不正競争防止法2条1項1号の裁判例をよむ

個人的興味からのランダムピックアップ裁判例 その40

 本日も、血族関係や親子関係等が絡む関係解消事例を見ていきます。本件は、元従業員との紛争事例にも該当しそうです。また氏部分を共通にするものの、他の文字との結合で類似しないとの判断で解決を図った事例とも考えられます。

 

  新潟地判昭48・1・31〔海老葬儀店事件〕昭44(ワ)609

原告 海老K
原告 株式会社海老花や本店(代表者 海老K)
被告 有限会社海老葬儀店(代表者 高橋S)

 

■事案の概要等 

 

◆当事者等

1.原告

(1)海老Y子:海老Jは明治年代から新潟市沼垂五七三番地(現沼垂東三丁目二番一二号)で、商号「海老花屋」で、葬儀請負、生花造花の飾付および花輪の製造販売…等を営んでいたが、同人死亡により、孫の海老Y子が家督相続をし営業承継。
 

(2)原告K:Y子の養子となりY子と共に右営業に従事。その後、Y子と別居し新潟市秣川岸町で、商号「花海老商店」で、Y子と同一内容の営業を行なっていた。昭和三五年九月二八日Y子の死亡により商号相続し、Y子の同営業場所を営業所として、商号「海老花屋」を登記。その後、秣川岸町から同地(海老J及びY子の元営業所)に移り右号による営業を行なつていた。
 

(3)原告会社:昭和三八年一二月二六日原告Kがその営業を会社組織に改め商号を「株式会社海老花や本店」として設立。以上のとおりで原告会社は明治以来J・Y子・Kが「海老花屋」の商号によつて行なつていた営業の承継者。そして「海老花屋」の商号による営業は、海老J依頼100年の歴史を有し、新潟市内の葬儀業界で「海老」といえば直ちにY子が「海老花屋」の商号のもとに行っていた営業とみられるほど広く知られていた。(原告K及び原告会社がY子の営業の承継者であることは争いあり。)

 

2.被告

「有限会社海老葬儀店」:Y子の雇人・高橋Sらが、夕子の死後ほどない昭和三五年一〇月一四日に海老Yを代表者、本店をY子の営業場所(沼垂五七三番地)に設立した同一内容の営業を行なう会社。昭和三六年四月二九日に本店を沼垂三五五番地(現沼垂東一丁目八番四号)へ移転し現在に至る。

 

◆経緯(被告主張)

 「原告K夫婦は養母夕子と折合いが悪く、昭和三一年一〇月二九日Y子より土地・建物等の財産分けをして貰い、Y子に対し「私儀分家スルニツキ戴キマシタカラ今後一切ノ財産ニ対テ異議申致シマセン海老幸二郎トシテワ今後ノ権利ヲ法キ致タシマス」との誓約書…を差入れ、Y子の居住営業場所であつた沼垂五七三番地の建物を出てY子と別居し、秣川岸町において「花海老商店」なる商号のもとに夕子と同一内容の営業を夕子とは全く別個独立に開業した」。
 「ところでY子はその後原告K夫婦とは没交渉のまま雇人高橋Sらの輔けによつて「海老花屋」の営業を行つていたが、昭和三五年に至つて原告Kと離縁すべく新潟家庭裁判所に調停を申立てたが、同原告がこれに応じなかつたところから、「幸二郎には財産を渡したくない」といつて「海老花屋」の営業を会社組織に改めようとしていたところ、同年九月二八日に急死。そこで原告K除くY子の親戚一同が相寄りY子の遺志を継ぎ…営業を維持することに決め」、親戚と「Y子の雇人で「海老花屋」の営業の中心となつて働いてきた高橋Sが社員となり、海老Y吉を代表者とし昭和三五年一〇月一四日Y子の居住営業場所であつた沼垂五七三番地を本店とする被告会社を設立した。

 

 

■当裁判所の判断

Ⅰ.原告Kの請求

 裁判所は、原告Kは商号を廃止し、現在は原告会社代表者としての業務を執行しているのみで、同原告個人としては営業をしていないため、原告Kの被告会社に対する請求は理由がないとしました。

 

2.原告会社の請求
1.原・被告会社の商号の類似および営業の混同について

(1)裁判所は以下のように判断しました。(下線筆者)
 「「海老花や」と「海老葬儀店」とは共に「海老」なる会社設立者の氏と「花や」・「葬儀店」なる営業の種別を示す普通名詞との組合わせから成」り、「「海老」の部分は同一であるが、「花や」或いはY子が使用し原告Kが登記したところの「花屋」は一般の慣用としては生花もしくは造花を扱う業種を表示し、「葬儀店」は葬儀を扱う業種を表示するのであるから、たとい原・被告会社が共に葬儀と生花・造花を扱う業者であり両商号の「海老」の部分が同一であるといつても、「花屋(や)」・「葬儀店」という異なる業種表示がなされている以上その営業種目の主力に相違があるものと観念され、然も「花屋(や)」と「葬儀店」とは文字上・発音上明白に区別されるから、商号を全体として観察すれば両者の識別は極めて容易であり類似性は全くない」。

 

(2)判断基準

 「商号は本来その各構成部分が一体となつて営業を表示するものであり、特に人の氏は商号の構成部分として一般に広く使用されるものであるから、「氏」をもつて商号の主要部分としその同一をもつて商号全体が類似するというには、その「氏」による略称が営業を識別するものとして他の業者を圧倒するほど確立され周知されている場合でなければならず、単に商号構成部分の「氏」が同一であるからといつて直ちに他の部分を捨てさり商号全体が類似するということはできない」。
 

(3)本件に関する判断

 ①裁判所は、「原告会社は、その商号の主要部分は「海老」なる氏にあり、新潟市内の葬儀業界において「海老」といえば、それは原告KがY子より相続し原告会社へと承継された「海老花屋(や)」の営業を示すものとして周知性を有するから、「海老」なる氏を構成部分とする被告会社の商号は原告会社の商号に類似すると主張する」のに対し以下のように判断しました。

 そして、上記判断基準に照らし、裁判所は、「原告Kが…昭和三九年一〇月二九日Y子に対し「一切の権利を放棄する」旨の誓約書…を差入れ「海老花屋」を出たことは当事者間に争いがなく…幸二郎は秣川岸町(沼垂から約二ないし三粁離れた町内)においてY子と同一の営業を開始するに当り「海老花屋支店」なる商号を使おうとしたところ、Y子よりまぎらわしいと異議が出たため「花海老商店」としたこと、…綜合すればY子は原告Kが「海老花屋」に出入りすることを許さず爾来両者は没交渉のまま別個独立に営業を行ない、これによつて新潟市内に「海老」と称する同業者が二つ存在することになつたにも拘らず、両者間にその営業上の利益を害されるような混同は生じなかつたことが認められ、以上の事実によれば原告Kは「花海老商店」なる商号が「海老花屋」とはまぎらわしくない即ち類似がないものとして自己の商号とし、また両者の間に混同が生じなかつたのは両者が取引上「海老花屋」と「花海老商店」の商号全体によつて呼称され識別されていたからと推測されるのであり、「海老花屋」が単に「海老」と略称され「花海老商店」から識別されていたとは認め難い」。
 「してみると原告会社主張のように、新潟市内において「海老花屋」の「海老」なる部分に前記のような意味での識別力を有する確立された周知性があつたということはできないから、商号構成部分の「海老」なる部分が同一だからといつて「花屋(や)」・「葬儀店」なる部分の差異を検討・評価することなく、直ちに商号全体が類似するということはできない」。


 ②さらに、裁判所は、かつて、葬儀業者を「花屋(や)」と呼ぶ新潟市内の慣用」があったこと、しかし「需要者の間から次第に崩れ、一般の慣用どおり「花屋(や)」と「葬儀店」とを区別するようにな」り、「市内の葬儀業者もその営業を「花屋(や)」と表示するよりは直截に「葬儀店」とした方が営業上有利であると判断し、昭和四二年頃から次第にその商号中の業種表示を「花屋(や)」から「葬儀店(社)」へと変更するものが増えたことなどの事実を認めた上、「現時の新潟市内における「花屋(や)」および「葬儀店」という文字・呼称によつて表示される営業の実体、特に両者が同一または同種営業の表示として商号中に混在し、中にはこれを便宜併用する業者があることを考えれば、「花屋(や)」と「葬儀店」とは文字上・発音上明白に異なるといつても観念上は同一または同種の業種表示と解され、従つて原・被告会社の商号は「海老」のみならず「花や」、「葬儀店」の部分を附加しても尚かつ識別に困難な場合があり営業主体の混同を生ずべき類似性があるものといえよう」とも判示しました。

 しかし、裁判所は「昭和三五年当時新潟市内において「葬儀店」なる表示は需要者からも業者からも忌み嫌われこれを商号中に用いた者はかつてなく、被告会社が先駆をなし」、「当時において「葬儀店」なる表示は観念上同一または同種の表示とはいつても従来の「花屋(や)」に比らべ文字上・発音上明白に異なるのみか、同市内の慣用に反する異例の表示として極めて特徴的、新規的であり、その故に優れた識別力を有していた」と判断し、「してみれば被告会社の商号は「葬儀店」という識別力ある文字を附加したことによつて、原告Kの登記商号であつた「海老花屋」とも、これを実質的に承継したという原告会社の商号「海老花や」とも相違し、「海老」なる共通部分はあるが商号全体として観察した場合、両者は取引上通常の注意を払うことによつて識別に困難はなく類似性を有するといつてもその程度は極めて低い」と判断しました。


③加えて、「Y子の…遺志が被告会社主張のとおりで」、「被告会社構成員と原告Kとの間は極めて不仲であつたとみてよい」とし、「原告Kないし原告会社より被告会社に対し商号変更の申入れがあつたのは海老Yに代つて高橋Sが被告会社代表者となつた昭和四二年前後のことと認められ、原告ら主張のように昭和三六年以来右の申入れがなされていたと認むべき証拠は全くない」。「原告Kないしは原告会社と被告会社とは昭和三六年五月以来沼垂町内(これは南北約一・二粁、東西約七〇〇米ほどの町内で、双方営業所の距離は約二五〇米である)において競業関係に立つており、然も両者は極めて不仲であつたのだからもし両者の商号が類似し混同が生じていたのなら何故約六、七年もの間原告Kないし原告会社から被告会社に対しその旨の抗議がなされなかつたのであろうか。原告Kはその理由を親戚同士であつたからと供述しているが、両者の不仲は…明らかであり、右供述は措信できない」。「むしろ以上述べたところに弁論の全趣旨を綜合すれば、昭和三五、六年当時原告Kが被告会社に対し何の申入もしなかつたのは当時新潟市内の需要者および業者からみて原告Lと被告会社の商号は「花屋」・「葬儀店」の部分に優れた差異あるものと認識され営業主体に彼此混同を生ずるようなことはなかつたからであり、原告会社が昭和四二年前後に至り始めて類似を理由に商号変更を申入れるに至つたのは…同市内における慣用の変化と被告会社における代表者変更から「海老」なる氏を使わせたくなかつたというのが真相であろうと推認される」。


更に原告会社主張の混同の事実について検討すると、「原告幸二郎が相続し原告会社が承継したと主張する「海老花屋(や)」と被告会社の「海老葬儀店」とは、昭和三五年被告会社設立当時の新潟市内における葬儀業者の営業表示としては類似性が低く彼此の識別に困難はなかつたし、また実際に営業の混同を生じ営業上の利益を害するという事実もなかつたこと、そしてその後同市内における右営業表示の慣用に変化が生じ、昭和四二年以来「花屋(や)」と「葬儀店(社)」とが混在し時には併用されるようになつたため原・被告会社の商号が類似性を高め混同が生ずるようになつたとはいつても、右混同は軽微で両者が適宜の措置を採ることにより防止可能なものであり営業上の利益を害する虞があるという程度には達しておらず、然も被告会社が既にその商号のもとに営業を開始して六、七年を経過しその商号による営業を確立した後の慣用変化に起因するものであるから、これによつて原告会社が被告会社に対し主張の如き商号差止請求権や変更請求権を取得すべきいわれはない。従つて商号類似を理由とする原告会社の請求はその余の点について判断する迄もなく理由がない」。


■結論
 裁判所は、原告らの被告会社に対する請求はいずれもすべて棄却しました。
 

■BLM感想等

 本件は、商号「海老花屋」の下で、明治年代から海老Jが葬儀請負、生花造花の飾付および花輪の製造販売…等を営んでいたところ、これを孫の海老Y子が家督相続をし、さらに営業が承継されていた事例で、海老花屋の表示(商号)の周知性に関する詳細な判断はしていませんが、当事者に争いがないものとして、これを前提に検討を進めています。

 そして、営業の承継につき、養子縁組によりY子と親子(つまり相続人)となった原告と、Y子の下で働いていた従業員との関係解消事例と言えます。もっとも、原告KはY子と不仲で、被告主張によれば、「原告Kと離縁すべく新潟家庭裁判所に調停を申立てたが、同原告がこれに応じなかつたところから、「幸二郎には財産を渡したくない」といつて「海老花屋」の営業を会社組織に改め」る計画があったとのことで、これによれば、Y子と原告の関係解消事例とも言えるかもしれません。もっとも、Y子が亡くなられた以上、その意思は定かではなく、また、原告及び原告会社が「花海老商店」でY子と同種の営業を継続していた事実は尊重し、裁判所としては原・被告会社の商号の類似性、及び、一定の地域において、具体的に混同を生じているか否かで解決を図ったものと考えます。

 

By BLM

 

 

 

 

 

 

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