夢見つつ深く植えよ(小さきものたちへのブログ) -20ページ目

夢見つつ深く植えよ(小さきものたちへのブログ)

私はこの自然界に存在する小さな物が好きです。

私の小さな庭に咲く花々や、そこにやってくる日頃見過ごしてしまうような虫たちにもスポットを当てながら、私も小さき者の仲間として、この自然界で共存していければと願っています。

   花にら 1

   花にらの花言葉は「悲しいわかれ」 後で知って・・・

花冷え、花曇り、春雨、春愁、、、、春という言葉に、そこはかとな

哀愁が漂っているのはなぜでしょうか?

決して一人が嫌いではない私です。少し肌寒さを感じるこの季節

秋のもの思いに沈む気持ちとはまた違う、なんとも形容しがたい

孤独感が心地いいですね。うっかりしてると、心の隙間に何かス

と忍び込んできそうな季節の狭間、うら悲しささえ感じてしま

す。いったん春の予告をしておきながら、春もなかなか、した

かですね。


人間がじれったいと感じる春。

花たちはあまり気にしてないようですね。庭のあちこちに、春なら

ではの可愛らしい花が顔を覗かせています。

小さな庭の西側に、星型の花びらが清楚な花にらが咲いてい

す。この花にらには私の悲しい思い出が・・・


   花にら 2

  花にらは食用にもなります。普通のにらより匂いはやさしい。

 でも一度も食べたことがありません。


何年か前、インコを雛のときから育てていた時期がありました。

最初に飼った緑と黄色の羽の「わさびちゃん」は、家族4人の声

を使い分けて、おしゃべりするのが得意でした。

いつも私の肩にとまり、庭に出てはいっしょにお花を楽しんでいた

ある日、急に風が吹いて、その風に乗って大空に舞い上がって、

どこかへ飛んでいってしまったのです。

そんな苦い、悲しい経験をしておきながら、また同じようなことをし

てしまったのです。


ちょうどあの時も花にらが咲いていました。

この花の下には、わたしのちょっとした不注意で死なせたインコの

「葵ちゃん」が眠っています。寒いからと思って、コタツの中で遊ば

せていて、私の足元にいることに気づかず、、、、、、、。

葵ちゃんもわさびちゃんと同じように、

肩にとまっては、小首をかしげて「お母さん、お母さん」と、ま

えたての舌足らずで、おしゃべりしはじめたばかりの可愛い盛り

でした。私の不注意で生き物を死なせてしまった後悔と、自分自

身に対する腹立たしさ、こみ上げてくる悲しみ・・・。


薄いブルーの羽が美しく、性格もおとなしかった葵ちゃんを、同じ

の花の下に眠らせてやることしかできなかったのです。

それが、せめてものたむけ、と自分の心に言い聞かせて・・・

花にらが咲くたび、

葵ちゃんのことを想い涙ぐんでしまいます。

例え小さな命でも失う悲しみはみな同じですね。

星形の花びらにのって、星の世界で輝いていると思いたい。



 竹林

イネ科の植物と知って少しビックリ、木でも草でもない竹は素晴らし

用途を備えている。(家の近くの馬路山 明王寺の竹林)

日本人にとっての美意識は四季それぞれですね。

春は桜に代表される花、秋は月、冬は雪、初夏は瑞々しい若葉。

「雪月花」「花鳥風月」さまざまな言葉で言いあらわされる、日本

人の自然に対する感性は脈々と現在まで受け継がれてきてい

ると思うのですが・・・。


その他に古くから日本を代表する植物として、日本人にとって

切っても切れない結びつきがある竹に心惹かれる人は多いの

ではないでしょうか。

竹は竹林に在っては青々としたつややかさで、凛として真っすぐ

に伸びた姿に、清らかな気品を感じます。理想的な素直さと、しな

やかさを備えている竹は、縄文の時代から農耕が発達するに従

って日本人の生活と深くかかわっています。

霊力を秘めた呪具、生活のための実用品、芸術としの素材、

有名な茶人、千利休は桂川の漁師から譲り受けた魚籠の美し

に魅せられ、そのまま花器に使っていたといわれています。


竹の用途は農具をはじめ

弓矢、竹刀、旗竿、竹やり、傘骨、扇骨、竹笛、笙、竹椅子、

床す竹ずつ、茶杓、茶せん、釣竿、筆管、花籠、魚籠、etc

身近なものでは竹輪は竹の棒に魚のすり身を巻きつけて造られ

たり、蚕棚、紙漉きの萱す、竹の皮を利用した木版印刷の刷具

「馬連」、竹の皮を利用したぞうりに、皮を張って作られた「雪駄」

は千利休が考案したといわれています。(竹の民俗誌参照)

こうして挙げていくと切がありませんね。


笑、第、符、等、範、答、策、簿、籍などの漢字にも竹冠が使用

れているのは、民衆を統治する支配文化と深く結びついてい

沖浦和光著「竹の民俗誌」述べられています。


お正月の松飾に欠かせない喜びごとにつかわれる竹、その反対

に死者の棺を囲む竹、「竹の園生」と呼ばれるように君子の象徴

とされた竹、やぶ医者の用語として使われるマイナスイメージと

しての、陽陰持ち合わせた竹に、底知れない不思議な魅力を

感じます。


日本の原風景を思い起こさせる姫神の音楽から「千年回廊」を

聴きながら。

姫神, 星吉昭

千年回廊


  吉井川河口
  吉井川河口付近


私の育った環境は山と川のある風景。

閉ざされた狭い世界から、だんだん視野が広がるまでの時間は

随分長く、そのとき脳裏に焼きついた山や川が、私の原風景に

なっています。

ふるさとの、家の前を流れる川が、一番大きな川だと信じていた

日の記憶が、いつまでも頭から離れないのです。

小学校へ上がるまでは、自分のまわりの世界だけがすべてでし

た。今でも、川から立ちのぼる朝もやが、山々を白い霧でつつん

幻想的光景を思い出すたび涙ぐんでしまいます。


川は私の原風景。

そして、「大河の一滴」という言葉が大好きです。

山に降った雨が地面深くしみいって、その一滴が小さな流れ

り、やがて川幅を広げ、豊かな流れとなって大海に注ぐ、決

坦ではないその流れ、細い細い流れだったり、急流だった

り、時には風雨に荒れ狂うことも・・・。


  吉井川河口 2
  吉井川河口付近 流れはゆったりとおだやかだった


原風景が懐かしくなると来てしまう水辺。
人生は川の流れのごとし

時は流れ

人生も流れると、言ったりしますが・・

河口近くの、

ゆったりとした水面は静かに黙し、

おだやかに揺れている。

大海に注ぐ豊かな水を前にしたとき

わたしの「時」もゆるやかにながれ

ある瞬間で静止する


水があって当たり前のように生活している私たち、その一方で、

川の源流に住む人の水に対する思いは、また違ってる。

源流に住むからこそ、綺麗な水のまま流れてほしいと願い、日々

の暮らしのなかで、有害な物質を流さないように実践してい

を、身近に知っています。

それは、小さな試みかも知れない、でも「大河の一滴」の、その

滴の恵みからはじまる人努力は、並大抵ではない。

豊かに流れる川を見るたび

「水の惑星」と呼ばれている地球

「命の水」とは?

これらの言葉がずっしりと重く響いてくるのです。



今日の一曲はスメタナ作曲交響詩「わが祖国」から

「モルダウ」です。


ラファエル・クーベリック指揮

チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

スメタナ:連作交響詩「わが祖国

    早朝


春の嵐が吹き荒れた次の朝、庭に出てみると、早くもさくらんぼ

花が、庭のあちこちに、うすくれないの花びらを散らしていまし

た。たった一本のさくらんぼの木から散りゆく花びらは、雪と見ま

ごうほどの清らかさでした。


  春眠暁を覚えず 処処啼鳥を聞く  

  夜来風雨の声  花落つること知る多少


春になると、朝の寝覚めのうつつが心地よくて、なかなか起きら

れないことがありますね。なんとなく定まらないこの季節になる

と、高校の時漢文の時間に習った「春眠暁を覚えず」(春暁)

の詩が浮んでくるのです。


そんなある日、

たまたま読んだ雑誌で、睡眠についての面白い記を見つけま

た。そのタイトルは「『睡眠負債』、こまめに返済しよう」

睡眠にも負債が?

チェルノブイリ原発事故やスペースシャトル爆発事故などの歴史

的大事故は、担当者の睡眠不足による居眠りや判断ミスにが原

因だったという話から・・・

 
   夕刻の白(畑に一本の白梅)

人間の平均睡眠を8時間とすると、一日8時間の睡眠が必要な人

が5時間しか眠らなかった場合、3時間の睡眠負債になるという事

です。休日に3時間づつ多く寝て、負債を返済していく、ただし、

人間の脳は2週間単位で睡眠を記録しているので、2週間という

期限付きで返済していかなければいけないのです。

そう言われても、なかなか思うようには行きませんね。

睡眠は一度に続けてとらなくても昼と夜に半分ずつ分けてとる

「分断睡眠」でも、全く健康上問題がないという事なので、夜、

なか眠れない私は、少しほっとしました。


   春の夕日


睡眠時間は人間も動物も個人差があるようで、因みに、ナポレオ

3時間、ダヴィンチは90分、アインシュタインは10時間・・・・
キリンは20分、ナマケモノは23時間、イルカにいたっては片方ず

つ脳を休めるだけで、睡眠時間はなんと0分!

この記事を読んで、何日か続けて早寝早起きを試みました。と言

ても、夜2時過ぎに寝たのですが、夜中の3時にはもう目が覚

しました。次の日は夜中の3時に、、、目が覚めたのが

時、に寝ても3時間睡眠ということになってしまいます。

これは歳のせすね。

幸い、時間に縛られない私には、昼寝という強い見方が・・・。


   月と梅の花 

この雑誌を読んだ後で、

個人差はあるといえ、人間は人生の三分の一を眠って過ごすこと

なります。五十を過ぎ、あっという間に六十歳に、いまや限ら

た時間の中で、眠ることと、目覚めることの不思議さに改めて気

ました。なんとなく過ぎてしまう、今日一日。

め」う「生」、「眠り」という「死」の繰り返しのなかに、私た

は生きているのだと思うのです。

生と死の違いは?

明日の朝目覚めるか否か。

幸せとは今日を精一杯生き、何の不安もなく明日を迎えること

のかも知れない。朝の目覚めだけに限らない、この「目覚める」

とい言葉の意義、なにげなく使っているけれど、なかなか奥が

深い、と私は思ったのですが・・・



   匂いすみれ

  春の雨にうたれる匂いすみれ 


  

   悲しみの底から咲き匂う

   神秘の紫はあきらめの色


 「春愁」ということばがありますが、

 心が沈んで

 ふと物悲しさを感じる時うたいたくなる歌は、

 岩崎宏美の「すみれ色の涙 です。(←クリック)

         

 確か秋は「思秋期」でした。

 岩崎宏美の憂いを含んだ透き通った歌声は

 季節の変わり目によく合うのでしょうか、

 どちらも私の大好きな歌です。



ニオイスミレ:(スィート・バイオレット)スミレ科スミレ属の多年草

半日陰と肥沃で湿った土を好みます 強い香りを持つ花と葉は

芳香材料として、香水などの原料に使われます。お花は砂糖漬

けにしてお菓子などに利用する。

根には有毒なアルカロイドを含んでいる。


       

        
   薔薇

     ピンクのばらをたずさえて・・・

いつもピンクの薔薇の花束を抱えて遊びに来てくれる友人が

いる。娘の同級生のお母さん、高校の説明会で前後ろに並ん

だのが縁でのお付き合い。私より少し若い彼女との共通点は

誕生日が同じ、いつもいっしょにお祝いしようねと言いながら

第一線で働いている彼女は忙しい人、私は閑人、その忙し

合間に会いに来て、閑人の相手をしてくれる。

プラス思考の彼女とマイナス思考の私。

プラス、マイナスゼロの関係。

お互いに深く突っ込んだり、歩み寄ったりしない。


  ある乗馬クラブ

  駆け足レッスンン、走らない馬、半分いねむりしながら・・・


十年前に馬好きの彼女と始めた乗馬。

手綱をゆるめていた時

急に走り出した馬から落ちて、

一時的に記憶を失ってしまった私は

いつのまにか馬から遠ざかってしまった。

彼女は今も乗馬に夢中、

乗馬は馬好きでないと続かない。

乗る前や乗った後の馬の手入れは乗ることより大切。

馬だけでなく豚、ヤギ、猫、犬、あげれば切がないほど動物に

対する愛情は深い。

彼女の車の後ろの座席にビニールシートが敷いてあるので

ビックリ、今飼っているヤギの座る場所。

豚が座ったり、ヤギが座ったり

今度は何?

動物もいいけど

もう少し人間に興味もってね。


  居眠り?
    順番を待つあいだにお昼寝?


先日久しぶりに二人で訪れた乗馬クラブ。

遠くから眺める練習風景。

乗馬は見るより

乗ってこそ楽しさも難しさもわかるもの。

乗りたい誘惑に駆られる。

でもあの悪夢が甦る、、、

、、、やっぱりもう一度乗りたい。


風のように来て風のように去っていく彼女

その風はいつも春風。

今度はいつ会えるの?

「薔薇が枯れないうちにまたはやく来てね」

そういって見送る私。

手綱さばきは上手くても、車の運転は危うい。

彼女のことだから

そのうち馬に乗って

颯爽とやってきそうな気がする。



きょうの一曲は動物好きの友人のために

サン=サーンス作曲「動物の謝肉祭」他

小澤征爾指揮 ボストン交響楽団,

動物の謝肉祭 & ブリテン : 青少年のための管弦楽入門



   

  ビオラに

   今朝はじめて黄色のチョウを見ました。


わ~うれしい!爽やかな日曜の朝、麗らかな春の陽ざしに誘

れて黄色の蝶ちょがビオラの花の蜜を吸いにやってきました。

昨年はじめて黄蝶を見たのはもう少し遅かったような気がします。

今年は何もかも早いですね。私は蝶の生態はよく知らないので

冬越しするのでしょうか?もしそうだったら昨年の秋の終わりに

び交っていた同じ蝶かも知れないと思うとうれしくなって、写真

など撮らずに思いっきり遊ばせてやりたい、そんな気持ちもどこ

へやら急いでカメラを取りに・・・。

黄色のビオラに黄色の蝶、黄色を見ているとなんだか元気が出て

きました黄色は私にとって希望の光かもしれない。



爽やかな朝に聴いた曲はヴィヴァルディの四季です。


ギドン・クレーメル アバド指揮

ロンドン交響楽団,

ヴィヴァルディ:協奏曲「四季」


   ぶどう棚に落ちる夕日
  散歩道のあちこちに見られるぶどうだな

春ですね。

いつもの年なら三月の声を聞くとあぁ~もう春なんだ、

寒さから解放される喜びに心が浮き立つ思いがしていた。

今年は晩秋から初冬、真冬がなくて、もうすっかり春の陽気。

いつもより速い春の到来に喜んでばかりでは・・・。

長い間

春は「待つ」ものだと思っていた。


そうは言っても

春の声を聞くと心が弾みますね。

素足にスカート、おしゃれがしたくなりました。

スキップしながらの散歩と言いたいところですが

少し抑えて、

近くの農家を一まわりのゆっくり散歩です。

心なしか遠くの山が霞んで見えます。

太陽もぼんやり滲んだオレンジ色。

一ヶ月前とは太陽の沈んでいく位置が明らかに違っています。

地面にしっかり足をつけて、

大地の動きを感じてみる。

当たり前だけど何も感じない。

やっぱり太陽が動いていると思ってしまう。

ぶどう棚越しに落ちる夕日を眺めながら、

今から三百年以上前に「それでも地球は回っている」と呟い

た、ガリレオ・ガリレイのこの言葉、やっぱり凄い!!



きょうの一曲はドヴォルザーク作曲交響曲第九番「新世界より」

断固として自分の芸術を貫き通したクレンペラーの指揮で。
  

オットー・クレンペラー

フィルハーモニア管弦楽団

ドヴォルザーク:交響曲第9番


  

  白い流れ
  土管からいきよいよく流れ落ちる水


  

  白い色は

  清らかな色の代名詞としてよく使われますが

  その白ではなく

  無色透明な水が激しくぶつかり合って

  しぶきをあげるとき

  その水はまっ白に見える。

  青空にぽっかり浮んだちぎれ雲

  ふわふわと柔らかそうな白

  朝飲んだコーヒーから立ち上ぼる白い湯気は

  ほんわかしていた。

  光の中から見えてくる白

  あるようで無い色。

  自然現象や何かの偶然によって生まれる

  白の不思議さ。

  きょう偶然目にした

  土管から勢いよく落ちてくる水しぶきの白に

  力強さを感じた。






   雲南桜草

  薄いピンクの花びらが 可愛い雲南桜草   


昨年の秋、花好きな友人からいただいた中国雲南省原産の雲南

桜草は中国では春を告げる花「報春花(サンシャンスイ)」と呼

ばれているそうです。桜草科プリムラ属多年草のこの花は、

プリムラの語源プリマのごとく春一番に咲きはじめます。


春の訪れと共に、あるかなきかの、かすかな甘い香りが忘れか

乙女心を呼び覚ましてくれます。ほのかに染まる薄紅色の

びらは夢淡き恋の色。


若草色のシルバーがかった葉には切れ込みが多く、茎や蕾を包
むがくには産毛のような繊毛があり、ピンク色に染まる乙女の頬

のような初々しさです。ハート型の薄い花びらが春風に揺れて

げな雲南桜草の花言葉は「初恋」です。


淡い淡い初恋の想い出をいまも心の奥に抱き、そっと温めてい

る友にふさわしいこの花に私の想いも託してみたい。



きょうの一曲は

春の喜びに溢れたように弾くグレングールドのピアノで、大好きな

モーツァルトのピアノ曲からピアノソナタ第12番です。


グレン・グールド 

モーツァルト:Pソナタ集