4月9日の黄昏
花を見ても
空を仰いでも
遠くを見ても
人にであっても
あの日のことを思い出しても
ぼんやりしても
本を読んでも
音楽を聴いても
いつもの道を歩いても
夕暮れになるとなおさら
あふれる涙
一番星が滲んで見えるすみれ色の黄昏が
きょう一日をたおやかに包んでいく
数え切れないくらいの
平凡な日々が過ぎてゆくなかに
一日くらい
こんな日があってもいい?
涙は萎れた心の自然治癒力。
あなたはいましあわせですか?
幸せ、仕合せ、倖せ、
めぐりあわせ、ことのなりゆき、運などを表す言葉として古くは
「為合(しあわす)」、二つの動作が合わさったという意味だと知
りました。
不運の場合にも、幸運の場合にも用いられた言葉「仕合せ」。
めぐりあわせがよければ「仕合せよし」
めぐりあわせが悪ければ「仕合せわろし(悪い)」のように言い表
したと、辞書にあった。明治になって「幸せ」と表わすようになり、
単独で、しかも幸運の意味に用いられるようになったという。
しあわせとは?まず「めぐり合い」ありき!なのだ。
今朝のめぐり合いは爽やか!。
「大地のりんご」と呼ばれているハーブのカモマイル。
指でさわるとほんのりと甘いりんごの香りが朝の湿った空気のな
かに漂う。 因みにカモマイルの花言葉は「親交」。
♪幸せは歩いてこない、だから歩いていくんだよ~
歌にも歌われるように出会いは待っていてもやってこない
きょうはまだ見ぬ今年の桜にあいに出かけてみよう。
散っていなかったら「仕合せよし」
風に舞うさくらの花びらにであえたら「仕合せますますよし」
どちらにしてもまず出かけることからはじめなければ・・・。
カモマイル:和名、カミツレ 別名、カモミール、カミルレ
キク科シカギク属 一年草
ハーブとして花を摘み取って乾かし3週間ほど
密閉容器に入れ熟成させるとおいしい。
りんごのような甘い香りは、不安や緊張を取り除いてく
れる、 冷え性、鎮静、発汗、保湿、抗アレルギー、消炎
などに効用あり。
爽やかな朝、私の一番「仕合せがよい」大切なCD、
モーツァルトの交響曲第25番を聴きながら。
クレンペラー指揮
ロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団
年をとるにしたがって昨日のことも思い出せないのに、小学校や
中学校のとき習ったことや覚えた歌は記憶の中にいつまでも残っ
ていて、何かのきっかけですぐに思い出したり、知らないあいだに
歌ったりしていることがありますね。そのなかに、イタリア民謡だっ
たと記憶していますが、あの有名な「帰れソレント」の作曲者デ・ク
ルティスの「忘れな草」 (クリック)という歌があります。
長い間歌ってないので・・・
♪君の愛なくば この世に生きる甲斐なし~~からはじまって最
後の方は♪君に捧ぐ 忘れな草を~~、、あ~残念!全部思い
出せない!中学校の時この歌に出会いそれ以来ずー好きでし
た。成人して、栗林義信の素晴らしいバリトンでこの歌を聴きい
て、ますます好きになり、私にとっては忘れられない曲の一つに
なったのです。
そういうことで
私の知らない、まだ見たことのない忘れな草は私の心の花園に
その姿がないまま長い間咲いていました。
庭作りをはじめて、すぐに植えた花、「忘れな草」は多年草で冬に
は枯れても春になるとまた芽を出す手間いらずの花として、毎年
薄紫とピンクの可愛らしい花を咲かせ楽しませてくれていましたが
、ある年から春になっても芽を出さなくなっってしまいました。
忘れな草というくらいだから、芽を出すのを忘れてしまって、と独
り言など言って済ませていましたが、よく考えてみると、花を咲か
す前の葉の感じは、草なんですね。雑草と間違えて抜いてしまう
こともしばしば、、、。
今年は友人から株分けしてもらった忘れな草を鉢植えにしたから
、わたしの庭からこの可憐な花が消えることはなさそうです。
恋人にせがまれてドナウ川の岸辺にさくこの花を摘もうとして足を
滑らし急流に流され命を落とした若者が forget-me-not
(僕を忘れないで)ということ葉を残して息を引き取り、残された少
女は青年の墓にその花を植え、彼の残したことば「Forget-me-
not」をそのまま花の名前にしたという悲しい物語がこの花には隠
されています。
ヨーロッパ原産の忘れな草の花言葉は「真実の愛」。
男女の愛は真実であっても偽りであっても、一人の力ではどうす
ることもできませんね。そこには真に、「あなた」と呼べる相手が
いるのです。
「わたしとあなた」「我と汝」
真に「あなた」と呼びかけうる人がなければ、見えては消え消えて
は見える陽炎のように、つかもうとしてもゆれうごく・・・。
きょうの一曲は、さいきん朝一番に聴くCDから
ヴィヴァルディ作曲「チェロ協奏曲ロ短調」です。
ミッシャ・マイスキーオルフェウス室内管弦楽団,
みどりハコベとうしハコベの区別がつかない、でも、うしハコベ?
先日友人と遊んだ旭川の土手にハコベがたくさん咲いていま
した。いつもの散歩道でも見かける可愛らしい小さな小さな白い
花。つい見過ごしてしまいそうになる野草ですが、その花の姿は
小さいながら光るものがあります。5弁の花びらが下のほうで深
く切れ込み花びらが10枚に見えます。なかなか手の込んだつく
りだと思いませんか?
ハコベといえば、
すぐ浮んでくるのが、小諸なる~ ではじまる島崎藤村の詩の
一節、緑なす繁縷(はこべ)は萌えず 若草もしくによしなし・・・
です。
冬の寒さに耐えながら太陽に温められた大地のエネルギーを
いっぱい蓄えて、自然がいっせいに目覚める春の野に可憐な姿
を覗かせ私たちに楽しみを与えてくれるだけではなく、ハコベの
栄養価は高く、たんぱく質、カルシウム、鉄などのミネラル、サポ
ニン、酵素、葉緑素なども含んでいます。
(東城百合子著『薬草の自然療』から)
薬効としては、利尿作用、健胃健腸、盲腸炎、をはじめ、歯槽膿
漏や虫歯予防にも大きなパワーがあり、歯痛の時葉を生で噛み
しめると痛みがおさまるということです。
大きな役割を持ちながらひっそりと咲く小さな草のどこに、このよ
うな威力があるのでしょうか。
自然と謙虚に対峙しながら、自然の恩恵を素直に受け入れた古く
からの生活の知恵に学ぶことは多いようです。
はこべ:なでしこ科 はこべ属 春の七草の「ハコベラ」
花の形が星型をしていることからラテン語のステラリアから
stella、(星)と呼ばれている。
別名を「朝しらげ(日出草)」
名前の由来は、はびこりめらむ「蔓延芽叢」どこにでもはびこ
るのでそこからついたのでしょうか?
きょうの一曲は昔の歌から
伊藤久男が歌った「高原の旅愁」 (クリック)です
春がすみにかすむ太陽、これをお月様と言ったら嘘になる。
四月一日は一年に一度午前中だけ嘘をついても咎められたり、
叱られたりしないエイプリル・フール。
いまから思うと、子供の頃親を驚かせようと思って、おもしろい
嘘を、イロイロ頭を巡らしながら真剣に考えたことが懐かしい。
それはたわいのない、ついても良い嘘に限られていた。
日頃、親から嘘をつくたび「嘘は泥棒のはじまり」と叱られたり、
子ども同士でも何か約束事をするとき「嘘をついたら針千本の
ます」と唱えあって指切りをしていた。
子供心に嘘をつくことは悪の権現のように思っていた。
それがだんだん大人になるにつれ、「嘘も方便」などと便利な言
葉があるのをいいことに、世間をうまく渡るため、一つの手段とし
て使うことはよくあること。そういう嘘はばれたりすることがあった
りして・・・。
「うそから出たまこと」、人を偽るつもりで言ったことが何かの拍
子に事実となってしまう。諺として知っていても経験がないのでど
う説明していいのか・・・。
それでもこれだけは言える
「六十年生きてきていままで一度も嘘をついたことがない」。
きょうは四月一日、エイプリル・フール。
こういう嘘は罪???今夜は良心の呵責に苛まれそう。
いま遠くのほうで春雷が・・
どんどん季節はめぐっていく、めぐる季節の中にいてそれについ
ていけない自分が少し疎ましい。
この季節になると心が沈んでしまう。
遠くの山をみわたせば、ぽっ、ぽっ、と淡い花を咲かせた木があち
こちに、、、。いつ咲いたのでしょうか。
気がつかないうちに咲いてるなんて、きっとはなさか爺さんの仕業
に違いないと、子どものようなことを思ってしまった。
春の野山はいまが花盛り、春霞の青い空に、さくらのうす紅の花
びらがよく似合っていると思いながら目線を下にやると、ヨモギ、
タンポポ、ハコベ、ナズナと春の草が次々に顔をだして、田んぼ
のあぜ道に春の祭典を繰り広げています。
そのなかにオオイヌノフグリの空色が生き生きと春の太陽を浴び
ていた。早春の野にいち早く春を告げる可憐な花。
そのイメージにふさわしくない名前だと言われるオオイヌノフグリ、
この花に別名があることをきょう知りました。
花の色にちなんで「瑠璃唐草」、または花のイメージにふさわしく
「星の瞳」と呼ばれているということです。
こんな素敵な名前で呼ばれているなんて、知らなかったのは私
だけ?きょう写真を撮りながら「星の瞳ちゃん」と呼んでみたけ
れど、なぜかしっくりこない、やっぱりオオイヌノフグリのほうが親
しみがあって私は好きです。
でも瑠璃色って沈んだ心にピッタリの花の色ですね。
きょうの一曲はドミンゴのテノールで「星の瞳」の☆にちなん
で歌劇トスカより「星は光りぬ」
(クリック) です。
プラシド・ドミンゴ
リッカルド・ ムーティ指揮
とある場所のとある風景
写真の心得のない私にとって、自分が感じた世界をそのまま表現
することはむずかしい。自分のイメージするままに写したつもりで
も出来上がった写真を見てはいつもがっかりしています。
自分の目で見た世界と、
レンズをとおして見た世界に大きな落差があります。
静寂さの中の光と影。
春のあたたかさと
冬のつめたさを際立たせている風景を
イメージしながら撮った平凡な一枚の写真。
写真の良し悪しは別にして
自分のイメージした世界に近い写真がはじめて撮れました。
ここは歴史ある場所。
細いお堀のむこうに
かつて多くの武士たちが行き交った姿を
意識しながら耳を澄ましても
その声は聞こえてこない。
聞こえくるものは
木々をわたるわずかな風の音と
時おり響く鳥の甲高い鳴き声だけ。
この静寂さの中に
私が求めたものは
呼べばこたえてくれる
あたたかみのある
人の声。
孤独を愛するといいながら人を求めてしまう。
人間がつくりだす騒音のある安心感。
離れ小島に、ただ一人の自分、想像しただけでも耐えられない。
「だれひとり知る人もない人ごみの中をかきわけて行く時ほ
ど、痛切に孤独を感じることはない。」(イタリア紀行、ヴェニス)
ゲーテさんには悪いけど私も同じことを感じます。
良い言葉を残してくれてありがとう!!
いまウラディーミル・ミーニン指揮、国立モスクワ合唱団の
「アムール川の波」を聴きながらこのブロぐを書いています。
人間のもつ声が人の心を動かすという事を知った素晴らし
い歌声です。
少しイメージは違いますがメロディーだけでも・・・。
「アムール河の波」
(クリック)
もも畑からの夕陽
日がずいぶん長くなりましたね。
太陽が西に傾くころにあわせての散歩なので、出かける時間が
だんだん遅くなってきています。あたりの景色は、すっかり春色
に包まれ農道を渡るそよ風が頬に優しくほんとうに気持ちのいい
春の夕暮れです。
How slow the Wind ~風はなんと遅い~
(エミリー・ディッキンソンの詩から)
珍しく田んぼの中で大勢の子どもたちが遊んでいます。最近あま
りそんな光景を見ないので、なにかホッとした気持ちになったり、
子どもたちのキャッキャッと騒ぐ声を聞くと心が和みますね。
ピンボケでも仲がいい!顔と顔を寄せ合ったいっしゅんがとれなくて・・
桃畑のあたりまで来ると何か知らない動物が横切って行きます。
以前、狐はよく見かけましたが、きょう見たのは尻尾がふさふさに
見えたので、多分狸ではないかと勝手に思ったのですが・・・。
夕日が山に隠れるころ、鶯とスズメのさえずりのなかにひときは
にぎやかな鳥の集団が、二羽、二羽、二羽、、、のカップルで電線
に仲良くとまり互いにくちばしで突っついたり寄りそったりと仲がい
いのです。素晴らしい大空で恋を語れるなんて、何をささやいてい
るのでしょうね。もしかして、鳥って、恋の季節は春だけ?
暮れゆく春の空に早くもこうもりが飛び交っていました。
ミカラ・ペトリのリコーダー演奏で
アルビノーニの協奏曲ニ短調を聴きながら。
ミカラ・ペトリ(bf), クラウディオ・シモーネ(指揮)
イ・ソリスティ・ヴェネティ
セントポーリアのようにせん毛でおおわれている。
「すみれは野にあれ」野にあればこそ
真実の花を咲かせる小さな恋人
静かにそっと近づいて抱きしめてみたい。
そのおきてを犯して
手元にひきよせてしまった
ピンクが愛らしい「つくしすみれ」、
ピンクのすみれの花言葉は???
「叶わぬ想い」でどうでしょう。
いつもいつも
片想いばかりで人生終わりそうなので。
きょうの一曲は、時々聴きたくなるギターのしらべ
イエペソの演奏で「愛のロマンス」(禁じられた遊び)です。
ナルシソ・イエペス 愛のロマンス
3月23日夕方6時過ぎ見た西の空 太陽が沈む前からなびいていた雲
昨日のことです。
夕方、バス停に立ってふと見上げた西の空。
淡い淡い、やさしいブルーの空にすーと綿菓子をのばしたように
ふわふわっとした雲が縦横に広がっていました。
その雲の流れは静かでまるで絵を見ているようでした。
しばらくすると、その絵の中に飛行雲が、力強く、鮮やかに、放物
線を描いていくのです。
その光景にみとれながら、思わず「すばらしい!」と声をあげてい
ました。夢のような春の夕暮れ、どうしても写真に撮りたい。
そう思っても、あー残念!デジカメが、、、。
急いで家に帰り、いつもの散歩道まで、走って走って、やっと
撮った写真。夜、家に帰ってパソコンに取り込んだ画面を見
て少しがっかりでした。バスに乗り遅れてまで撮った写真だった
のに、、、。あのふわふわとした豊かな雲の帯が、いつのまにか
スマートな雲に変身していました。
静止しているように見えても、そのかたちは刻々と変化しているの
ですね。きょうという日はただ一度だけの巡りあい、二度とはやっ
てこない。昨日バス停で目にしたあのため息が漏れるような美し
い光景もあの瞬間だけのもの、二度と同じ景色にはめぐりあえな
いのだということを、いつも心に留めておきたい。