭和62年9月17日の原告会社設立に際し、被告Kは原告会社の取締役に就任し」た。
(2)しかし「被告K本人供述によれば、原告会社設立の際、原告Sの強い要請で出資金を送金したものの、原告Sは一年も経たないうちにその出資金を被告Kに払い戻して」おり、「本件訴訟記録中の原告会社の商業登記簿謄本によれば、本件訴え提起時」、「被告Kは原告会社の取締役に名を連ね…原告会社においては、本件紛争発生以後も被告Kを原告会社取締役から解任する手続を取っていない」。「原告会社は、原告Sがそれまで仁寿薬舗の商号で行っていた配置用医薬品販売の営業を法人化したものであり、原告S一人がこれを事実上所有・支配し、その経営にあた」り、「被告Kは形式上原告会社取締役に名を連ねているだけの存在であった」。「原告会社は、同会社が被告会社に配置用医薬品を販売することにより、月々400万円を下らない利益を上げていたから、被告Kが原告会社からの配置用医療品の仕入れ中止を決定しこれを実行したことは、原告会社に対する忠実義務に違反する旨主張するけれども、被告Kは…被告会社の代表取締役としての地位に基づいて、原告会社からの配置用医薬品の仕入れ中止を決定しこれを実行したに過ぎ」ず、「原告会社が被告会社との取引によって利益を上げているからといって、そのことの故をもって、形式上原告会社の取締役に名を連ねているだけの存在に過ぎない被告Kに、被告会社をして原告会社との取引を継続させる義務が生ずるいわれはなく、他に、この被告Kの行為が、原告会社の取締役会の構成員としての職務遂行上の忠実義務に違反すると認めるに足る証拠はな」く、「原告会社の被告Kに対する取締役としての忠実義務違反による損害賠償の請求は理由がない」。
 

6.争点7(被告らの主張の成否)について
 (省略)


■結論
 裁判所は「原告らの主位的請求はいずれも失当であるからこれを棄却し、予備的請求1項の請求は、原告Sが被告会社に対し、金3億2500万円及びこれに対する平成二年一月一日から支払済みまで年六分の割合による金員の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、同項のその余の請求及びその余の予備的請求はいずれも失当であるからこれを棄却する」としました。

 

■BLM感想等 

 本件は、もともと、同族経営の医薬品業から独立し、原告Nの手腕によって大きくした原告会社とフランチャイズ契約のような関係のある各ブロックの販売業者で、表示主体が成り立っているような事例です。

 すなわち「近畿医薬品が大阪国税局の査察を受け…原告Sと近畿医薬品の代表取締役であった訴外S兄(原告Sの兄)や父親らとの間で紛争が起」き、「兄弟間で話合いの結果、原告Sは近畿医薬品の経営から退き」…「近畿医薬品がそれまで手掛けていた医薬品の配置販売業については、原告S個人がその営業を承継し、近畿医薬品は設立当初のように専ら医薬品の製造のみを業とするようになった」。なお、その際、原告Sが配置販売する医薬品のうち近畿医薬品製造にかかるもの」は、「従来どおり近畿医薬品から仕入れる旨約束し…その後取引を巡る兄弟喧嘩をきっかけに、原告Sは近畿医薬品から薬品を仕入れなくなった」ということですから、この時点で、大正時代より、原告Sの父親が営んでした訴外近畿医薬品製造株式会社は、原告Sとは関係解消されているといえると思います。

 そして、原告Sは、妻のSAを代表取締役、原告S、被告K(松山地区長)、SS(関東ブロック長)、SN(東北ブロック長)らを取締役として、原告会社を設立し、仁寿薬舗株式会社の名称で個人で営んでいた配置販売用医薬品卸売の営業を委ねたわけですが、原告会社と地区ブロックトン関係については、その管理を人的関係に委ねていたように思われます。関係を書面化されず、原告Sが各地区の会社の株式を持たなかった、ということで、原告会社とは独立の法人ということになってしまうということでしょうか。

 本ブログ筆者としての関心事である不正競争防止法2条1項1号について、「原告Sは、四国四県内において、「近畿薬品」の表示は、原告Sによる医薬品配置販売業の営業または商品等の表示として周知であると主張」するところ、裁判所は「昭和62年1月に被告会社が設立されてからは、四国四県内における医薬品配置販売業の営業主体は被告会社となった」とまず判断しています。そして「これ以降原告Sは、四国四県内において、「近畿薬品」なる営業ないし商品等の表示のもと、独自に医薬品配置販売業を営んでいない」とも認定され、「四国四県内において、「近畿薬品」の表示が、原告Sによる医薬品配置販売業の営業または商品等の表示として周知であるとするには疑問がある」と判断され、不正競争防止法2条1項1号の請求は認められませんでした。

 また、裁判所は、同号の争点以外の争点に関し原告会社から被告会社は独立した存在として把握し、また、被告Kは原告会社の取締役に名を連ねていたが、「被告Kは形式上原告会社取締役に名を連ねているだけの存在であった」などとし、原告会社への忠実義務違反を否定するなどして、原告会社と被告会社の関係解消を認定しています。

 不正競争防止法2条1項1号の問題として、原告と被告の間では関係解消していると判断したものと考えますが、第三者との関係では、「近畿薬品」の表示は、訴外近畿医薬品製造株式会社を連想する者もあるかもしれず、少なくとも、その親族たる者が別会社を設立して経営している組織と解される可能性があり、「四国四県内における医薬品配置販売業の営業主体は被告会社となった」と需要者は考えるか少々疑問ですが、表示主体としては、そのようになり、四国四県内で、被告会社が周知性を獲得した場合は、原告会社はこの地域では商いができなくなり、棲み分けが起こるのかもしれません。

 

By BLM

 

 

 

 

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