知的財産分野では、ときどき、“不正競業”という言葉を耳にする。不正競争防止法という法律はあるけど、“競業”という言葉は出て来ないよなぁ。あえてこの言葉を使う人(学者や弁護士さん、その中でも、特に大家に多いよな気がする…。)はどういう意味、さらには思想で使用されているのだろうか
小野昌延先生によれば『競争が、たんに営業活動においてのみならず、意思活動のあらゆるものにわたって認められるのに対し」『競業とは、営業上の競争である』とする(小野昌延編「新・注解 不正競争防止法〔第3版〕上巻」 (2012年,青林書院)(小野8頁)。
この『営業』は、『職業選択の自由の一部として憲法上も保障されている』『営業の自由』(小野5頁)に関わる言葉で、『現在の経済制度の基礎は、意思の自由と自己責任の原則に立』ち、『そして、私的所有が認められ、契約の自由、移転の自由、営業の自由が私法の基調とされている』とし、この『営業活動の自由』は、『営業者間において、競争の自由となって現れ、この自由競争原理によって社会の発展が可能であるとされた』ということであり、『この自由権は、過去においては、封建的権力によって侵され、また、不当な特権的独占が特定人に与えられてきた歴史にかんがみ、基本的人権として保障された』(小野5頁)ということを念頭におくべきなのだろう。
その上で、不正競争防止法上の行為規制の対象を考えるにあたり、『資本主義的流通経済といわれる組織においては、自由かつ公正な市場における商品交換が重要な構成要素とされ、そこにおいて価格的調和が保たれ」、そのかぎりで『営業活動は自由』だ、という限界を知るべきなのだろう。すなわち『不当独占は競争の自由を奪い、不正競業は競業の公正を破壊する』(小野5頁)ため、一定の規制が必要であり、後者については不正競争防止法の行為規制が充てられるということになるのだろう。(太字:BLM)
さて、前置きが長くなったが、今日の本題。以下のような事例で、お互いの営業活動の自由はどこまで尊重されるのだろうか?
菊屋事件(民事事件)
福島地裁昭和30年2月21日判決 昭和28(ワ)第162一六二号『』内引用。)
昭和23年9月20日、和洋菓子の製造、販売等を目的として、「有限会社菊屋」の商号で設立登記された原告Xが、昭和28年2月28日、菓子の製造、卸小売を目的として、「有限会社菊屋総本店」の商号で設立登記され、原告Xと同様に、「菊屋羊羮」「菊屋最中」という名称の羊羮、最中を発売等している被告Yらに対し、商号の使用や、「菊屋羊羮」「菊屋最中」の名称を有する菓子類を販売そること等の禁止、商号登記の抹消登記手続等を請求した事案である。
福島地裁は、おおよそ原告の主張を認め、被告らの『一.菊屋総本店」の商号を使用し、「菊屋総本店」と記載した看板、標識を掲げ、「菊屋羊羮」「菊屋最中」の名称を有する菓子類を販売し、または、これを販売する旨の看板、標識を掲げてはならない。』『二、被告杉山は、「菊屋」の文字を刻んだ最中の皮を製造し、または販売してはならない。』等とし、その他謝罪文の掲載、抹消登記手続等を命じた。
〈事件の背景〉
本事件の背景には、相続人間の争いがあったよう。判決文から引用すると、『菊田伝五郎が、明治三十五年頃から福島市中町に店舗をかまえ、「菊屋」の商号で菓子製造販売業をはじめ、「菊屋羊羮」「菊屋最中」を発売し、漸次、福島市内及びその近郊において名声を博するに至つたことは、当事者間に争いがなく』、地裁レベルの判断ですが、『右「菊屋」の商号は、その登記の有無にかゝわらず、一つの財産権として伝五郎に属していたことはいうまでもない。』と認定している。
伝五郎には、その長男(被告会社監査役)、二男(原告会社代表取締役)、三男、四男(いずれも被告会社取締役)、五男(被告会社代表取締役)の五子があり、長男を除く 『他の四子は、伝五郎と共に右家業に従事していたが、伝五郎は、大正十五年及び昭和二年の二回に、従前の営業店舗の隣地に、宅地を買入れ、同地に店舗、居宅を新築し、これに移居し、その際、右宅地、店舗、居宅をいずれも二男菊田善助に贈与し、同人の所有名義に登記手続をし、ついで、伝五郎は、昭和六年「菊屋」の営業を同人に譲渡し、菊田善助が伝五郎と共に「菊屋」の商号で右営業を続けていたこと、その後、昭和十八年頃右営業は、その原料の統制その他の事情から中止されたが、昭和二十三年、伝五郎前記五子、及び菊田善助の長男菊田伝吉の七名で原告会社が設立され、菊田善助がその代表取締役となつたこと』が認められ、『昭和二十七年十月十三日伝五郎が死亡し、その相続人は前記五子及び伝五郎の妻の六名であることは当事者間に争いがない』とのことだ。
そうすると、被告としては、『「菊屋」という商号権は菊田伝五郎の遺産の一部であつて、被告会社の設立者たる』3人の親族も、これを『相続したもので、被告会社もこれが使用権を有する』と主張するのは、BLMとしては、解らないでもない気がする。そもそもなぜ、二男菊田善助さんに任せたのか、ずっと、なぜなぜなぜ、、、という兄弟間の葛藤があったのではないか・・・。 まるで、お昼の二時間もの、山村美紗さんのサスペンスを見ているようだ
裁判所は、『当初の「菊屋」の商号権は、少くとも、原告会社の設立に際し、同会社に帰属したもので、特段の事情の認められない以上、伝五郎あるいは菊田善助において、これが使用権を留保していたものとは解せられないから、伝五郎の死亡によつて、その相続人が、これが使用権を相続したとは考えられない』等と判断した。
加えて、裁判所は、『被告会社は、原告会社代表取締役菊田善助が、亡伝五郎の有した莫大な資産、及び、原告会社の多額の利益を配当せずに独占し』、他の兄弟らが『「菊屋」伝五郎の伝統を信用の基礎として被告会社を設立するや本訴請求に出たのは、権利の濫用であると主張するが、菊田善助が資産、利益を独占したとの主張にそう証拠はない。のみならず、「菊屋」の商号権が原告会社に帰属し、しかも、被告会社の社員』等が(BLM注:“そもそも”は)いずれも、原告会社の社員である以上、かりに、菊田善助がそのように独占したとしても』、『原告会社の内部の問題として、法律上の救済を求めれば足』り、『権利の濫用ということはできない』等と判断した。
そして『被告会社及びその他の被告等の前記の行為の結果、原告会社において、その「菊屋羊羮」「菊屋最中」の売上げの減少をきたし、また、被告会社等の広告宣伝により、被告会社を原告会社と誤認して、被告会社から菓子類を買求める一般顧客のために、原告会社としては、原被告会社が別個であることを世間に周知させるべく宣伝をする必要にせまられていること』等を綜合すれば、原告会社は、その営業上の信用を害されるおそれがある、と判断した。
〈被告会社の『不正競争の目的』〉
被告会社は、『原告会社の社員』が中心となつてこれを設立し、同人らは『いずれも原告会社の設立、商号を熟知していたものと推認される』。『被告会社が原告会社と同一の菓子類製造販売業を営んでいること、被告会社が設立される以前において、原告会社が、福島市内及びその近郊の菓子製造販売業者におけるいわゆるしにせであつたこと、原告会社の発売する「菊屋羊羮」「菊屋最中」が』、『福島県内特産みやげ品』に推せんされる等し、各種展示会、コンクール、物産展等に出品され、原告会社のしれらの売上げが、福島市内の菓子店中第一流に属することが認められ、また、『原告会社の通称「菊屋」が、「菊屋羊羮」「菊屋最中」の名称と共に、福島市内及びその近郊において、被告会社の設立以前、広く認識されていることは顕著な事実であ』り、『被告会社の社員』らは、『右事実を熟知していたものと推認される』とし、その上で、被告の「菊屋羊羮」「菊屋最中」の形状、外観、包装は、原告のそれと極めて類似し、一見誤認混同のおそれがあること、しかも、原告会社は、被告会社の設立以前から引続き、これらを使用していること』、『その商品の主たる販路を、原告会社と同じく』する等の事実を綜合すれば、『被告会社は、原告会社の商号と類似の商号を不正競争の目的で使用』した等と認めた。
〈被告らの反論等〉
裁判所の判断と前後するが、以下被告の反論を少し見ていく。
「菊屋」という商号は、同じ菓子製造販売を業とする者で東京都銀座に店舗を構えている「菊
屋」の登録した商号であつて、しかも同業者で「菊屋」の商号を称する者は約一万二千あり福島
市内においてすらこの商号で菓子の小売販売をしているものも数軒ある状況で』、『殊に、被告会社は、原告会社と異なることを明らかにするため「有限会社菊屋」の下に「総本店」という文字をわざわざ加えてその商号とし、原告会社との混同をさけている』。
原告会社と被告会社は『今日においては、両者が全然別個のものであるということは公知の事実であり、どちらの「菊屋」が衰え、または盛えるかは、良い菓子をいかにして販売するかによつて決せらるべき段階に入つている。従つて、被告会社が「菊屋」の商号を使用しているからといつて、不正競争の目的を有することにはならない。』
BLMとしては、ここまで読むに、そんな反論通用しないよぉ、 と思ってしまうけど…どうだろう? 以下被告反論を続ける。
『そもそも原告会社の商号中その主要部分である「菊屋」は、菊田伝五郎の創設したものである。同人は、明治三十五年頃、福島市中町二十八番地に店舗をかまえ、「菊屋」の商号で菓子製造販売業をはじめ、優れた製造技術と努力によつて、その発売する「菊屋羊羮」「菊屋最中」の名声を博し、世間の信用を得るに至つたもので、「菊屋」の商号はその登記の有無にかゝわらず、伝五郎の製造する商品の信用を表示する無形の財産権である。』
確かに、裁判所も無形の財産であることは認めていた。BLMとしては、不正競争防止法事件で、そう認めて良いか分からないが、少なくとも周知にしたのは、5人の兄弟のお父さんというわけだ。それを承継できるのは誰か? 又は、誰も承継できないのか?
被告は、伝五郎氏の死去により、その妻と兄弟5人の計6名がこれを相続したと主張し、『商号を含む伝五郎の遺産の分割が行われていない現段階にあつては、右相続人六名の共有財産として、その管理については』、『相続人間の協議の結果、「菊屋」の商号を、原告会社』と、他の兄弟らで使用してもよいと定めたとし、『被告会社を組織し、「菊屋」の商号を使用することは、その権利の行使であつて、原告会社の商号権を侵害するものではない』と主張している。
BLMとしては、以下、さらに読み進めると、???と頭を抱える。
被告らの兄弟は『亡父伝五郎の厳しいしつけを受け、菓子製造職人、徒弟等と起居を共にして菓子製造に従事し、亡父の教えを受けてその技術を体得した』等の一方、『菊田善助は、家業に精進せず諸方に見習いに出てもすぐ戻つてくる始末に、やむを得ず亡父と同居して、その販売方面の手伝をしていたのにすぎなかつたが、長男菊田善平が日本共産党に加入したり、当時危険者扱いをされていたので、順序として、二男である菊田善助にその家業を譲る意思を伝五郎がもつていたことは推定できるが、菊田善助が、伝五郎の努力によつて得た時価七百万円以上の資産を独占』等し、被告ら兄弟が、被告会社を設立し、伝五郎から教えられた技術と、伝五郎の伝統を唯一の資産とし、「菊屋」伝五郎の一味であることをその信用の基礎として、菓子製造を始めると、これを禁止しようとするのは、人道上許さるべき行為ではなく、その権利を濫用するものであるから、本訴請求は失当である』と主張している。
以上、被告の反論から、本件は一筋縄ではいかないような気もする。しかし、結局地裁はおおよそ、原告の主張を認め、被告に反論をほとんど採用しなかった。
さて、BLMの、原告が正しいのか、被告が正しいのかというモヤモヤ感は、一応、以下の刑事事件の最高裁で解決されるかもしれない。
菊屋事件(刑事事件)
最高裁大法廷昭和35年4月6日判決 昭和33年(あ)第342号(最高裁HP判決文は「こちら」。『』内引用。)
(控訴審:仙台高裁昭和33年1月29日判決/原審:福島地裁昭和32年10月8日判決)
最高裁は以下のように判断した。(旧不正競争防止法下での判断)(着色・太字:BLM)
『…(省略)…本件被告人は僅かな資本を他人より借り受け他人の店先の狭い部分を他の業者と共同で賃借している小商人であり、被害者と称する有限会社Aに比すれば、その規模において甚大な差異が存し、両者の間には対立競争関係は生じ得ない、それ故被告人の本件行為に不正競争防止法五条二号を適用することは、公共の福祉の要請によることなく不当に営業の自由を侵害するものであつて、憲法二二条に違反する』との被告の主張に対し、
『不正競争防止法五条二号にいう「不正ノ競争ノ目的」とは、公序良俗、信義衡平に反する手段によつて、他人の営業と同種または類似の行為をなし、その者と営業上の競争をする意図をいうものと解するを相当とする。そして、そのような不公正な競争の意図をもつて、同法一条一号または二号に該当する行為がなされることは、ただに被害者たる他の営業者に対する不法な行為であるに止まらず、業界に混乱を来たし、ひいて経済生活一般を不安ならしめるおそれがあると認められ、このことは、所論のような両者の営業規模の大小にはかかわらないものというべきである。それ故、前記のような行為に必要な規制を加え、その違反者を処罰することは、公共の福祉を維持するために必要あるものであつて、憲法二二条に違反するものではない。』
BLM感想
本件は、偉大な父の業績、ことにそれが「営業」である場合で、かつ、そのgoodwillが商号・その他の表示に化体している場合に、その表示を誰が使用することができるのか、という問題にも関わってくる。7月1日の記事で、不正競争防止法上の保護を受ける地位は譲渡できるのか否か考えたが、中山先生の論を参考にすると、営業譲渡を伴う場合は、表示の周知性を主張できると考えると、やはり、原告に分がある、ということになるのだと思う。とすると、後は相続人内部の問題で、やはり客観的に原告の表示と混同を生じさせる行為は、被告がいかに菓子職人として優れていたとしても、認められない、という結論になるのだろうか、と思う。本件、他に評論もあるようなので、もう少しそれらを勉強してみようと思う。