ここ数日急にうっすらとした寂しさを感じていました。
明らかな寂しさ、ではなく、かすかな、得体のわからない寂しさ。
誰かに会いたいのかと思い、思考をグルグル巡らせたけど、誰に会いたいのかわからない。
友達にあっていないわけじゃない。
家族とも話している。
クリスマス前で周りが気ぜわしいからなのかな?
これもなんか違う。
最初にでてきたのは、幼い頃に感じていた、自分は他の子供とは違う感じ。
「どうしたら子供らしくなれるのか?」なんて考えたりして。
宇宙
から一人地球に放り出された感じ。
から一人地球に放り出された感じ。賑やかにしている皆と違う、
一人何か静かな別の次元にいる感じ。
宇宙のあちこちから来た人達の寂しさを感じているのかな?
…と思ったら、更に奥があった。

でてきたのは、意外なもの。
エゴさん。
私のエゴ。
小さく縮こまって、暗ーく肩を落としている感じ。
一瞬、インナーチャイルドかなと思ったけど、呼んでみたら彼女は元気な姿ででてきた。
「あら、やっぱりエゴさん。どうしたの?」
そう声をかけた瞬間、わかった気がした。
彼女は、「いなくならないといけない、誰も自分がいないと困ると思ってない」と思ったのかな、って。
「あなたはそこにいていいんだよ。
大きくなり過ぎたら困るけど、私が「私」であるのはあなたがいてくれるからなんだから。
できれば小さく、でも元気でいてね。」
そう伝えると、小さくて元気な子になった。
エゴは悪いもののように言われることもあるけれど、それ自体は決して悪いものなんかじゃない。
この地球で、分離ゲームをして、そこから学ぶ為に必須のコマみたいなもの。
そして大事な感情というシグナルを送って、どちらに進んだらいいのか知らせてくれるもの。
コマがなくなったら、ここでゲームに参加できない。
ゲームできなくなったら、ゴール(今生の目的)にも辿り着けない。
エゴ自体が悪いんじゃなくて、ゲームの参加者がコマ(エゴ)に勝手に一人歩きや暴走させては困るだけ。
小さくて健康でご機嫌なエゴ。
そんなエゴがいい。
これからもお付き合いよろしくね。
追記:
いただいたコメントを読んでいて、私の言葉の使い方が曖昧で誤解させてるかなと思ったので、追加します。
「健康でご機嫌なエゴ」=「いつも素敵でご機嫌な自分」という意味ではないんです。
「ご機嫌なエゴ」=「エゴが認められている状態」という意味なんです。
エゴが健康なら、汚なくドロドロした感情もちゃんと出してくれるし、認められるんです。
感情は、ドロドロでもキラキラでもぜーんぶ素敵。自分の何かを教えてくれるものだから。感情に善悪はないから。
でもその感情を否定して押し込めたら腐って、なかなか出てきにくくなります。
感情、イコール、エゴではないんです。
エゴは、感情を排出してくれる機能、というか…。
無理やり「エゴをなくさなきゃ、聖人君子にならなきゃ」ってするとエゴがひねくれます。
生きている限りエゴはなくならないし。
エゴを乗りこなすというか、大事なパートナーとして上手にお付き合いする。
エゴに健康でいてもらうには、エゴを認めてあげることかな、と思います。
私の場合は、愛と癒しのエネルギーを送ってみました。
そんな意味で書いてみました。
厳密には言葉の定義が間違っていたらごめんなさい。
