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夢見つつ深く植えよ(小さきものたちへのブログ)

私はこの自然界に存在する小さな物が好きです。

私の小さな庭に咲く花々や、そこにやってくる日頃見過ごしてしまうような虫たちにもスポットを当てながら、私も小さき者の仲間として、この自然界で共存していければと願っています。

山吹は萬葉の美人にたとえられ、萬葉人に愛された花だというこ

とです。


   わが背子が やどの山吹 吹きてあらば

    止まず通はむ いや年のはに (大伴家持)

   

家持は美しい花を手折り酒壷を抱えてきた恋しい女(人)に・・・・

「わが君の庭先に、美しい山吹が咲いているなら、毎年止むこと

なく通いましょう。」と美しい山吹に寄せて詠んいでます。


     
山吹は外国で「イエロー・ローズ」または「ジャパニーズ・ローズ」と

て呼ばれています。小さなぎざぎざの葉の形は確かにバラ科の植物

だとわかります。黄色の野茨・・・?。



先日とある場所で散りゆく桜の花びらの間に間から、ふきこぼれ

るような鮮やかな黄色の山吹が目に入った。黄の絵の具をキャン

パスいっぱいに撒き散らしたような鮮やかさだった。

黄金色の代名詞「山吹色」は強く見事な黄色ですね。


山吹は、私にとって忘れられない花です。

「山吹の咲く頃わたしのことを思い出してください」と、最後の言葉

を残して去っていかれた高校の時の山吹先生を思い出します。

山吹先生に憧れ淡い恋心を抱いていた私は、山吹先生の古文の

時間だけはまじめな生徒でした。

あれから40数年経ってしまいましたが、今でも山吹を見るたび、

先生を思い出します。

山吹先生、、、、今も、お元気でしょうか?









久しぶりに聴いたグルダのピアノ・・・。
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     香月泰男 菜の花とレンゲと蝶々
      香月泰男「菜の花とレンゲと蝶々」


春の色ってどんな色?

香月泰男が描いた一枚の絵

『菜の花とレンゲと蝶々』。


春の色ってどんな色?

夏目漱石の俳句的小説

『草枕』。


漱石を愛した

ピアニスト、グレン・グールドが

死の枕元に置いたのは、

『草枕』一冊だけだったといわれている。


山路を登りながら、かう考えた。

「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。

意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」

                        (『草枕』冒頭・・・)

漱石は『草枕』の中で

本当に美的感覚だけを追求したのでしょうか?


香月、漱石、グールドの共有した美の世界のうらには

苦悩が潜んでいる。





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桜花 散りぬる風の余波(なごり)には、

   水なき空に 波ぞ立ちける (紀貫之)


余波(なごり)とはもともと水辺に使う言葉とか。

宙に舞う桜の花びらをバスの窓から眺めていたら

見えないはずの風が見えた。

水のない空に

なごりの白波がたつってこのことなんだと・・・


桜花の散り乱れるさまに水面を感じる感覚は

この上なく美しい。


桜ひとひら

春の夢。

心の器に浮かべてみたい。


    







     
    さくら

   

    

     桜の花びら 踏んで 歩いた

     君と肩組んで 熱くこみあげた


    春よ 春に 春は 春の 春は遠く

     春よ 春に 春は 春の 春は遠く


    悲しみは 水色にとけて

     青い空の 青さの中へ


    青く 青き 青の 青い 青さの中に

    青く 青き 青の 青い 青さの中に


    哀しい夢 花吹雪 水の流れ

     ンーン ンーン 春爛漫  

                

   (森田童子全集Ⅱ『マザー・スカイ』から春爛漫 )←クリック



    さくら  


人は誰しも青春と呼ばれる一時期、混沌とした日々を過ごすこと

がある。太宰に傾倒していた青春のある時期、私は森田童子の

一枚のレコードを手にした。(最初のアルバム『グッドバイ』


玉川上水沿いに歩くと

君の小さなアパートがあった

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

君から借りた太宰の本は

淋しいかたみになりました

ぼくは汗ばんだ

懐かしいあの頃の

景色をよく覚えている。(まぶしい夏)


文学少女だった彼女が少年の感性で青春の苦悩を歌った「まぶ

しい夏」をはじめて聴いたときの衝撃は、時代を超えた今でも

れることが出来ない。消え入りそうな彼女の歌声は魂の内部に

やさしく語りかけてきたのです。


社会への反発と闘争、むくわれない恋への苦悩、怒りと憎しみを

抱えながら悶々と時を過ごし、敗北感と焦燥感にかられた若者が

やがて闘いを終えて社会の波にのみ込まれながら日常の中に

埋没してしまう・・・

森田童子の歌は、そうした若者たちの後ろ姿をやさしく包みこむ

「青春への挽歌」である。




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遠い昔のことです。まだ独身だった頃はクラシックばかりでなく

いろんな音楽を楽しんでいました。そのなかでも大好きだったの

が、ブラザース・フォアの歌で、特に好きだったのが「グリー

フィールズ」「七つの水仙」← クリック)でした。


この二つの歌は全く違うタイプの恋だと思うのですが、いくつかの

共通点もあるようです。

太陽のきらめき、緑の草原、青い空、愛しい人に寄せる想い。

恋のゆくえは・・・?

わからところが、歌っていいですね。(願望だから・・・)


庭に水仙が咲くころになるといつも思い出しては

 I may not have mansion, I haven't any land
 Not even a paper dollar to crinkle in my hands
 But I can
show you morning on a thousand hills
 And kiss you and give you seven daffodils  

と、歌うのです。特に好きなところから、 I can show you morning

on a thousand hills And kiss you and give you seven daffodils  

・・・・・・歌い始めはいつもここからなのです。

 

「ぼくにはお金も何もないけど、いくつもの丘に降りそそぐ朝を君

に見せてあげられる、そして七つの水仙と口づけをあげよう・・・」、

今から40年以上も前の歌ですが、いつ聴いても新鮮で心が洗

われてゆくようです。あの頃は、恋も歌も爽やかでした。


我が家の木コクの根元に毎年ひっそりと咲く五つの水仙。

水仙は太陽の熱や光りに敏感な花なのに日陰に咲かせるには

少し可哀想。私は、なぜこんな薄暗いところに球根を植えてしま

ったのでしょうか。太陽に輝かない五つの水仙、遅咲きで弱々し

いのです。仕方ないですね。

そういう哀れな道をたどる恋もあるでしょう。



    水仙 黄



水仙の語源はギリシャ神話のナルキッソスです。

そして、水仙の花言葉は「自己愛」「自己主義」。池に映る自分

の美しさに見惚れて、その恋が叶わぬことに絶望し、ついに池の

ほとりに立ちつくす水仙になったという少年の話から、ナルシシ

スト、ナルシシズム(自己陶酔)、言葉が生まれたという

ことです。


自己への愛が、ブラザース・フォアの歌のように他者に向けられ

ていたなら、少年は自分に絶望することはなかったでしょう。

水仙の球根には昏睡、無感覚、麻痺、を引きこす一種の毒性

があると聞いています。


もしかしたら、、、、

自己愛は地面の(心の)奥深いところにひそんでいる魔性なのか

も知れないですね。水仙の球根のように・・・。





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    春の野に 霞たなびき、うらがなし。
       この夕かげに 鶯なくも 
(大伴家持)


ああ、なんと・・・春の夕暮れの情景が人の心にピッタリと寄り添う

歌なのでしょう!。この歌は万葉集のなかでもわかりやすく、すん

なりと作者世界に入ってゆけるので私は大好きです。


この歌の中で私が特に心惹かれるのは、感傷の気持ちを表した
「うらがなし」です。
この一語が次の「この夕かげに」をいっそう

ひきたて歌に深みを持たせているように思います。


「うらがなし」とはいったいどのような感情なのでしょうか。


うらがなしとは?

深い意味があるのではなく、なんとなく、そこはかとなく悲しい、

いうほどのもの、、、、なのかなと思いつつも、この言葉に作者

感受の鋭さ、心の奥の翳りを見てしまうのです。



   春の夕暮れ



こう言ってはなんですが、家持は万葉の時代にあって、ガラス細

のような、今にも壊れそうな繊細な心の持ち主だったのでしょう

か。(そうとばかりは言えませんが)この歌全体に漂う春の憂鬱感

寂しい夕暮れを前にして自らの心情吐露する作者の孤独と

悲哀が「うらがなし」という一言に込めらているように思えてなら

ないのです。


夕やみせまる黄昏時、久々に歩く農道にしばし佇んで、辺りを

と、「何もかも春の喜びに包まれて・・・」と言いたいところ

が、竹薮の奥から鶯の声に、心なしか、うらがな

じました。







  さくらんぼ

三月の声を聞いて暖かくなると喜んだのもつかの間、中旬を過ぎ

ると太陽はぐんぐん輝きを増し昼間は初夏を思わせるような陽気

になりましたね。ほどよいぬくもりに身も心もゆったりとあそばせ

たいと願っても「ほどよい」季節は長く続かないものです。


花の開花も人間の願うようにはいかないものですね。

1月のはじめ小さな蕾を覗かせたさくらんぼ、そのまま順調に蕾

膨らませるものと期待をしていた矢先思わぬ寒さに見舞われて

しまった今年の冬でした。

蕾を硬く閉ざしたまま幾日が過ぎたでしょうか。


待って、待って、待って、やっと近頃の暖かさで日に日に豊かに

を膨らせていったさくらんぼの蕾。一輪一輪ちらほらと花開く

のを楽しにしていた私ですが、ちらほらではなく、一瞬よそ見

した隙に、打ちあげ花火のごとくぱっといっせいに咲いたのです。


   さくらんぼ 2



窓を開け放つと朝となく昼となく風に乗ってさくらんぼの花の切な

くなるようないい香りが漂ってきます。

一呼吸、二呼吸、思いっきりその匂いを胸いっぱいに吸い込むん

で私だけの小さな春を満喫する。わざわざ出かけなくても春は

身近にあるものですね。


夜の闇が辺りを包みはじめると匂いも一層深みをおびてくる。

闇に白く浮くさくらんぼの花びらをぼんやり眺めていると、あき

らめの底から再び湧き上がってくるせつなる想い、花は花のみ

を愛したい。花を満ち足りない我心の慰めにはしたくないと思い

ながら、ひんやりとした花冷え」の風に、どうか散り急がせな

いでとお願いした。


でも大丈夫、季節の移ろいも意外と気まぐれ、時折り立ち止まり

後戻りしながら流れてゆく。






    はなかんざし
      はなかんざし


 

 ふんわり軽やかな

 はなかんざしに

 光りの天使が舞い降りて

 歓喜の声を上げている

 

 指で触れると

 シャラシャラと音のする

 まるで

 紙細工のような

 花びらに

 顔をうずめて

 花の声を聞いてみる

 

 花の香りは花の声

 メントールの甘いかおりは

 春の声

 太陽の光りを香りにすれば

 こんなにも

 爽やかな匂いなのか

  

 

 







 
枝先にのこる


雪のきらめきが


無音のなかにとけてゆく


神秘の小宇宙






      冬 ミニバラ



キラ キラ キラ

キラ キラ キラ

天から舞い降りる

雪の結晶のように

キラキラと

黄色い光線を

一心に集めて咲いた

黄色のミニバラ

何の迷いもなく

一点のかげりもない

天真爛漫の黄色が

目に眩しい今朝の庭。










朝一番にチャイコフスキー作曲交響曲第一番

「冬の日の幻想」を聴きました。

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