最善を受け入れるということ | Bliss of Gaia 〜本当の自分を生きよう〜

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先日、白龍様のイメージをお借りした本の著者さん。
どういった方かはあまり存じないのですが、ある記事が私の目をひきました。

人生には「37歳と42歳の学び」というものがあるという説です。



37歳は女性の厄年、42歳は男性の厄年にも当てはまるそうですが、この学びもしくは試練の時期は、男女共通に訪れるものだとか。

上記の、リンク先の記事を読んでみられていかがでしたか?

その年齢を過ぎていらっしゃる先輩方、振り返ってみられて、当たっていますか?
それとも全く…でしたでしょうか?
(差し支えなければ、コメント欄で様々な経験をシェアしてくださると嬉しいです)

この説がかぞえ年なのか満年齢なのかわかりませんが、この記事が私の目に止まったのは、価値観が左右に揺すぶられるという37歳の学びの記述がまさにその時期に夫に起きたことだったからなのです。
そして私は彼と同じ年かつ運命共同体の夫婦ですから、そういった意味で、その試練は私の身にも起きたのです。

ちなみに私個人に関しては、様々な角度から「許し」の本質を学んだ17-21の学び(長っ!)がありましたから、その時以来のインパクトのある学びの時期でした。

虹虹虹

あれから数年。

私はこの出来事を期に、ものすごく多くのことを学ばさせていただき、今ではこの辛かった出来事に感謝しているぐらいです。
特に最初の半年ぐらいはものすごく悩み、苦しみました。
でもこれがなかったら今の私はないと思うから、必要な苦しみだったのだと思います。

考えてみれば、最初の17-21の学びの時期に私はスピリチュアルな世界に出会い37歳の学びの時期にスピリチュアルな世界の本格的な実践・発信に踏み切っていますから、これらの時期の学び・試練はやはり私にとってものすごい意味があったのだと思います。

夫も前には進んでいますが、今だに彼の魂が望むものがはっきりとは見えていないようで、迷い、悩み、自信や気力を失い苦しんでいるようです。
そしてそれは私の悩みにもなっていました。 

最初の頃は、自分は変えられても他の人間は変えられないからと、私は、自分自身のことだけに集中していました。
それは間違っていないのですが、やはり夫婦ですから、隣にいるパートナーのことを完全に気にしないこともできませんでした。


彼は彼なりに苦しんでいるものの、元来のマイペースな性格があるからか、あまり焦ってはないように見え、それが停滞している感じにも見えます。
私はそれにイライラしたりもしました。
体にも負担の多い生活をしているので、体調も心配ですし、精神的にも悪循環になっている面もありました。

私は、自分の成長に集中しながらも、
夫の状況が変わってくれないか、
彼が目覚めてくれないか、
彼が自信を取り戻してくれないか、
と状況が変わることばかりを願い続けてきました。

私達はまだ42歳にはなっていませんから、42歳の学びがあるのかないのかはわかりませんが、様々な方面から、直接的、間接的に、彼のこの状態はあと3-4年続くと示唆されてきました。
それは何をしてもあまり変わらない、とも。
だから42 歳の試練というものがあるとしたら、ちょうどそれをカバーするぐらいまでの期間ということになります。

既に数年過ごしてきて、更に3-4年なんて、あまり聞いて楽しいことではないですよね?

「何をしても変わらないなんて、そんなはずはない」と希望は捨てていませんが、でも最近ちょっと気持ちが変わってきたのです。

大抵のことは、自分次第で変わると言われるのに、何故何をしてもあまり変えられないと言われるのだろう?
それってちょっと不思議だなと思ったのです。
だって運命は変えられるのに。

そう考えると、何をしてもあまり変えられないことって、宿命に近いのかな、って思ったのです。

もしかしたら、彼が生まれる前に成長を促す出来事として設定してきたのかもしれない。

もしかしたら、私を成長させるためにその役割を負ってきてくれたのかもしれない。

もしかしたら、家系のカルマをその期間で解消することを約束してきたのかもしれない。

もしかしたら、この37歳、42歳の学びというのが本当で、私達だけでなく、避けられないものなのかもしれない。

もしくは…

変えられないというのは本当じゃなくて、ただ単に彼が学ぶのにそれだけの時間を要するのかもしれない。

もしかしたら、彼は必要な学びを一生学ばずに、甘えたまま終わるのかも知れない。


それはどれかなのか、それともどれでもないのか、知るよしはありません。

だったら、私はどの状態でも受け入れること、変えたいと思わないことが一番じゃない?と思ったのです。

上手く表現できませんが、諦めとか、ネガティブに投げやりになっているとかとも違うのです。

状況(自分以外の人や環境)がどのようにあっても、それを丸ごと受け入れて、その上で自分は中心を保ち続けて、楽しく生きる、みたいな。
そんな感じでしょうか?

上手く伝わるかわかりませんが、変えたいと思わずに、私の顕在意識にとってはあまり好ましく思えないとしても、自分の中心が保てている以上は、全てを受け入れる覚悟

パートナーは一人の魂ですが、私から見れば自分の環境の一部です。

だから、もし私が中心を保てていないことが原因で、パートナーの不安定な状況が続いているとしたら、私が完璧に中心を保ち続けることで、状況は変わるでしょう。

もしも、私が完璧に中心を保てていて、それでもパートナーの状況は変わらないとしたら、それは表面上どのように見えていたとしても、最善の出来事としておこっているのです。

虹虹虹

これは勝手な憶測ですが、彼自身の成長を促すと同時に家系のカルマを引き受けてこの時期を設定してきた。さらに、私の成長を促すためにも彼が一役買ってくれている、と上に書き出したことを全てひっくるめたのが割と真実に近いのかなと思っています。

何故家系のカルマかというと、彼のおじさんにあたる人(彼もおじさんも中間子の次男)も同じような時期から大変なことが起こり始めたんですね。
おじさんの場合は、それにのみこまれてしまったのか、離婚を繰り返し、転職を繰り返し、最後には一生治療が必要な病にかかってしまいました。

私はたった一度お見かけしたぐらいの関係なのですが、最近何故かそのおじさんのことが気になっていましたし、夫も「重ねたくないけど何故か気になってる」と言っているのを聞いた時、もしかしてなんとなく家系のカルマというのも案外あるのかなと思いました。


一方何故、私の成長に 一役かってくれているかというと、夫に起こった災難は、これでもかというくらい最悪な(完璧な)タイミングとコンディションで起きました。
出来事自体は、そんなに珍しくもないですから、状況さえ違えばそんなに痛いことではありませんでした。
様々な条件が完璧に重なったからこそ、これほどの不安や恐怖と向き合うことになり、私の成長を促してくれたのだと思います。

さらに、これが私ではなく彼の方に起きた、ということも重要でした。
私は自分のことなら大抵のことを気合でエイヤッと実現させてしまうところがありました。
だから、彼ではなく私の身に起きていたら、私は今の様には悩まなかったし、「流れを読む」とか「ただ受け入れる」ということを学べなかったでしょう。

私は、目標を設定する、そして全力で努力すれば、叶わないことはあまりない、という考えの勢い人間でした。これは一見良さそうですが、あまりよくもないのです。
例えば、今生の目標が、「海にたどり着く」ことだとします。
すると、流れを適切に摑んで、海の方向へ上手く流れを使って進んで行く方がよいのですが、精神力だけを使って力づくで進める場合、間違って「上流側にある岩を次は目指そう」と思っても、必死のパドルで辿り着けるのです。
たどり着いたこと自体は一見素晴らしい。でも、それは上空から見ると、目標の海から遠ざかっているのです。

さらに言えば、その後に書いた、彼自身の甘えやトラウマも関係していると思います。

「原因と結果の法則」とは、コレだからこうなった、などというシンプルではないと思うのです。
これとあれとそれがこう重なって、こうなった、という感じかと。

でも彼に甘えがなければ、トラウマがなければ、全てが起きなかったわけでもないし、全て解決するわけでもないと思います。

虹虹虹

もちろん未来は変えていけます。
私達、一人一人にその力があります。

でも自分がどう変わろうと、何をしようと事態が変わらないように見える時。
「ままならないこと」の前に立ちすくむ時。
あなたの愛する家族や友人が苦しんでいるのをただみていなければならない時。

貴方の中心がちゃんと保たれている限り、それは、表面上どのように見えても、それはきっと最善のタイミングで起こっている、最善の出来事なのです。

虹虹虹

最後に、以前も紹介したことがある、エリザベス・キューブラー・ロス博士のお話をシェアして終わりたいと思います。

エリザベス・キュブラー・ロス博士のお母様は、人に尽くし、決してその代償を受け取らず、気丈なまでに与え続けた人だったということです。
そのお母様は、人生の最後の4年間、脳卒中の後遺症から、寝たきりの状態になってしまいました。

ロス博士は、「あんなに他の人に愛を与え続けた母に対してあまりにもひどい仕打ちだ」と、神を恨みます。

でもある時、実はこの4年間は、神からの恵みだったと気づかされます。

この4年があったおかげで、ロス博士のお母様は、人から愛を受け取らざるをえない状態になりました。
そのおかげで、本来だったら再び障害を持って生まれてくるなどして、
もう一回生まれ直し、人生をかけて学ばなければならなかった「愛を受け取る」という学びを、このたった4年間で学ぶことができ、もうこの学びのために生まれてくる必要がなくなったのです。

現世の価値観ではどう見ても最悪にしか見えない出来事が、神からのものすごい祝福だったのです。
そして4年という長く思えた年月も、一人生に比べると、ものすごく短い時間だったのです。








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