②から続きます。
一件落着…
だったわけですが、帰ってきてからもどうしてもあの変わった風貌の鬼のような牛王の様な人のことが気になって、色々調べていたら、みたビジョンでみたものにソックリな画像を発見!
こちらから画像お借りしました。
http://blenoir.muse.weblife.me/Azuminonohimitu2.html
これ、これーっ!
キャプションには
「八面大王」とあります。
八面大王って何?
画像を辿った先のサイトの詳し〜い説明をかなり簡略化すると、こんな感じでした。
福岡の東部で反映していた安曇族。
527年~528年にかけて起きた有明連合とヤマト軍との戦に敗れた筑紫君磐井の息子を守るために、ヤマト軍の手が届かない信州の山奥の未開地に逃げ、開墾。
コツコツと田畑を開拓しながら 生活の基盤を固めていき、繁栄しましたが、移住から250年ほどして 究極の難題がやって来ました。
全国統一を目指した大和朝廷が、信濃の国を足がかりに東北侵略を進めていました。この地の住民たちは朝廷軍にたくさんの貢ぎ物や無理難題を押し付けられて大変苦しんでいました。安曇野の里に住んでいた魏石鬼(ぎしき)という八面大王はそんな住民を見るに見かねて立ち上がり、坂上田村麻呂の軍と戦い続けました。多勢を相手に引けをとることなく戦った大王でした。
しかし、北と南から挟み撃ちにあってしまった八面大王は有明山の魏石鬼窟(ぎしきのいわや)までにげのびますが、とうとう矢を射られてしまいました。大王があまりに強かったため、蘇ってこないようにと身体をバラバラに刻み、胴体は現在の大王わさび農場、頭は松本の筑摩神社、耳は耳塚、足は立足というふうに全く違う場所に埋めてしまいました。...
不思議なことに、このバラバラ埋葬の地名を結ぶと「有明山」にほぼ一直線で至るのです。
宮地嶽神社一帯に繁栄し、
宮地嶽神社にとても縁が深い安曇族。
その一族の移住先である
安曇野の里に住んでいた八面大王。
因みに不動神社のある古墳は、
安曇族の長の墓だと言われているそうです。
私には八面大王は安曇族の中心人物で、
今はこの宮地嶽神社のある地に帰ってきていたものの、様々な理由から身動きが取れなくなっていたのではないかと感じました。
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