不正競争防止法2条1項1号の裁判例をよむ
個人的興味からのランダムピックアップ裁判例 その35
本日も、元従業員と会社との間で紛争となった事例を見ていきます。これまで見てきた裁判例より人間関係が複雑になってきますので、この点も留意してみていきます。
大阪高判平13・6・28〔三田屋事件・控訴審〕平9(ネ)3089(神戸地判平 9・10・22〔三田屋事件・第一審〕平7(ワ)1924)
控訴人(一審被告) 株式会社はざま湖畔三田屋総本家
被控訴人(一審原告)株式会社三田屋本店
■事案の概要等
本件は、「三田屋本店」という表示(以下「原告表示」)でレストランを経営し、ハムを製造販売している原告が、「株式会社はざま湖畔三田屋総本家」という商号を有し、「はざま湖畔三田屋総本家」という表示でハム等を販売している被告に対し、右商号の抹消と、右商品表示の使用の差止めを求めた事案です。原判決は、原告表示が周知性を取得しており、被告の商号及び商品表示が、原告の周知表示と誤認・混同のおそれがあるとして、原告の請求を認容したため、被告が控訴したのが本件です。
◆前提事実
1.原告の営業表示、商品表示について
(1)原告:昭和54年9月4日、「株式会社三田屋」の商号で設立。昭和58年8月8日、その商号を「株式会社三田屋本店」に変更。原告は、阪神地区を中心として、ステーキハウス等の飲食店を経営し、自家製ロースハム等の畜産加工食品の製造販売業を営む。
(2)原告はその経営する飲食店に「三田屋本店」の屋号を付し、自己の畜産加工食品に「三田屋本店」の表示を付している。
2.被告の営業表示、商品表示及び商号について
被告は、昭和56年「株式会社丸優三田屋」との商号(以下「被告原始商号」)で設立。昭和59年「はざま湖畔三田屋本店株式会社」(以下「被告旧商号」)に商号変更し登記。さらに、昭和63年2月20日、被告旧商号を「株式会社はざま湖畔三田屋総本家」の商号(以下「被告商号」)に変更し商号変更登記がされた。被告は、阪神地区を中心に、ハム等の畜産加工食品の販売業を営む。被告は、「はざま湖畔三田屋総本家」という表示(以下「被告表示」)を自己の営業表示、商品表示として使用。
1ー1.原告表示の周知性の取得について
裁判所は以下の認定事実により「原告表示である「三田屋本店」は、原告の直営店及びフランチャイズ店の営業表示及びハムに代表される畜産加工食品に係る商品表示として、昭和60年ころ、消費者の間に広く認識され、周知性を取得した」と認めました。(下線筆者)
(1)「訴外会社は、H家の兄弟によって経営されていたH商店を法人化したものである」。
(2)亡cは、大学卒業後「昭和42年に訴外会社に取締役として入社」し、「ハムの製造、販売とレストラン経営」を提唱し、ハム製造の中心的役割を果た」し、訴外会社が昭和52年7月末に三田市内「はざま池」の傍らにステーキレストラン「三田屋」開業後、「その店長となり、伝統工芸の三田磁器を食器に取り入れるなどの様々なアイデアを提供してレストラン」営業行う。
(3)亡cは、訴外会社に、レストランを独立経営にしたい旨申し入れたが拒絶され、以降、事実上、レストラン「三田屋」の営業を訴外会社から切り離し、自ら独立して経営。昭和54年、同レストラン所在地を本店所在地として原告設立し代表取締役就任。
(4)原告は、その後、阪神地区の郊外を中心とする各地に、「三田屋」の営業表示を使用したレストラン開店。これらのレストラン「三田屋」は、ステーキハウスであるが、自家製の手造りハムを前菜として客に提供するという特徴を有していた。
(5)原告は、昭和58年8月、その商号を「株式会社三田屋本店」に変更し、以後、レストランの営業表示にも「三田屋本店」を使用し、手造りハムの商品表示にも「三田屋本店」を使用するようになった。
(6)原告は「昭和60年ころには、直営店とフランチャイズ店を合わせてレストランを約20店、各地の百貨店に手造りハム等畜産加工食品の直営販売店を約15店出店し、年間売上金額も30億円超える」ほどになった。
(7)原告は、心身障害者の積極的雇用、三田磁器の陶芸教室の開催、レストラン内のピアノ…等の生演奏等独自の営業活動を展開し、「昭和60年中には、このようなレストラン経営や手造りハムに関する話題が、「三田屋本店」という原告表示とともに、神戸新聞、朝日新聞、読売新聞……新聞紙上に頻繁に掲載され」た。
(8)亡cは「昭和62年8月に死亡し、その妻が原告の代表取締役とな」り、原告は、その後も、関西地区を中心に東京等を含む各地にレストランを出店し、経営を拡大」。
1-2.被告の反論
被告は「訴外会社の使用していた営業・商品表示である「三田屋」の方が、原告の右営業表示が周知性を取得するより先に周知性を取得していたとの主張に対し、裁判所は、上記事実に加え、「昭和52年当時、訴外会社が製造、販売していたハムの販売量、その後の販売量は必ずしも明らかとはいえず、また、マスコミなどに取り上げられた内容を見ると、本件レストランのユニークな経営がその内容となっていることに照らすと、訴外会社の営業・商品表示である「三田屋」が周知性を取得することがあったとしても、それは、原告のレストランの営業表示が周知性を取得することに遅れて取得した」と認め、原告が「訴外会社から周知表示の使用許諾を受けた」という被告の主張も認めませんでした。
2.誤認混同
裁判所は、「原告は自己が経営する飲食店や自己の畜産加工食品に「三田屋本店」という表示(原告表示)を使用し、被告は「はざま湖畔三田屋総本家」という被告表示(被告商号)を自己の営業表示及び商品表示として使用している」とし、「被告表示(被告商号)の「はざま湖畔」とは所在地を示すものと認識されるから、被告表示(被告商号)のうち、営業及び商品の自他識別、出所表示機能を果たす重要な部分は、「三田屋総本家」(被告旧表示においては「三田屋本店」)であり、原告表示と比較した場合、「三田屋」の部分は同じであり、これに続く「総本家」と「本店」は、いずれも「本」を有し、観念としても類似し、その結果、全体として類似」すると認定しました。
そして「原告と被告とは、ともに、阪神地区を中心として畜産加工品の販売業を営んでおり、誤認混同のおそれがある」と認定しました。
Ⅱ.先使用等の抗弁(争点2)
1.被告の「三田屋」の表示の使用と先使用について
裁判所は以下の認定事実により、「訴外会社は、遅くとも、昭和52年7月以降、「三田屋」の表示を使用して、本件レストランの経営を始めるとともに、自己が製造したハム等を販売していたから、「三田屋」の表示について、先使用していた」と認めました。そして「被告は、昭和56年12月10日に訴外会社の子会社として設立された後、訴外会社からその営業の一部を承継して、訴外会社の製造するハムを「三田屋」の表示を使用して販売していたのであるから、右「三田屋」の表示を自己の営業・商品表示として先使用していた」と認めました。
訴外会社は、①「昭和35年…「H商店」の屋号で始められた個人事業を昭和41年に法人化し」、「亡c及び被告代表者を含む兄弟五人が、協力してその経営に当た」り、昭和51年ころから「「三田屋」の商品表示を使用して、松茸昆布、牛肉しぐれ煮を製造販売していたこと、②当時、「三田屋」の標章について、指定商品を「食肉、卵、食用水産物、野菜、果実、加工食品」とする商標出願したが登録には至ら」なかったこと、③「昭和52年7月末、「三田屋」の営業表示を使用したレストランを開店し…、遅くともこのころまでには、「三田屋」の商品表示を使用したハム等を製造、販売し」ていたこと、④亡cは、昭和53年4月、訴外会社にレストラン「三田屋」の独立経営の申入れが拒絶され、昭和54年原告設立し半ば強引に独立したこと、⑤訴外会社は亡cらの独立を明示的に容認しなかったが、昭和56年9月ころまで取引継続し協力関係にあったこと、⑥両社は、昭和56年、取引関係を断って対立するようになり、訴外会社は、百貨店に対する訴外会社のハム製品納入に関する原告との紛争を契機に、昭和56年12月10日、子会社として「丸優三田屋」の商号の被告を設立し、被告にその事業(販売部門)を承継させ「三田屋」との営業・商品表示を使用することにつき承諾を与えた」こと。
2.現在の被告表示の使用と先使用について
(1)判断基準
「営業・商品表示は、その恒常性が重んじられる反面、時代や事業活動の変遷が生じた場合には、その変遷にふさわしい表示に変更されるべき要請も内在しているから、他人の周知表示と類似の表示でありながら不正競争防止法11条1項3号に基づいて使用が許される先使用表示が存在する場合には、先使用表示と全く同一の表示でない限り、およそ先使用権による保護の対象から外れてしまうと解」せず、「…その変更によっても先使用表示との同一性が識別でき、かつ、不正競争防止法が意図する周知表示保護の原則を害しない限度では、なお、変更後の表示も先使用権による保護を受けることができる」。
(2)本件に関する判断
訴外会社及び被告が、右「三田屋」の表示を変更し、「はざま湖畔三田屋総本家」の表示を使用するようになった点について、「右の変更の時期が原告表示の周知性取得時期(昭和60年ころ)よりも前」とは認められないとしながら、訴外会社及び被告の「三田屋」の表示と現在の被告表示「はざま湖畔三田屋総本家」とを対比すると、「現在の被告表示は、旧表示に「はざま湖畔」及び「総本家」が付加されたことにより、外観、称呼に相違点が見られるが、「はざま湖畔」は所在地を示すものであり、「総本家」に特別な顕著性はなく、「はざま湖畔」も「総本家」も「三田屋」に比べ小さく記載され」、「「三田屋」の部分が被告表示の要部と解すべきで」、「右「三田屋」の部分と当初使用されていた「三田屋」の表示とを対比するに、字体はほぼ同じであり、観念、称呼ともにその要部が同一である」から、「現在の被告表示を使用することは、次の3で検討する不正目的がない限り、訴外会社及び被告が当初使用していた表示の使用の継続として、先使用権による保護を受けることができる」としました。
3.被告表示(被告商号)の使用と不正の目的について
裁判所は、以下の認定事実により「被告は、不正の目的でなく被告表示(被告商号)を使用していると解する」と認定しました。
「そもそも、「三田屋」の表示は、訴外会社が精肉等自己の商品の表示として、昭和52年までに使用を開始し」、「同年7月末に本件レストランを開業するに際して、これを同レストランの営業表示とし」、「そのころから開始されたハムの製造、販売に当たっても、「三田屋」が訴外会社の商品表示として使用されていた」。しかるに「昭和53年3月に亡cが半ば強引に本件レストランの営業を独立させ、原告がこれを引き継いで発展させたものであるところ、原告において、本件レストランの営業表示としての「三田屋」の名声を広め、昭和60年ころその周知性を獲得したとはいうものの、その間、訴外会社としても、自己が製造したハム等に「三田屋」の表示を付することを継続していたのであって、昭和56年9月までの両者の協力関係等に照らすと、右の訴外会社の行為が原告表示である「三田屋」の名声を高めるのに寄与した面も否定できない」。
「そうすると訴外会社は、ハム等の製造販売に当たり、不正の目的でなく、「三田屋」の商品表示を使用し、その後、引き続き被告表示を使用しているというべきであり、訴外会社からハム等の販売部門を承継し、被告表示をもってハムを販売する被告の行為も、不正の目的を有しない」。「また、被告は、訴外会社からハム等の販売部門を承継し、昭和56年2月10日、「株式会社丸優三田屋」との商号(被告原始商号)で設立され、昭和59年11月20日、右商号をいったん「はざま湖畔三田屋本店株式会社」(被告旧商号)と変更したが、右設立、商号変更は、いずれも原告表示が周知性を取得した昭和60年以前のことであること、
その後、被告は、昭和63年2月20日、現在の商号である「株式会社はざま湖畔三田屋総本家」に改めているが、右商号は、前述したとおり、不正の目的でなく使用している被告表示と同一内容の表示からなるものであることを総合考慮すると、被告が現在の被告商号を使用することもまた、不正の目的を有しないというべきである」。
■結論
以上説示したところによると、原告の本件差止請求は理由がないというべきであるとし、これと異なる原判決を取消し、原告の請求をいずれも棄却しました
■BLM感想等
元従業員が、独立し、独立前に所属していた会社の事業と同種の事業を行うことで紛争が生じる場合があります。特に、元従業員が従前の会社の商品と同種の商品を製造・販売等する場合、元従業員に対し不正競争防止法2条1項1号に基づき差止請求を行うケースが散見されます。ただし、本件では、原告となったのは元従業員の方(亡C)であり、大学卒業後「訴外会社に取締役として入社」し、「ハムの製造、販売とレストラン経営」を提唱し、「ハム製造の中心的役割を果た」し、訴外会社が昭和52年7月末に三田市内「はざま池」の傍らにステーキレストラン「三田屋」開業後、「その店長となり、伝統工芸の三田磁器を食器に取り入れるなどの様々なアイデアを提供して」営業行っていた者でした。そして、訴外会社在職中に、事実上、レストラン「三田屋」の営業を訴外会社から切り離し、自ら独立して経営し、最終的に原告を設立し、代表取締役に就任しています。その後も、訴外会社及びこれを引き継いだ被告との関係は協力関係にあったようですが、関係解消し紛争になったという事案です。そもそもなぜ在職中にレストランを切り離して原告を設立できたか疑問が生ずるところですが、この点は、裁判所の先使用の抗弁で認定されている通り、訴外会社は「亡c及び被告代表者を含む兄弟五人が、協力してその経営に当た」っていた、とあるため、控訴会社及び被告と原告の経営陣は、血族関係にあり、原告の行為も許されたといった特殊な事情がありそうです。
原判決は、周知性を獲得した原告に有利な判断をしましたが、これを取消し、「三田屋」の表示はそもそも控訴会社を始原とするところ(裁判所は「…「三田屋」の表示は、訴外会社が精肉等自己の商品の表示として、昭和52年までに使用を開始し」、「同年7月末に本件レストランを開業するに際して、これを同レストランの営業表示とし」、「そのころから開始されたハムの製造、販売に当たっても、「三田屋」が訴外会社の商品表示として使用されていた」と認定。)、控訴会社を承継している被告(不正競争の目的がない者)と、控訴会社から独立してこれを発展させた者(周知性獲得に貢献した者)の公平をはかった判断であったようと考えます。
By BLM
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