人種の違いが生み出した陰のエネルギーとその統合 | Bliss of Gaia 〜本当の自分を生きよう〜

Bliss of Gaia 〜本当の自分を生きよう〜

新しい地球では「本質で生きる」「自立する」がキーワード。
本質で生き、自由に自分の世界を創造していくことをナビゲートします。

前回の記事で少し触れましたが、
私はこの一週間ほど、ここ数年、私が長期的にとりくんでいる
学び又は試練
についてじっくり考えていました。

考える…というよりは、
瞑想したり、自分の中に出てくる感情を注意深く観察したり…。
「今回は逃がさないぞ!」ではないですが、
なんとなく今はこれに徹底して向き合う時のような気がしていました。

それは、自分という個人を越えて、自分が属する民族故の劣等感、
もしくは表面化していない部分での差別への怒り
のようなものです。

私は、一人で留学していた学生時代も含めると、
通算11年ぐらいオーストラリアで暮らしています。
それなのに、このテーマが自分を悩ませるようになったのは、
ちょうどヒーリングの実践を加速し出した数年前の頃からなのです。
それまでは同じ環境に暮らしていたのにもかかわらず、
全く気にならなかったことです。

私は、どちらかというとこちらで暮らしている日本人の中では、
かなり現地の人と混じって生活をしている方だと思います。
だから、特に表面上に苦手意識があるとかそういったことはほぼないのです。

それなのに、何故、急に数年前から、
「どこまで行っても、私の母国語は英語ではないし、
オーストラリア人でもない。それで私はいいけど、
そんな私だから、結局どうやっても白人の同僚は越えられない」
「日本ではすごく評価されることが、ここではマイナスにとられる。
これまでは『郷に入っては郷に従え』で自分を同化させてきたけど、
そんなのおかしい。マルチカルチャリズムを謳うなら、
アングロサクソンだって他の価値観を尊重すべきだ。
私はアングロサクソンの基準で評価されることがもどかしい」


そんな感情を掻き立てるような出来事がポツポツ起こるのです。

特に職場でこれは顕著です。
でも、私は過去7年ぐらい、同じ職場で働いているのです。
なぜ、ここ数年だけそんなことが気になるのか?
それ以前は、全く気にならなかったし、
同僚と同様にチャンスをあたえられ、
同じように、もしくはそれ以上に評価されていたのです。

長いこと不思議でした。

この一つの原因には、私についていてくださるアテナ神の
西洋の神々に対するいらだちの気持ちの影響があることが去年わかりました。
わかった途端、かなりその気持ちが軽減はしました。
でも、完全になくなってはいないのです。
私が忘れそうになると、決まって思い出させるように
ちょっとした出来事がやっってきて思い出させるのです。
まるで、忘れちゃだめよ、と言わんばかりに…。


最近集中的にそのことを観察していたら、
どうやら集合意識の中の劣等感や怒りをなんとかして浄化、
もしくは統合することが役割なのではないか
とわかってきました。
最近、場所とかについている想念や感情よりも、
集合意識に関係するお仕事が少し続いていたからです。
これまでのは練習問題で、これが大きな課題のようなのです。

…とはいえ、自分が感じていることに戸惑いもありました。
私のような一個人、しかもそんなに優れているわけでもない個人が、
そんなものをどうこうすると考えるなんておこがましいのではないか?
本当は、単に個人の劣等感かなにかで、それを妄想ででっち上げているにではないか?

そんな用心深い自分がいました。

これは、今回に限ったことではなく、
エネルギーのお仕事をさせていただいた前後に、
いつも心によぎることなのです。

お仕事をやっている最中は、
疑い様のないような自信がみなぎるというか、
「ああ、これだったんだ!」という感覚があるのでよいのですが、
ふと物質次元の自分に戻ってくると、
「だいたい私のような霊感もないような一個人が、
そんな大きな仕事をさせてもらうなんて、
妄想もよいところなのではないのか?」
とほぼ毎回思ってしまうのです。



そんなところに、うぐいすさんの今日のブログを拝見しました。


そこに、「それでも夜は明ける」という奴隷制度をテーマとした映画が、
アカデミー賞を受賞した
ことが書かれていました。

これまで奴隷をテーマにした映画はヒットしないのが常識だったそうで、
スポンサーがなかなかつかず、一旦は断念しかけての映画の完成とヒット、
そして受賞ということでです。
おはずかしながら、私はこの記事を読むまで、
その作品のことも、受賞も全く知りませんでした。

ブログの中でうぐいすさんがおっしゃっているように、
これは少し前にやらせていただいた奴隷海岸でのお仕事には
直接的には関係ないでしょう。

でも、このことを知ったおかげでわかったことがあったのです。
この記事を拝読したのは、今朝息子をスイミングに連れて行くのにでかける直前でした。
なので読んですぐ、車に乗り、運転を始めたのですが、
そこで「そうか!」と様々なピースがつながったのです。

奴隷海岸のお仕事は、私の中で印象に残る、大事なお仕事の一つでした。
でも、普段私は黒人問題について特に深く考えているわけでもないし、
なんでそんなお仕事がきたのかな?と不思議でもありました。

しかも、ここでもまた、数日立つと、例の考えが湧き出ていました。
「大体自分の民族にも関係しない、しかも歴史的にかなり大きい問題に
なぜ私がかかわるのか?そんな大それたことを思い込んでいいのか?」

でもこの映画の話のおかげで気づいたのです。
私がエネルギーのお仕事でかかわらせていただいた問題は、
私が関わったお仕事だけで癒されるわけではなく、
おそらくほぼ同時に世界中、もしくは宇宙も含めて様々なところで
色んな方々がそれぞれの担当した部分のお仕事をしてくださって、
そして全体としてその問題が浄化・統合されて行くんだ!


なんて当たり前のことなんでしょう!
私のお仕事だけで完結するわけではないのです。

そしてその前進の証として、
今回のように誰にでも目につくような形で
その問題が浄化・統合されつつあることを
時々神々は見せて、確認させてくれている
のです。
おそらくこの映画を完成させた監督や脚本家も、
一つのピースを担っていたのでしょう。

そして、この気づきにより、更に分かったことがありました。

きっと、私が取り組んでいるのは、
現在も進んでいる次元の上昇にあたり、
これまであった民族間の差別、優越感・劣等感、争い、
それらのものを統合していくということなのではないだろうか?

そういったものは、次元上昇した世界ではもう必要がないから。

そして、これまでは一つ一つのお仕事がバラバラの個別のものだと認識していたのが、
つながっていて、あの奴隷海岸のお仕事も、
私が近年目を向けさせられている問題も、
おそらくこの大きなテーマでつながっているのだと。

きっと、私がアジア人の一人として生まれてきているからには、
黒人問題よりも、日本人、アジア人の潜在意識の問題の方が、
おそらく本番の大仕事なのかなと感じます。

これらの情報が、数百メーター進むぐらいの間に
一気に押し寄せてきました。

このお仕事はまだ終わっていません。
でも、このことに気がつくことができたことで、
自分がやっていることの意味を初めて実感でき、
運転中にもかかわらず、涙で前が滲んで見えなくなってしまいました。

余談ですが、実は今朝の瞑想の時に、
高次の存在さんにお願いしていたのです。
「私には、どうしても何故私がこの数年、
この問題に取りくまされているのかわからないのです。
どうか今日、誰かの口を通して、私にメッセージをください」
と。

ちゃんと願いを聞いてくださったのですね。
本当に感謝するばかりです。

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