<画像:平匡さんの部屋 / TBS>
【みにくいアヒルやカラスたち】
ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(海野つなみさん原作)には、主人公のみくりさんと平匡さんをはじめ、実に個性豊かな人々が登場する。(←こ~ゆ~のをダイバーシティ(=多様性)が高いと言うのか?)
物語は、契約結婚(?)・シェア婚(?)と破天荒な展開にもつれにもつれるが、徐々に互いの凸凹さ(=恥じる処や面倒な処)を受容れ合い、豊かな人間関係を築いてゆく。・・現実離れしてるけど、現実にありそうなお話し。(←共演者の結婚もね。)
そんな突っ込みどころ満載な登場人物たちの中でも、ブリキは、やはり「平匡さん」が気になる。・・
なぜなら、彼には、ブリキと同じ次の凸凹さがあると思えるから。
① コミュニケーションが苦手
② 視野が狭く融通がきかない
③ 自尊感情が低い
④ 主体性がなく流されやすい
これは「アスペルガー症候群の受動型」というタイプの発達凸凹にみられる傾向だと思う。
この凸凹さをドラマのように笑えてればいいが、大抵笑ってられない。・・なにしろ障害と呼ばれるくらいなので。
今回は、この凸凹の特徴のうち、①の「コミュニケーションに関する障害(の言語面)」に注目し、どーしてそーなるのか?・・ブリキなりにその理由を考察する。
(※注意:この記事は、作品のレビューの類ではなく、凸凹による凸凹のための考察(=仮説や妄想)に過ぎない。またネガティブな内容も含むので気を付けてほしい。)
【聞こえるけど、聞き取れない?】
ブリキには、聞こえてるのに、聞き取れないコトがよくある。聴力に異常はないが人混みでの会話やグループトークが苦手。(←「聴覚情報処理障害(=APD)」と呼ばれる。)
例えば、テレビでスポーツ観戦中にアナウンサーと解説者が会話を始めると、・・その話しの内容も・試合の内容も・自分が何をしていたのかさえも(?) 分からなくなってしまう。・・で、歓声で我に返り、周囲の人に「今何が起きたの?/何て言ったの?」と尋ね、「邪魔しないで/黙ってて」と叱られる。・・
これは話者や話題によらず「複数の人がテーマを絞らずに話す場面」、つまり「雑談」や「世間話」でよく起きる。だから、学校でも・職場でも・食卓でも浮いてしまう。(←ちなみに、1対1の会話やテーマの決まった議論では起きない。)
なぜ、そーなるのか?・・本人の努力が足りないから?・・それとも、遺伝的な問題があるから?・・ブリキは、そのどちらでもないと思う。・・
【地獄のピクニック】
ここで、その理由(わけ)を探るため、平匡さんのエピソードを拝借する。
平匡さんはみくりさんに、次のように子どもの頃の思い出を話す。
(家族で行った1度きりのピクニックで、母がサプライズのつもりでお弁当に「瓦そば」を作ってきたら…)
父が怒りだしてね、『なぜ外で伸びきった「そば」を食わなきゃイカンのか#』
父は怒りだすと自分を曲げない人なので、…『俺は食わん!』って…
地獄のような思い出で、それ以来「瓦そば」が食べられません。
どーして母は父と離婚しないんだろうって、子ども心にずっと思ってました。・・
ブリキにも似た記憶がある。・・子どもの頃両親は喧嘩しがちで、しかも双方黙ってられない質(たち)だったので、その様は、・・
親1) 「★●!※□◆#△!」
親2) 「%▲×$※!◇?○■#・・」
親1) 「パンッパンッ、パンッパンッパーンッ・・ドカ~~ンッ!!」
親2) 「ダッダダダーンッ、ダッダダダダダダダダダダーンッ・・」
と、まるで銃弾が飛び交うような「地獄のお茶の間」だった。・・
【刈るべきか刈らないべきか、それが問題だ】
前回モンテッソーリ教育の「敏感期」について触れた。・・その内の1つに、赤ちゃんが「アーッアーッ」としゃべり出し「言語を獲得する時期」があり、さらにその中に「母国語の発音を獲得する時期」がある。
このとき赤ちゃんの脳内で、「シナプス刈り込み」が起きる。それは早期英語学習で知られる通り、母国語の聞き取りに必要なシナプス結合が強められ、不要な結合が除去されるプロセスのコト。
さて、もー分かるでしょ。・・なぜ聞こえているのに、聞き取れないのか?
そう。乳幼児期に大人たちの言い争う声を聞いて育った子たちは、ここでトラブったのでは?
この子らの脳内では、周囲のヒトの声(=母国語)を聴きたくない音(=銃声みたいな騒音)に仕分け、それに反応しないよう刈り込んでしまったと思われる。・・(←さらに、わざと意識をボ~ッと麻痺させ、有害な刺激信号から身を守ろうとしている。とさえ思える。←脳による高度な適応能力?!)
その結果、この子らはネイティブでありながら、ネイティブ言語(=母国語、第一言語)を獲得できない。
だから、コミュ障の人たちの振る舞いは、外国旅行した人たちの姿によく似ている。・・定型の人たちでも海外へ行けば、仮に1対1の会話はできても、ネイティブ同士の会話までは聞き取れなかったりするだろう。
さらに、母国語を持たない子どもたちが、(母国語を獲得した子どもらに比べて)、学習障害(LD)になりやすいのも当然と思える。・・(※補足)
【凸凹を超えてゆけ~】
残念ながら、APDの症状を根本的に解消するのは、かなり難しいだろう。・・でも、みんなが、その仕組みを知り、その困難さを想像できれば、・・
例えば、両親学級で夫がお腹に重りを付けてみたり、研修会で健常者が目隠しや車いすに乗ってみたりしてその困難さを疑似体験すると、そーゆー当事者らを支援しやすくなるだろう。
また、当事者側も、無用に自分を責めたり恥じたりせず「自分は何が苦手なのか?、どーすればそれを補えるのか?」と対策を立てやすくなるハズ。
そーやって一人を超え、二人を超え、凸凹も・定型も超えてゆける。・・かもしれない。
この凸凹な考察が、少しでもコミュ障に苦しむ人たちの役に立てばとても嬉しい。・・そして、なによりも、今後こーゆー目に遭う子たちが減ってゆけばイイなと願う。・・<おわり>
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【補足.自分の戦う場所を選べ】
ブリキには、コミュ障の子らの脳は正常に機能していると思える。・・また、この子らが採った「言い争う声を刈り込みの対象にしたコト」もまともな判断(=防衛反応)だったと思える。
では、凸凹創生の起源は何処にあったのか?・・
それは、「ヒトの声=聴きたくない音」という「真逆の教師信号」、つまり「養育者の不適切(=無自覚)な言動」だろう。(←イヌを「ニャンニャン」、右を「左」と吹き込んでいるのと同じ。)
この「狂った教師信号」はとても根深く、子が乳幼児期を過ぎようが、親が世代交代しようが、見直されず脈々と続いてきたし、このまま見過ごせばさらに続いてゆくだろう。・・(←ブリキはこれを「オリジナル・エラー」と呼ぶ。)
ブリキの場合、学童期以降(コミュ障やLDの傾向もあり)、よく「お前はいつも黙っててダメなんだ!・・お前は何をやってもダメなんだ!・・だからお前はダメなんだ!!・・」と言われ、実際何も出来ず、ずーっと自分のコトを出来損ないだと恥じてきた。・・
が、今はそー思っていた自分を恥じたい。
そして、この「狂った教師信号」を正せるのは、親でも・子でも・他の誰でもなく、自分(=あなた)自身なんだと思う。・・
「逃げるは恥だが役に立つ」はハンガリーの諺で、意味は「自分の戦う場所を選べ」というコトらしい。・・
ブリキは、この世界から何とか「オリジナル・エラー」を無くし負の連鎖を止めたい。・・だから、夫婦を越え、育児を超え、自分を超えてゆけ~?!・・と唄ってみる。