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夢見つつ深く植えよ(小さきものたちへのブログ)

私はこの自然界に存在する小さな物が好きです。

私の小さな庭に咲く花々や、そこにやってくる日頃見過ごしてしまうような虫たちにもスポットを当てながら、私も小さき者の仲間として、この自然界で共存していければと願っています。

 リラ


なぜか、この頃むかしの歌ばかり懐かしむようになりました。

歌詞もメロディーも単調な歌が多いのですが、深く心に染み入り

情感がこもっているので好きなのです。

昔、ディックミネが歌った「夜霧のブルース」の二番・・・

可愛いあの子が 夜霧のなかで 投げた涙の リラの花、・・

この歌詞に哀愁を感じるのです。


ヨーロッパでは春を告げる花として知られるリラの花。

ライラック、フリーダ 呼び方はいろいろ・・・

私はやっぱり・・・リラ(lilas)の響きがロマンティックで好き。

ぶどうのように一房の小花は深く4つに分かれていて、晩春の静

かな夜に花弁を開くリラの花びらは上品なうす紫。

運よく5つに分かれている花びらをつけた時に、黙ってのみ込

と大切な人が永遠に離れないとい言い伝えがあるそうです。

(5弁の花びらをラッキーライラックと呼ぶ)


   リラ  ラッキーライラック

さくらの花が咲く頃に「花冷え」という言葉がありますが、春遅い

北海道ではリラの花が咲く五月の終わりごろの寒さの戻りを、

い言葉で「リラ冷え」と呼ぶそうです。

私はリラの花に爽やかな初夏を感じます。

夜、甘く華やかな香りが漂うリラの花の下に立つとひんやりとした

風が吹き抜けていきます。


初恋の感動」「若き日の思い出」「青春の追憶」「愛のはじまり」
花言葉も青春の息吹と切なさを感じさせてくれます。

つかの間の美にかけるリラの命は短く、もう一度あわせて・・・。

余韻を残しながら色あせていくリラの花に、個性的な若い女性

振り向きざま見せる一瞬の、あの美し重ね合わせてしまう

です。



ライラック:別名 リラ 学名 Syringa vulgaris モクセイ科 

      シリンガ属 (ギリシャ語のシュリンクス 笛)

            むかしこの木の枝をくりぬいて笛を作ったという。

      和名  花丁香花(ハナハシドイ) 金衝羽(キンツクバネ)

      外来種 紫丁香花(ムラサキハシドイ)

           枝先に房なりになの花を蜜に咲かせせることから

           「端に集う」の意

      原産地 東ヨーロッパ~北西アジア

      香り  バイオレットのように甘く個性的

      日本へは明治の中ごろ北海道のスミス女子高校(北星学

      園)の創始者スミス女史が故郷アメリカから持ち込んだと

      いわれている。

      



冒頭の甘く切ない美しい旋律がいつまでも続いてほしいと思いな

がら聴くメンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」

一瞬の美しさにかけるリラの花を想いました。


千住真理子, チェコ・ナショナル交響楽団,

メンデルスゾーンヴァイオリン協奏曲



  さくらんぼ

 きょう5月6日は暦の上では立夏とか、春の終わりに降る雨、

今日降る雨は、春に別れを告げる雨、こまやかに音もたてず

 大地を潤し庭の草花に一時の安らぎをもたらしています。

 春の雨に育まれる自然の美しさ、雨に濡れる若葉の麗しさ

 大きく息を吸い込むと体全体に新鮮な酸素がいきわたるよう

 なみずみずしい感覚に・・・。


 10日前はまだ青かったさくらんぼが艶やかに色づいて朝の

 雨に濡れています。透き通るような愛の色、天国の果実と例

 えられるさくらんぼの実を見ていると

 

  ♪~さくらんぼの実る頃は 

    胸いたむ悩ましい 恋の季節よ 

     離れれば胸はうずき 寄りそえば苦しくて 

   色づいた さくらんぼの 実のように悩むよ~♪


 あの有名なシャンソン「さくらんぼの実る頃」 を思わず口ずさ

 みたくなってきます。若かりし頃の恋の思い出が甦るさくらんぼ

 、食べるのがもったいないと思いながらもついつい愛らしい赤

 実誘惑に負けてしまう私です。



    ソラマメの花

     散歩道、農家の畑に咲くそら豆の花


昨夜、庭に出て気持ちのいい風に当っていると、どこからともなく

の鳴き声が聞こえてきました。

我が家のトムくんではなさそうです。


四月も終わりになると

季節の移り変わりが目に見えてわかりますね。

太陽は日に日に高く上り、降りそそぐ光もきらめきを増し、見る

のすべが輝いています。

庭に出ても、一日おきに降るやさしい雨に、庭土しっとり湿り

ツルニチニチ草の紫を一層引き立てています。


夕方の散歩道では

農道を吹きわたる風爽やかな五月の風。

一瞬の風になびく若葉の緑がいかにも柔らかそう。

風薫る五月、美しい言葉・・・。

季節の変わりめを五感で感じながらの散歩。

田畑はきれいに耕され、畝が真っすぐに延びていて、思わず

と気持ちを真っすぐにして、、、、

そう思わせるような直線です。


畑の冬野菜にトウが立って後は種を取るのを待つだけに・・。

いまから筍を迎えるえんどう豆やそら豆の花が緑の中で踊っ

す。豆の花を見るとちょうちょはひらひら 豆の花、

七色畑に 妹の つまみ菜摘む手が 可愛いな~歌ってし

まいます。

豆の花もいろいろで、

そら豆の花はえんどう豆の花より可愛くないな、と・・・。


そら豆といえば

どうしてもこの人

香月泰男のそら豆の絵と

それに添えられた短い言葉。

シベリア抑留体験のある一人の画家の生きかたが

垣間見える一枚です。


     香月泰男

   香月泰男画集「春夏秋冬」より そら豆

 

「善人ぶったのより悪人ぶった人間が好きである

また事実その言動には艶がある。

艶、

それはわれわれの仕事には欠かせぬ

だいじなものであるらしい」


「悪人ぶった人間」

確かに

そら豆に似た深い味わいがあるかもしれないですね。

ごつごつした莢からこぼれ落ちる艶やかなみどりに

私は・・・少し心ときめくのです


空にむかって咲くそら豆の花を見ていたら、

私も

空にむかって、

大きな声で叫びたくなりました。





香月泰男画集(春夏秋冬)
谷川 俊太郎, 香月 泰男
春夏秋冬

      きゅうり草

      この可愛らしさに魅せられて・・・

    
ある日突然知らなかったことを知るよろこび、それは、どんな小

さな出会いでも心躍るものなんですね。

野の花を撮り始めて、その小さな存在に気がつきました。

田んぼのあぜ道に咲くの野の花、オオイヌノフグリ、ぺんぺん草、

カラスノエンドウ、タンポポ、ハコベ、ホトケノ座、そのなかに、気

つかなければ踏んでしまいそうな小さな小さな可憐な花が・・・。

名前も知らないまま、シャターを押し続けてやっと撮れた一枚の

写真。(少しピンボケ、色も薄めに・・・)


春の空を思わせる淡い瑠璃色の花びらは5枚、花弁のなかは黄

色い輪で彩られています。

小さくて可憐な野の花の名前は「胡瓜草」

愛らしいブルーと黄色の色合いが春の野によくあって、なんとも

おしゃれな胡瓜草は自然からの素敵なプレゼント、自然の神秘に

感動!!。この花を見ていたら幼い日、クレヨンで描いたお花の

絵を思い出しました。まーるい小さな円を描いて、そのまわりに花

びらを5枚描いた平面的でシンプルなあの絵。


胡瓜草が田んぼの畦道から消える頃は、もう初夏。

お花はいいですね。

来年また会おうねといえる楽しみを与えてくれます。

この花との出会を胸に、今日を生きよう!!。

自然の移ろいとともに、時は流れる・・・。


キュウリグサ



胡瓜草:キュウリグサ 別名タビラコ(田平子)
     
ムラサキ科・キュウリグサ属 二年草
     学名:Trigonotis peduncularis
     花期は3~5月。

     直径2、3mmの花びらは忘れな草を思わせる。

     茎が伸びてくると首を傾げたように咲く姿が可憐。

     名前の由来 葉を揉むとキュウリのにおいがする・・・?

   ブルーベリー

拝啓 

新緑の候、いかがお過ごしですか?

こんな一筆をしたためてみたくなるような今日この頃ですね。

キラキラと若葉が光る雨上がりの今朝の庭、可愛らしい小さな

花が低い塀から顔を覗かせていました。「まぁ~可愛らしい」と思

わず声が・・・。

こんなに清らかに咲く白いブルーベリーの花をもう少しで見過ご

してしまう所でした。光があまり射さない庭の片隅に小さな清楚な

白、白い花のブルーベリーの葉は初々しい浅緑色。

浅緑色のブルーベリーの葉に逝く春を感じました。


ブルーベリーの白い花の形を見ていたら幼い日のことが急に甦

ってきました。おしゃれだった母はいつも小奇麗に私たち姉妹を

飾るのが好きでした。子どもながらにそれが嫌で嫌でたまらなく

て、何かと母に抵抗した私でしたが、唯一大好きだったのは、母

が縫ってくれた白いちょうちん袖のワンピース。


ブルーベリーの花に、幼い日、よそゆき着だったあのワンピース

を着て写した家族写真を重ねていました。

今から五十年も前の色あせた一枚の写真、セピア色の思い出。

セピア色の遠い記憶の中からなかから、あの頃の美しい母の

笑顔とともに懐かしい声がどこからともなくしてくるような、、、。





いま、「マドンナの宝石」 (クリック)の間奏曲を聴いています。

あまりにも美しい曲なので時々聴きたくなります。
歌劇「マドンナの宝石」全曲は今日では演奏される
こと

はないそうです。


サー・ゲオルグ・ショルティ,

ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団,

ラファエル・クーベリック

バイエルン放送交響楽団,

天国と地獄~オペラ名管弦楽曲集



    枝垂れ桜 4,19
   家の近くの公園(三徳園)の枝垂桜 今が満開でした。

ある出会いが自分の人生に大きな影響を与えるということを知り

ました。今から12年前に手にした加賀乙彦により編纂された

「死の淵の愛と光」、この一書がその日から私の人生の道しる

になったのです。

きょう4月19日は今から38年前12月9日に死刑執行されたその

本の主人公A氏の生まれた日です。(彼は加賀乙彦の長編小説

「宣告」における「他家雄」のモデルになった人)。


それにしても、人と人との出会いは不思議なものですね。

姫路在住のMさんという一人の高校教師(後に修道女に)が

1966年6月1日、A氏宛てに書いた一通の手紙から二人の往復書

簡がはじまったのです。

塀の中にある人と塀の外にある人、A氏とMさんの往復書簡は

1969年12月9日、彼が死刑執行されるまでの約三年間で両者を

集めると1400通(A氏450余通、Mさん900通以上)にもなるとい

厖大なものです。


獄中で、宣教師カンドウ神父により洗礼を受けキリスト者となった

A氏は、ぎりぎりの生の中で小説を書いたりエッセーを発表すると

いった孤独な独房の日々のなか静かに思索の世界に入って

き、自己を見つめ自己を充実させていった彼が、Mさんに対して

け、境遇の許限りの範囲で自分自身をさらけ出し、独房

常生活をユモアを交えながら、決して自分のおかれた

を忘れることなく、事細かに、暖かい言葉で、愛情に満ち溢

紙を書きっています。


   桜(御衣黄)4,19
    岡山 三徳園の黄緑色の桜御衣黄 今が見頃


ほとんどの手紙はくだけた話し言葉で書かれていますが、大切な

ことはきっちりと核心に触れて自分の考えを彼女に伝えています

。たとえば、MさんがA氏に寄せる想いには、このように答えて

ます。

少し長いでのですが・・・

君への信頼は、「信じる」というコトバの分かりにくかったぼくに

は、本当に良い、深い意味を持ちました。ぼくは確信しているの

です。Mくんは、ぼくを裏切らない、と。ここにいう裏切りとは、

して変わりやすい人間性を予想しないものではありません。

ぼくたちはお互いに何一つ誓い合ったわけではない。全く自由

です。そして、お互いがもつ自由において、相互に信じ合う、と

いうことが、この世にたしかにありうると知りえたことくらい大きな

喜びはないのです。

人の心は、たとえ自分の心だって、未来はわからぬかも知れな

い。移り気でなくたって、人の心は絶えず進展するものです。

でも、たとえ変わるとしても、ソレがめいめいの人生の、さけるこ

とのできなぬ外的変化の故であるなら、致し方ないことですね。

君が良縁をえて、素晴らしい結婚生活に入っていくときも、ぼくは

心から祝福してあげられるし、今のままでも喜んで「わが友」と

呼ぶし、修道に入るなら「ちっちゃいシスターさん」と声をかけて、

一緒に神の御前に止まるでしょう。


     山桜 4,19

      三徳園 山桜 控えめに咲いて美しい。


また、出会いについても・・・

「出会い」というコトバの意味は、浅くも深くもその人々の自由に受

け止められますね。いろんな出会いがある。会っていて心ここに

あらず、という出会い。その時は嬉しくても、すぐに忘れてしまう

出会い。情熱的になんとしてでも会わずにいられぬ出会い。会っ

ていてほのぼのと楽しく、のちのちまでも心にあたたかみが残る

出会いもある。そしてむろん意味深いのは、その人々の存在が

深い根源にたっているときでしょう。そこでは、出会いとは、現実

にカオとカオをあわせているときでも、そうでないときでも、たいし

たちがいはありません。

この手紙はMさんがA氏のいる東京拘置所を訪ねたあとすぐ

彼女宛に出された内容の一部です。


その後はこう続いているのです・・・

M君、来てくれてありがとう。これからは、きみの手紙を開くた

に、きみの生き生きしたカオがピョンと飛び出してくるようなそん

な楽しさをあじわえることでしょう。きみのおかげで、人間への信

頼がいっそう深まってきました。ほんとうにありがとう。

 ゆうぐれ。蝉。行水。ドテーン! また、いらっしゃいね。きっと。


   はなびら 4,19

  三徳園の溝のわずかな水に浮くさくらの花びら

1969年12月8日の朝、明日がその日と告げられ、取り乱すこと

もなく死を受け入れ死に臨んだA氏は、処刑前夜から処刑

間前まで断続的に書き綴った老いたお母さんとMさんの手紙

(加賀乙彦とA氏の対話集「ある死刑囚との対話」)を残していま

その手紙を読み返すたび私の心は新たな満たされ

す。

毎日死と向き合い、死について真剣に思索しながら、その日

A氏が残した言葉の重みを噛みしめながら繰り返し、繰り返し

を正して読む一書、もし、私が臨終を迎えたとき、あのまでも

ていきたいと思うだだ一つの、大切な本のです。



きょうの一曲は、リストが好きだったというA氏、自由の身でなくな

ってから15年のあいだにリストのピアノ曲を2回だけ聴くことがで

きた。そのなかの一曲「ラ・カンパネラ」です。


フジ子・ヘミング, ショパン, ドビュッシー, リスト

憂愁のノクターン



   もも

   天真爛漫に咲く桃の花


二本の足で気軽に踏み出せる散歩もいいけれど、風を切って

自転車での散歩?は春風が吹く今この季節が最高です

春になると心うきうきとサイクリングしたくなります。

ことしは満開の桜に出会えなかった心残りをさっぱりと捨てて

春たけなわのある日、愛車(と言ってもサイクリング用の自転車

ですが・・・)で家より少し離れた桃畑までの道を颯爽と走っていく

と風が爽やで心地いい~~!!


岡山は白桃で有名な桃の産地、我が家から少し足を延ばせば

いたるところに桃畑が点在しています。淡く、儚く、艶やかに咲い

人の心を捉えてやまない桜の魅力には叶わないかもしれない

けれど、純真無垢な明るさを感じさせ桃の花は、遠くから見て

も近くから見ても、とっても可愛らしい・・のです。


まるで大きく手を広げたように横に延びている桃の木は背丈が

っていて、遠くから見るとピンクの絨毯が宙に浮いているような豪

華さです。あたりの空気までが桃色ピンクに染って印象派の風景

なかをサイクリングしているような気持ちになりました。

思わず、、、、♪咲~かせて 咲~かせて も~もいろ と~いき

き~れい~と いわれ~る 時は短すぎて~~と歌っていました。


   もも

   本当は もっともっと美しいももばたけ


濃い桃色をした桃の花は、可愛らしいというだけでなく、少し恥

じらいのある色香を漂わせています。桃の実の容からもなんと

なく、ほのかな色香がうかがえますね。

明治、大正時代に少女が結った髪型「桃割れ」も桃の丸みから

そう呼ばれたらしいですね。

もしかして、ピチピチの乙女のような桃の姿から、桃をピーチ、と

いうのでしょうか?へんな駄洒落のようになってしまいましたが、

真剣にそう思っていたころがありました。

桃も桜と同じように、花の色も、白、淡紅、濃紅があり、葉より花が

先にでるのに、桜のように決して「姥桜」などと呼ばれない桃の花

永遠に乙女の姿を留めたままなのです



きょうの一曲はベートーベンのヴァイオリン協奏曲です。

クレンペラー指揮

シェリング(ヴァイオリン)

クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団

  



   


   トム


中国のことわざに、「春困秋乏」というのがあることを、つい先日

新聞(毎日新聞 余禄)」で知りました。

春困とは、春のけだるさのことで、「春は眠たく、秋は疲れや

すい」の意味だそうです。

日本にも春困と同じように春の眠気を示す「蛙(かわず)の目

借り時」ということわざがあるということも知りました。

春、かえるが盛んに鳴く頃の眠くてたまらない時期のことだと

うことです。もとは蛙が恋をする春を「蛙の妻狩(めかり)時」

と呼んで、蛙が雌を求める意が転じたところからそういわれるら

しい。


それにしても、昔の人はなんといい言葉を残すのでしょうか。

いつも感心させられます。

古くから現代まで受け継がれてきた言葉やことわざには人間の

人格や仕草を、人間以外の生き物に譬えることがなんと多いことか。


   トム

確かにポカポカとした春の陽気に誘われてついウトウトと心地

よくなることはしばしば・・・。

二月の終わりごろから暖かい日に時々姿を見せていた親友の

トム君が今年もお気に入りのビオラの鉢植えに居候を決め込ん

でいます。うれしくていつものように「トム君こんにちは!」と、

声をかけても知らん顔でお昼寝中、私があまり追いかけるので

逃げ惑いながらも半分夢の中、人間も蛙もまどろみを邪魔される

のは迷惑なこと、、、。そっとして、私もトムくんを見習って、、、

気がつけばもう夕方?

こうしてきょうも、ひねもす のらり くらりかな のどかな春のいち

にちは暮れていったのです。



    かりんの花
    かりんの花は・・・ 散るのは早い


いっしょに居て

居心地のいい相手とは

自分をさらけだせる相手

さらけだすことと受け入れること

そこから生まれる

許しあう心と心

ゆったりと花びらをひろげ

いびつながら大きな実を結ぶ

かりんの花にそんな想いを・・・。


   春の野

   田んぼのあぜ道もはるうらら、早くもタンポポにバッタ?


 うらうらに照れる春日に 雲雀あがり、

 情悲しも。 独し思へば


この歌はいにしえの歌人大伴家持が春の盛りに詠んだ歌で

萌えいずる春になにか感傷的な憂いを感じさせるこの歌に

共感を覚えながら、時代を経て、世の中は様変わりしても人の

情緒、心の働きは昔も今もあまりかわらないものなんだなあと

、一人しんみり思ったりしながら、、、。

この季節になると、私のぐずぐず病のせいで、満開の桜のお花

見の機会を逃してしまい、にぎやかな春に背を向けてしまうの

です。


きょうはいつもの散歩道を少しゆっくりと歩きながら、あたりを見

回すと、田んぼのあぜ道に、たんぽぽ、カラスノエンドウ、ハコベ

、ホトケノザ、オオイヌノフグリ、ナズナ、、その他、名も知らない

が咲き乱れていました。


季節の移ろいとともに咲く花も違い、農道のいたるところに冬から

春へと受け継がれた自然の命が息づいています。

近くの山では春風に若葉がなびいて、けむりのようにぼやけて見

え、遠くの山と近くの山をくっきりと際立たせています。


田んぼのあちこちで、姿を見せないひばりがにぎやかにさえずり

、光あふれる春爛漫を謳歌しているように思えました。

その時、どこからともなく、さくらの花びらが舞い散っているような

錯覚に・・・。

あたり一面、春色春霞、春もやにかすんだわたしのまわりに私だ

桜幻曲が鳴り響いているかのようでした