幻に終わった出版企画というのがあって、以下の記事に係る原稿を2015年12月7日に書いた。パソコンのフォルダーを片付けていたら出てきた。こんなことを考えていたのか。多少修正し、記録として書かせて戴く。

 

◆知的財産法分野において「デザイン」という用語をどう捉えるべきか?
 知的財産法分野で、「デザイン」と言うと、物品の美感を生じさせる外観形態としての「意匠」(意匠法2条1項)や、「美術の著作物」(著作権法10条1項4号)として著作権法で保護されるか否かの境界線に登場する「応用美術」と扱われることが多いだろう。

 しかし、かかる定義から「デザイン」を理解しようとすると、「デザイン」の重要性を見誤るおそれがある。

 著名なデザイナーに仕事を依頼し、「美感を生じさせる外観形態」を製品に施してみてもいっこうに売れない。美術を応用した独創的な製品であったが人々に興味を持たれなかった。そんな話は山ほどあるだろう。 

 「デザイン」は、最終的に「美感」を生じさせ又は「美術」を応用する場合があるとしても、もっと本質的な意味を持つはずだ。   

 「デザイン」に関する知財実務の課題を考えるにあたり、どのような「デザイン」を保護すべきか見極めるところからその課題は始まっている。どのように権利を取得し又は権利を行使して他者を排除するかも重要だが、特許庁という行政手続きを担う弁理士としては、「デザイン」とは何か、保護対象をどう見極めればよいのか考える必要がある。

 

 

◆広義のデザインとは区別するため「知覚化デザイン*」という用語を考えた。

 (*青学の知財関係の勉強会で発表させて戴き、担当の先生にもご助言戴いた。)
 まずは「デザイン」を本質的かつもっと広い意味で捉えてみよう。諸説あるが、筆者は『生きのびるためのデザイン』(ヴィクター・パパネック著)に書かれた

 「デザインとは、意味ある秩序状態をつくり出すために意識的に努力することである。 」 

という言葉に従う。

 

 かかる定義によれば、人間の「意識的な努力」が認められないもの、例えば「窓ガラスにできた霜の花、蜂の巣の完全な正六辺形、ばらの花の構造などのなかに見いだす秩序状態(オーダー)と喜びは、パターンに対する人間の好みの反映」で、「デザインの所産ではない。」これに対し「アップルパイを焼くことも、田舎野球の組み合わせを決めることも、子供を教育することも、すべてデザインである。 」

 このようにパパネック氏は「デザイン」について、「意味ある秩序状態をつくり出す」というプロセスに着目したが、何らかの「意味ある秩序状態」が「知覚化」されるようになった状態、例えば、結果としての製品の外観形態も、「デザイン」と呼べるだろう。

 そこで、「意味ある秩序状態」を知覚化させるデザインを、特に「知覚化デザイン」と呼ぶこととする。
 

 ここで、「知覚化デザイン」の例を挙げてみたい。「知覚化デザイン」を実現する能力は、人それぞれに大なり小なり備わっている。

 

 上述のように「アップルパイを焼くこと」もデザイン行為であるとの考えを参考にすると、例えば、家族に振る舞われる「母親がつくる夕飯」は、「知覚化デザイン」と捉えられる。すなわち「母親がつくる夕飯」は、食材の旬や消費期限、食材にあった調理方法、食材の組合せや味付け等を考え、家族が食卓についたときに最もおいしい状態になるよう、かつ、家計の範囲で実現される。その夕飯は、個々に分析すると、味付けが薄かったり、食材のカタチが不揃い等、完ぺきではないかもしれない。しかしその家族にとって何らかの「意味ある秩序状態」を知覚化させるものであろう。

 

 もっとも、実際に「母親がつくる」という秩序状態は、母親がいなかったり、母親も遅くまで外で働くことがめずらしくない今日の社会状況では、必ずしも適合しない。そこで「母親がつくる夕飯」を、例えば、‟規則正しい時間に、各自の健康を考慮し、慣れ親しんだ味付けで、かつ、その家計の範囲で実現される料理”ということを端的に述べる一つのコンセプトと捉え直し、これを人々にとっての「意味ある秩序状態」と捉えなおしてみる。そうすると、同じコンセプトを実現する他の「知覚化デザイン」が幾つかありそうである。そのような「知覚化デザイン」を産業上実現すれば需要はありそうだ。

 

 

◆主に、意匠法の保護対象たる意匠を想定した「プロダクトのデザイン」と言ってみる
 産業上活躍する、職業としてのインダストリアル・デザイナーの仕事は、上述の「デザイン」の定義に従うと、当然にこれに該当することになろう。しかし、パパネック氏は、デザイナーの役割に期待を込めつつ、現実のインダストリアル・デザイナー(特に、製品をデザインする「プロダクト・デザイナー」を想定していると考える。)に対しては、以下のように批判的である。
 「一九六八年の二月、<フォーチュン>誌はインダストリアル・デザインという職業の

  終末を予想する記事を載せた。予想どおりデザイナーたちは、嘲りと驚きの念をもって

  反対した。だが、私は<フォーチュン>の文章の趣旨は正しいものだと思っている。」

 「タイプライター、トースター、電話器、コンピュータなどのための<刺激的な>外装を

  こしらえることを事としているかぎり、その存在理由をまったく失ってしまったのだ。 」

        車 自転車 カバン ヘッドフォン カメラ

 私見では、その批判は、大量生産、大量消費社会で果たしてきたイダストリアル・デザイナーの役割と直結する。すなわち、インダストリアル・デザイナーが、特に、美術や芸術分野で鍛えられた表現のスキルを駆使して「知覚化デザイン」を実現する能力があったがために、それが産業上利用された結果、「<刺激的な>外装」のみが独り歩きして、人々の欲望を刺激し、消費を煽る結果を生み出したことに対する批判だろう。
 上述の「フォーチュン誌」が発行された1968年辺りの時代から、さらに約50年たった今日、インダストリアル・デザインを取り巻く環境はもっと深刻化しているのではないか。製品は巷に溢れているばかりか、インターネットの発達によって、ウエブ上にも製品の情報が溢れている。しかも「意味ある秩序状態」もなく、何を「知覚化」させたいのかわからない製品が山ほどある。

 

 そこで、今日ますます、産業上、「デザイン」を活用しようとする場合、社会の人々にとって「意味ある秩序状態」は何かを明らかにしたうえで、それを「知覚化」させることが重要となる。同氏は「デザインという仕事の究極の目標は、人間の環境と人間の使う道具、さらに人間自身をも変革すること 」であり、デザイナーは「その社会的、道徳的責任を自覚していなければならない 」とし、「その仕事に対して発揮しなければならない最も重要な能力は、諸問題を認識し、それをはっきりとつかまえて解決してゆくという力である 」と述べる。


 産業上用いられる「知覚化デザイン」について、今一歩踏み込んで検討すると、産業上用いられるという趣旨から、「意味ある秩序状態」を、「顧客価値」と捉えて、製品の開発段階の早いうちから、「顧客価値」に係るコンセプトの創造とこれが実現されたものを、「プロダクトのデザイン」と捉える。

 

 

◆主に、商標法の保護対象たる商標を想定した「ブランドのデザイン」と言ってみる

 例えば、家族に振る舞われる「母親がつくる夕飯」は、その家族にとって何らかの「意味ある秩序状態」を知覚化させるデザインである旨上述した。「母親がつくる夕飯」と聞くと、健康によいという機能上の価値に加え、温かい気持ちになるとか、郷愁を誘う等の精神的価値を感じる人は多いのではないか。但し「母親がつくる」という秩序状態は今日の社会状況では必ずしも適合しない。

        ステーキ ナイフとフォーク  鍋  割り箸 カレー

 そこで「母親がつくる夕飯」を、例えば、‟規則正しい時間に、各自の健康を考慮し、慣れ親しんだ味付けで、かつ、その家計の範囲で実現される料理”ということを端的に述べる「顧客価値」に係るコンセプトと捉え直し、「母親がつくる」こと以外の「知覚化デザイン」で産業上実現したらどうだろう。

 例えば、「弁当」を販売することが考えられるが、料理の品質やこれに付随するサービスに、「母親がつくる夕飯」のコンセプトを実現する特徴を持たせることが必要となろう。 お弁当 割り箸

 

 そしてそのコンセプトに見合った弁当及びその店の名前を考えるのがいいだろう。夕暮れ時、お腹をすかせた人が遠くからでも見つけられるマークを店の看板につけるといいかもしれない。「母親がつくる夕飯」というコンセプトを店舗の内外装に知覚化させれば、顧客はまた訪れたいと思うかもしれない。同様の「知覚化デザイン」で制服をつくれば、店員が「母親」のように優しい心遣いで接客できるかもしれない。

 産業上、「顧客価値」に係るコンセプトを知覚化させるデザインを、弁当という商品で実現することに加え、顧客が関わるあらゆる媒体で実現することで、その「知覚化」に強さと豊かさを与えると考える。

 

 すなわち「ブランドのデザイン」とは、ここでは、「顧客価値」に係るコンセプトのレベルで、商品のみならず、名前やマーク等の識別標識、一般には商標と呼ばれるものを中心に、「知覚化デザイン」を実現することであると捉える。
 そうすると、例えば、その弁当屋の名前の下で、弁当のいつもの具材が他のものに変わっても、また、弁当以外の商品を販売しても、同じ「母親がつくる夕飯」のコンセプトを実現する限り、顧客の信用を裏切ることにはならず、かえって、顧客に飽きられずに継続的に訪れたいと思ってもらえる状態をつくり出せるかもしれない。換言すれば、ブランドの名前やマーク等の識別標識(商標等)から一定の「顧客価値」が知覚化されることで、顧客の期待や信用が醸成されて、事業者と顧客の信頼関係が形成されるものと考える。

 

 もっとも、名前やマーク、さらには店舗外装がコロコロ変わったらどうであろう。せっかく品質にこだわり、コンセプトを守って弁当の商品を販売していても、人々はその商品を記憶し、その商品の情報を他人に伝え、又はその商品を購入する手段を失う。今日ではWEBで検索できるかもしれないが、「弁当屋」だけのキーワードだけでは、無数にある他の弁当屋と識別できない。なお、近時では画像検索というものができる。以前に自分で撮影した店舗外装を検索にかければ、その弁当屋が同じ外装である限り、知覚できるかもしれない。

 

 「ブランドのデザイン」を、「プロダクトのデザイン」と分ける大きな意義はここにあると考える。

 

 すなわち、「ブランドのデザイン」では、業務上の信用をも揺るがしかねない‟「知覚化デザイン」の一貫性”が問われる。かかる一貫性の保持に着目した知的財産法の保護を考えると、「知覚化デザイン」が、自他の商品やサービス等の識別機能等を発揮する「商標」(商標法2条1項)や、「商品等表示」(不正競争防止法2条1項1号)に該当すれば、これらの法律によって保護されることが望ましいと考える。

 

◆まとめ
 産業上用いられる「知覚化デザイン」について、「プロダクトのデザイン」と、「ブランドのデザイン」の2つの視点で分けて、それぞれについて、主に、意匠法、商標法を念頭に知財実務の課題を検討するのが良いように思う。 もっとも、それだけでは当然に足りない。「知覚化デザイン」を超えて広義のデザインをも考えるべきでもあるし、産業上用いられる「知覚化デザイン」は、当然に、各知的財産法の保護対象ごとに明確に分けられるものではない。どのような「デザイン」を保護すべきか検討したうえで、それらを、どのような知的財産法で保護できるかについて、重複適用も視野に、知財実務の課題として考えていきたい。

 

By BLM

 

 

 

 

 

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