「好きだよ」と
あなたが投げた一言が
波紋のように広がって
いいたいことが胸にあふれます。
失われた夢を
甦らせたように花開いた
薔薇 「ニコル」
五月の庭にかすかな香り
砂糖菓子のような
繊細さとたとえられる
愛らしい花びら
ひとひら
そっと口に含んで
みたくなりました。
娘の二十歳の記念に植えたニコル。
色あせないままでいてね、の願いを込めて、
今日の一曲はモーツアルト作曲、コンサート・ロンドニ長調です。
- ブレンデル、
- モーツァルト:ピアノ協奏曲集
「好きだよ」と
あなたが投げた一言が
波紋のように広がって
いいたいことが胸にあふれます。
失われた夢を
甦らせたように花開いた
薔薇 「ニコル」
五月の庭にかすかな香り
砂糖菓子のような
繊細さとたとえられる
愛らしい花びら
ひとひら
そっと口に含んで
みたくなりました。
娘の二十歳の記念に植えたニコル。
色あせないままでいてね、の願いを込めて、
今日の一曲はモーツアルト作曲、コンサート・ロンドニ長調です。
五月の朝は気持ちいいですね。庭に出て、ほのかに香る薔薇
のにおいに包まれながら、大きく深呼吸を一回して空を仰ぐと、
すっきりと晴れた青い空に淡墨を刷毛でスート延ばしたような雲
が広がっています。
五月は季節の変わり目、気がつかないうちに美しい五月が過ぎ
去ろうとしています。
ほんとうに時の過ぎるのは早いものですね。
最近では新幹線なみの速さで過ぎていきます。
あっという間のわが人生。
二十代、三十代は時間に関する観念が希薄で時間を無駄に過ご
しているなどと考えてなかったように思います。
まさに光陰矢のごとしです。
むかしから使い古された言葉、「少年老い易く学なり難し 一寸
の光陰軽んずべからず」、若いときは移ろいやすく、時間を無駄
に使ってはいけないということなのでしょうか。
「池塘早春の夢、階前の梧葉、すでに秋声」のごとく、ほんのちょ
っとした間に辺りの風景が変わっているのに驚きます。
散歩道にすがすがしく咲いていたヤグルマギクもいつの間にか
色あせ、その隣には、たち葵が低く咲いている。遠く近くに見え
る山々は五月の雨に洗わるたび緑深く夏山へと変わっていく
姿に、時の流れを感じます。
昨日、久しぶりに土手に上ってみると四方の風景が一変していた
。ぼんやりとした春の夢から覚め切らないうちに、自然は日々新し
く変化している。東の空に目を移すと、かすんで見えていた山の
端がはっきりと浮きでて、青い山が幾重にもくっきりと見えるのが
新鮮に感じられます。
いにしえ人は緑したたる山が幾重にも重なる光景を目にして
「畳なづく青垣」と、磨きぬかれた言葉で表現しています。
どうして昔の人はこんな言葉が浮んでくるの?と、感心してい
る場合ではありません。
先日娘がメッセージ欄に入れてくれた言葉。
「まことに、日に新たに 日日に新たに また日に新たなれ」。
娘の「日々向上してね」のことばと共にしっかりと胸に刻んで
このところ庭の片隅に餌を置いてスズメが舞い降りて来るのを
待っている。
お向かいさんの屋根に勢ぞろいした(7~8羽ですが)スズメの
一集団が次々に舞い降りてきて、植木鉢の上でピョンピョン飛
び跳ねながら餌に近づく様子があまりにも可愛らしいので、
台所のカーテンを開け、日がな一日その姿を写そうとしたので
すが、ピンボケばかりで、ガッカリしている姿を夫に見つかって
しまいました。
夫は半ば呆れ顔で、「それだけ辛抱強くスズメを待てるのなら、
その辛抱強さとエネルギーをもっと違うところで発揮したら・・・」
と、きついお言葉。一日中家事をほったらかしてスズメを待って
いる奥さんを持った旦那のボヤキにも似たその言葉、わからな
くもないなと思いながら、三日間でやっと写せた下手な写真です。
スズメの生態は全く知らないのですが、すずめ社会も人間社会と
ある面似ているな、と思うことがたくさんあります。
強いものと弱いもの、同じ仲間での生存競争、親子の情愛、一人
でいるのが好きなスズメ、いち早く餌にありつけるのは胸の白い
所に黒い斑点がたくさんついているスズメのようです。
スズメ社会も縦社会、規律が厳しいようですね。
規律は厳しくても仲間を守ろうとする防衛本能は、チームワーク
ばっちりなのです。ひとりで生きて、人知れず死に場所を見つけ、
人知れず短い生を終える小さきものたちに「私も仲間よ」と、言っ
てみたくなりました。
毎日同じ道を散歩していても一日一日少しづつまわりの景色が
変わっていくのがわかります。春のあいだ田んぼの畦道に咲いて
いた野の花はいつの間にか色あせて、あの可愛らしい姿は春とと
もに何処かへ、、、。
春の別れを十分しないまま少し心残りを感じながらの散歩、どこ
からともなく、吹くとはなしに吹く風が運ぶ甘い香り、その匂いを
たどりながら行くとある農家の庭先にたどり着いた。
遠くからこんなにもいい香りを漂わせていたのは八朔の花でし
た。
秋の金木犀をふと想いおこさせる八朔の花の香りの前で足を止
めて、いつもは会釈だけだった農家のおじさんに、「いい匂いで
すね」と思わず声をかけると、日頃顔を合わせても無愛想なおじ
さんの顔がほころんで「何か知らんけどこの花の匂いはええ匂
いじゃ」といいながら、「今年は80個は実をつけるよ」と教えてく
れた。実はなってもあまり食べないとか、「もったいないですね」
、「代わりに私が、、、」といいかけて、あまり調子にのるのもよく
ないかな?と思い直して話はそこまで。
八朔と言葉に出しただけなのに、なぜか口の中には唾液が一杯
になってきました。その香りも、いつまでもいつまでも私のまわに
漂って、どこまでもついてくるのです。
むかしの人なら、誰が袖に匂い残れる、などと美しく表現するの
でしょうが・・・。
いつまでも誰かを想っていたい余情を残す甘い香り、八朔の花
の香りは、私にとって罪な香りといえるかもしれない。
花にも身じろぎがあるとかいいます。
いったいいつ身じろぐのでしょうか?
「沈黙の花」と名づけたクリスマス・ローズ。
早春の庭に喜びをあたえただけで
あれから三ヶ月、
ただ一点を見つめ
ひたすらうつむいたまま
なにがあっても面を上げない。
花のように見えるのはガク
そのなかに潜む花は
どんな花を咲かせているのでしょう。
花びらは散りゆくの?
沈黙するクリスマス・ローズも呼吸はしている。
そんなクリスマス・ローズに想いを寄せて
再び読んだ「沈黙の春」(レイチェル・カーソン)
春の野に鳥のさえずりはなく、海からは魚がきえる。
汚れきった空気と水、
この大自然が沈黙する
そんな世界が遠い遠い、いつか
来ないことを祈るばかりです。
レイチェル カーソン, Rachel Carson,
ハクサンハタザオ
人ごみの中にいると疲れてしまうのと同じで、あまり多くの花を
見ると疲れてしまうことがあります。
野の花の一輪一輪、自然の中に咲く花を見るとほっとする。
新緑のすがすがしい季節、若葉もえる真っ只中に咲くハクサン
ハタザオの可憐な清らかな白。虚飾とは無縁で心安らぐ。
ムシカリ
わずかな空間に満ちあふれる五月の光が、北山杉の濃い緑と
樹齢何百年といわれる楓の青葉を美しく際立たせている古寺の
境内にひときは映えるムシカリの白。
がくアジサイかとみまがうムシカリ、葉っぱを虫に食われる所から
この名前がついたとか。
ミヤマハコベ
お寺の楼門をくぐると本堂に続く苔むす石段の脇道から顔を
覗かせていたハコベ、いつもの散歩道で見るハコベより一回り
大きな花、霊気こもる修験の場、深々とした静けさの中に咲く
一輪の深山ハコベ、雑草と呼ぶのがはばかれる可憐な白が
無垢清浄。
日本人はもともと色に対する感性が鋭いのではないかと思うの
ですが・・・。身近な花や鳥から桜色、桃色、鶯色、鴇色、・・・と
自然界に存在する色からとられた色はたくさんありますね。
「四十八茶百ねずみ」、茶色は48種にねずみ色は百種あるとか。
そういえば「利休ねずみの雨が降る・・・」、歌の中にも出てきま
す。黒髪をたとえて、からすの濡れ羽色、古くから培われてきた
たとえの文化、色彩に対する感覚や表現力の豊かさ、色に対す
る日本人の美意識はいつ頃から生まれたのでしょうか?
平安のむかし、さまざまな色を着こなしてきた光源氏が到達した
色の極致が「白」だったとは・・・。
古寺のムシカリの白に悠久の歴史の流れを感じました。
山路来て なにやらゆかし スミレ草(芭蕉)
京都の市街地から少し北へ入った人里はなれたお寺の春は遅い
。北山杉に囲まれた参道に咲く野辺の花。
人知れずという言葉がいかにもふさわしい手付かずの自然が
残されている。4月の終わりだというのに朝の冷気が身にしみる。
このお寺の冬は雪も多く厳しい、厳しい寒さを耐え抜いて咲く
野の花、それゆえに心打つ美しさがあるのでしょうか?
山路深く静かに咲く花を見つけると、すでにDNAにくみ込まれて
いるかのように、すっと琴線に触れ、心のふるさとにかえれるよう
な喜びを感じるのです。
あまり人に見られることに慣れてない奥ゆかしさがあります。
薄紅の蕾をパッと開くと白い花がポンと飛び出たように咲く
ツルカノコソウ、時期がずれると出会えなかったかもしれない。
お寺の階段の苔のなかに見つけた可愛らしい花。(2mmくらい)
写真を写すようになってはじめて見つけた花に、心も躍った。
一輪草の花びらで繰り広げられる生存競争、自然の摂理とは
いえ、食うか食われるか、
生きるためには、、、。
食べなけれはならない
理想や夢を語る以前の世界が・・・・。
カテンソウ?思わず「何に勝てんの?」と姉に、、、、浮世離れし
た生活の長い姉は私の冗談をまともに取って、ちがう、ちがう、
「あなたは何も知らないのね」・・「花点草」と書くのよ、と大真面目
に教えてくれた。「やっぱりお姉さんには勝てんわー」とまた冗談
で返すと「あなたはいつまでも子供みたいにあほな事ばかり言っ
て」と、面白くない私の冗談についてきてくれないのです。
そんな姉に、私は、、、最近反抗気味なのです。
子供の頃から姉の美しさに憧れ、勉強もよくできた姉を理想の
女性と長い間慕ってきたけれど、最近つくづく感じる心の隔たり。
霊気を感じる京の山寺に長年住んでいると人間よりも、おおルリ
やミソサザイ、野の花、ヤマネ、ムササビ、鹿などもの言わぬ友
に親しみを感じるようになるのも仕方ないこと。
それでも何かあると私を頼りにしてくれる姉、
声も仕草も私とそっくり、
姉妹の絆、、、
切っても切れない何かで繋がっているのですね。
ツルカノコソウ:オミナエシ科 カノコソウ属 別名 ヤマカノコソウ
つる性で花の咲いた後、つるを伸ばしてふえる。
名前の由来 小花が密にならぶようすをかの子絞り
に見たててそう呼ばれる。
カテンソウ:イラクサ科 サンショウソウ属 学名 Nanocnide japonica
山野の森林に群生する多年草。
高さ10cm~30cmでた多少毛がある葉は互生し菱形状
卵型で、長さ幅とも1~3cm、上部の葉の脇から花柄を出
し雄花をかためてつける。め花は葉上部の葉の付け根に
かたまってつく。
目を凝らさないと気がつかないような小さい花。
我が家のブルームーン、一番良い顔のとき、次の日はもうだらんと・・
写真写りのいい人と悪い人があるように、薔薇にも私を悩ます写
真写りのいい顔と悪い顔があるのです。
名前も美しく香りは芳醇なつるばらブルームーン、わたしの腕が
悪いのを棚に上げていうのもなんですが、ブルームーンの花の
命は短く、昨日の顔と今日の顔では雲泥の差が・・・
一夜明けると一気にその容姿に衰えが・・・・。
薔薇の話はこれくらいにして。
先日(5月8日付け)、毎日新聞の投稿欄に興味を引く記事が・・
70歳の女性が書かれた「女の気持ち」、ご病気の投稿者のかた
には悪いのですが、思わず笑いがこみあげました。
「女を忘れず」の題名の後は・・・
この年で男性に誘われた。
バスの中でむかいに座っいる人品卑しからざる紳士の
視線が突き刺さるのを感じる。わたしが下車すると、
何と紳士も同じ駅で下車された。
遠慮がちに「コーヒーでもいかがですか?」
「私も見捨てたものではないわ」と少しの自信に支え
られ喫茶店に入る。コーヒーが出るまでに化粧室に
入って顔のクレーターをコンパクトでごまかす。
70歳には70歳の青春があるというが、現実にこんな
チャンスに遭ったのははじめてで、何からしゃべったら
いいのやら鼓動だけが高鳴る。
おもむろに名刺を差し出し紳士は「景観最高の場所で
今、墓地の売り出しをしています。小鳥のさえずり、
四季の花に囲まれてほんとうに落ち着けますよ。」
「申し訳ないですが、私は主人も子供も先に逝きました
から、墓地はあるのですよ」。
バスの中から、がんで通院中の私から死相を読み取り、
目をつけられたのだろうか?
全身から緊張感が、破れた風船のように抜けていくの
が分かった。「確実に死が近づいているなと」と実感する
日々だが、それでも女を忘れなかった自分をちょっぴり
褒めてやりたい。
簡潔な文章の中に、女である自分、闘病のことがさりげなく書か
れていて、紙面からキラリと光るユーモアと人柄、私が心惹かれ
るくらいだから、あの人品卑しからざる紳士の方、仕事のこともさ
る事ながら、きっと素敵な女性と思われたに違いない。
私も70歳までには後10年、
もし、、、を想像して、
バスの中で
私にも、、、、、
そのときのために自分磨きを、、、
何を考えてるの?
ありえないって!
新聞の記事を読んだくらいでときめいて
あぁ~もうこれ以上の妄想はやめておこう。
糸のようにしなやかに垂れ下がる柳が風に揺れる風情はなんと
なく現実離れした世界。
「やなぎに雪折れなし」 しなうやなぎの枝は雪が降っても折れ
ない、柔軟な心は弱々しく見えても強いということなのか。
柳のようなしなやかな感性を持ちたいと常日頃から願ってきまし
たが歳とともにしなやかさが失われつつあります。
自然の美しさを讃える言葉としても、また世の中はさまざまである
という例えとしても使われる「柳は緑 花は紅、」古くから柳は、
人間社会でいろいろなことにたとえられ現代よりもっともっと生活
に密着した存在だったような気がしてなりません。
中国では古くから、旅立つ人を見送る際に柳の枝を折って別れ
るならわしがあるそうです。
漢詩の中でも覚えやすく、私が諳んじてるいるくらい魂の深奥に
触れる詩。
唐代の叙景詩人王維の「送元二使安西」(元ニの安西に使い
するを送る)です。
渭城の朝雨軽塵を潤し
(いじょうのちょううけいじんをうるおし)
客舎青青柳色新たなり
(かくしゃせいせいりゅうしょくあらたなり)
君に勧む更に尽くせ一杯の酒
(きみにすすむさらにつくせいっぱいのさけ)
西のかた陽関を出れば故人なからん
(西のかたようかんをいづればこじんなからん)
渭城(いじょう)の早朝の雨がちょうどよく、軽く舞い上がるちりを
しずめ旅館の前の柳の芽も雨に洗われて、今朝はとりわけ新鮮
に見える、渭城まで見送ってきたがいよいよここで君とお別れだ、
酒はもう十分だというかもしれないが、最後にもう一杯だけ、さあ
飲もうよ元ニ君、これから西に旅して陽関をでたならば共に杯を
交わす友ももういないのだから・・・。
この詩は友人元ニがはるか西の僻地まで使者となって行くのを
見送った詩。「陽関三畳」と言って送別の時、最後3回繰り返し
詠うならわしとなっているそうです。
私は・・・
「君に勧む更に尽くせ一杯の酒」のところで、その情景を
想像して熱いものがこみ上げてくるのです。
遠くに向かう友を最初の宿場まで見送り、
共に過ごした旅館での一夜。
こんなにも心のこもった友人との別れがあるでしょうか。
言葉は少なくてもしみじみと語り
共に酌み交わす別れの杯。
一夜明けて
最後の一杯を友に勧めながら
別れを惜しむ切々とした情感。
人は心です。
心を尽くして結ばれた人と人の絆
友であれ肉親であれ変わりはないと・・・。
王維 (おうい)701年~761年 一説には699年~759年
唐代の詩人 山西省出身
安西 西域に通じる要地。
渭城 咸陽。長安の西北にある町。
陽関 西域に行くのに通過する関所。敦煌市西南70公里
シルクロードの要塞地
客舎 駅舎(旅館)
故人 古いなじみの友人。
きょうの一曲はテレサテンの「何日君再来」です。
二番目の歌詞・・・別れの歌をやめよう、もう一杯飲もう
と歌っているところが、「陽関三畳」に因んでいると
いうことですが、中国語はわかりません。