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【凸凹に足りないもの、定型に足りないもの】

『羊と鋼の森』で、新米の外村くんに、彼が憧れるベテラン調律師の板鳥宗一郎さんがアドバイスを送る。「焦ってはいけません。コツコツ、コツコツです」と。・・すると、彼は「コツコツど~すればいいんでしょ?」とオドオドしてしまう。

あなたはどーかな?・・子育ての森で、外村くんのようにオドオドしてる?・・それとも板鳥さんのように落ち着き堂々としてる?

試しに、コツコツに注目し次のように分けてみる。

  • コツコツできず、その意味も知らない。
  • コツコツできるが、その意味は知らない。
  • コツコツできるし、その意味も知ってる。

すると、ブリキには、①が発達凸凹(=アダルトチルドレン)に、②が定型発達(=現代の子育て観の人たち)に、そして③が正常発達(=新しい子育て観の人たち)に思えてくる。

なお①~③は、その人の気質ではなく、成長・発達の段階に過ぎない。よく発達障害は「先天的な問題」とかアダルトチルドレンは「毒親のせい」と言われるが、問題は人ではなくビリーフ(=スキル)にあるハズ。・・

今回は、前回に続き、凸凹な基準音を鳴らして「子育て観」の調律を試みる。そして、ブリキなりにコツコツの意味を調べ、負の連鎖を止める「新しい子育て観」にアップグレードできないか考察する。

【迷走交響曲第3番・・コツコツの意味】

砂場で子どもたちが遊んでいると「スコップの取り合い」になる。・・友だちの「かーしーて」に「どーぞ」ができない。・・「や~だ、○○ちゃんのッ!」と意固地になり譲らない。・・

こんなとき、あなたが親ならどーする?

たぶん「貸してあげなさい」とか「仲よく順番に使いなさい」と諭す人が多いと思う。・・「それが正しさや優しさ(=社会規範)であり、そうできる子になってほしいし、そう躾けるのが子育てだ」と思っているから。(←現代の子育て観であり、定型だと思う。)

ここで、「モンテッソーリ教育」を基準にしてみると、・・

敏感期とは、ある目的のために ある時期にだけ 何かに対して 非常に強く反応する 時期のことです。・・子どもはそういうふうにプログラムされているのです。・・

小さい子どもが何かに特にこだわるという成長に不可欠な行動を、・・(大人が)叱ったり、やめさせたり、とめたりすることは、子どもの成長を妨げることと同じです。

と、調律が必要だと説いている。・・でも、たぶん、まだピンとこないだろう。なぜなら、敏感期やプログラムが分かりづらいから。・・そこで、AIを基準にしてさらに調べていく。

AIは、その機能により「弱いAI」「強いAI」に分けられる。・・「強いAI」の方が高機能で、人間の知能(=理想)に近く、創るのも難しい。

で、「アンサンブル学習」と呼ばれる、「弱いAI」から「強いAI」を創る方法がある。それは下図のようなタイプ診断(=YES/NOチャート)に似てる。一つ一つのYES/NOを問うBOXが「弱いAI」で、それらを上手く組み合わせ全体として「強いAI」を創る。

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でも、これは一朝一夕にはいかない。で、その創り方(=プロセス)は学校のカリキュラムや料理のレシピに似ている。

例えば、子どもには、モノを一列に並べたり、「これはママのイス」とこだわったりする奇妙な時期がある。・・(←現代の子育て観の親たち(=脳の仕組みをまだよく分かってない人たち)には、不可解で面倒な行為にしか見えず、イヤイヤ期などと呼ばれる。)

イヤイヤ期に限らず、赤ちゃんらを注意して見ていると、まず音に反応し、徐々に目が見えるようになり、自分の手や足があるコトに気づき、首や腰がすわり、やがて立っちや歩んよができるようになるカリキュラムや、まずモノに関心を持ち、それに所有者が居ると気づき、やがて自分や他人を理解していくカリキュラム(=プログラム)があると気づくハズ。・・

それは、まさに「弱い知能」を一つずつ創り、それを積み上げ「強い知能」を創ろーとしてるのだろう。・・だから、成長曲線は、次の表紙絵みたいに、石段(=ステップ)を積み重ねたような軌跡を描く。

その一段一段を、習慣化では「ベビーステップ」と呼び、モンテッソーリ教育では「敏感期」と呼び、板鳥さんは「コツコツ」と呼ぶわけだ。

で、このプロセスを無視したら?・・試しに、足し算・引き算の練習ドリルにコツコツ取り組む子どもたちに、それを止めさせ「微積分しなさい」と諭したら?・・(←不適切でしかないでしょ。)

ここから次のコトが分かる。子どもたちが奇妙なコトにこだわり繰り返そうとするのは、強い知能を創るために必要なステップなんだと。・・(いずれ他者に譲る大切さを学ぶステップも出てくる。)・・もし、大人たちがその意味を知らず、それを止めさせ自分たちの(不適切な)考えを一方的に押し付けようとすれば脳の発達を妨げ、子どもたちを発達凸凹にしてしまう恐れがあると。

【迷走交響曲第4番・・子育ての意味・再び】

子育ての森で、(夢中にコツコツしてる)子どもたちの目線や歩調に合わせてみる。すると「おっ、こんな処に、こんな草木があったのか?!」と、親の方も視界が変わり(←リフレーミングが起き)、一歩一歩が驚きの連続になる。・・そして「あぁ~この森はなんて多様なんだ!?」と圧倒される。

試しに、「この世界には七十数億人もいるが、一人として同じ人はいない」・・同様に動物も、草木も、石ころも、・・何もかも、たとえそっくりに見えてもまったく同じモノなんてないと気づく。・・

その中で、ただ他者(←できれば、赤ちゃんからがおすすめ。)の音に耳を傾けてみる。・・すると、自分とその者の奏でる音が響き合いアンサンブル(=二重奏)になる。・・さらに耳をすますと三重奏、四重奏と音色が増えてゆき、やがてオーケストラのようなる。・・「あれ? ソロよりこっちの方が楽しい♪」と、あの恐ろしく思えてた・・果てしなく深い(=多様な)森が、不思議と落ち着き心地良く思えてくる。・・

ここから次のコトが分かる。みんな凸凹(=多様)でいいんだと。(←定型=モノトーンじゃハモれない。)・・そして、子育ては、目の前に居る(=唯一無二の)子どもを基準にすればいいんだと。・・子どもに向き合い多様な現実に触れそれを受け入れる毎に、(親も子も)アタマの中でアンサンブル学習が深まり成長していくんだと。・・

【新しい子育て観】

でも、「子どもを基準に、子どもを調律する」ってなんかヘン?・・そう、調律してるのは、むしろ親(=自分)の方(?)・・と思えてくる。

ここで、ブリキは(勝手に)、人が親として急激に成長する、この特別な時期(=子育て期)を「第三次成長期」と呼ぶ。・・そして、イモムシがチョウになるように、人は、「赤ちゃん」→(第一次成長期)→「子ども」→(第二次成長期)→「若者」→(第三次成長期)→「親(=大人)」と、成長していくと捉える。・・

(↑ちなみに、第一次は一人で歩けるようになるコト(=自立)、第二次は自分自身で教師信号を用意できるようになるコト(=自律)、第三次は世界の多様性に気づき自分もその一部なんだと実感できるようになるコト(=利他)が境界になる。)

すなわち、ブリキなりの新しい子育て観とは、「子育て=第三次成長期」となり、それは「親として急激に成長する敏感期」となる。・・要は、みんながちゃんとコツコツの意味を理解し、みんなでちゃんとコツコツするだけ。・・「焦ってはいけません。コツコツ、コツコツです」と。

さて、あなたの「子育て観」にブリキの凸凹な基準音は共鳴しただろうか?・・音は合ってた?・・ズレてた?・・それとも何も響かなかった?・・

もし、少しでもあなたの子育てのヒントになれたのならとても嬉しい。・・<おわり>

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【補足.参考書籍】

今回の記事と共鳴する本。もっとちゃんと学びたい人におすすめ。