ジュネーブ半径500Mな毎日 -24ページ目

ジュネーブの道(1) La Rue du Mont-Blanc とドストエフスキー


ジュネーブのちょっとした歴史を掘り下げて行く

ジュネーブの道シリーズ第一回目です。(いつまで続くか分かりませんが)。




今回は、誰もが知っている 「モンブラン通り」( La Rue du Mont-Blanc ) とロシアの文豪ドストエフスキーについてです。



ジュネーブ半径500Mな毎日



モンブラン通りが、「モンブラン通り」と命名されたのは1855年12月18日のことでした。


それ以前は Rue des Remparts と呼ばれていた事もあります。

モンブラン通りの先には、レマン湖があり、堀のような物もあって、そこに大分水がたまっていたようです。

1850年以降、レマン湖の水がやってこないような治水工事が行われ、湖側の堀が埋められ、

コルナバン駅が1858年に完成、モンブラン通りも長くなり、きれいになりました。

何より、駅が出来た事により観光客が増えたので、ホテルが増えたのでした。



そんな時代の1867年、ロシアの文豪ドストエフスキーが彼の妻とともにジュネーブに滞在しました。

ドストエフスキー47歳、妻のアンナは19歳でした。

アンナはジュネーブで女の子を出産し、ソフィーという名前をつけますが

1868年5月、生後三ヶ月で亡くなります。

ソフィーはプランパレの墓地に埋葬されました。

またドストエフスキーはジュネーブで小説「白痴」の一部を書いています。


ジュネーブでのドストエフスキーはちょくちょく「外国人サークル」に出かけては賭け事をしていました。

モンブラン通りの角にある建物で、ジェームズ・ファジーによって建設された建物です。

ここで、ドストエフスキーは賭け事に興じ、

それこそ一文無しになるのではという程、負け続けたようです。

この体験を通して、後に彼は「賭博者」という小説を書くのですが。


ドストエフスキーはジュネーブに着いてこう記しています

「この街は本当に恐ろしい。まさに悪夢。強風と嵐の日々だった」

「趣味の悪い、醜いロココ調の建物が並ぶ」

など、ジュネーブについては良い印象がなかったようです。



2012年のモンブラン通り
コルナバン駅側からレマン湖側を眺めています。

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新しいお散歩コース



カレン(犬)がいつものドッグランには飽きたというので、

今日はちょっと気になっていた道を歩きました。

この道、すごく良いお散歩コースで気持ちよいです。


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金曜日に立ち寄るカフェの前を通ると
カレンが覚えていたので入りたいというので、
コーヒー飲んで帰ってきました。

帰り道「あれ、今日何曜日だったっけ?」

月曜日なのに金曜日のように待ったり過ごしてしまったツケが

今週は沢山回ってくるよー。

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授業に文句を言うと、こんな事を言われる@中学校



ジュネーブでの公立中学校

小学校の成績により、3段階の能力別にクラス分けされている。

とあるクラスでの数学の授業

教師 「さあ、課題の問題はもう終わりましたか?」

複数の生徒 「時間が足りません」

教師 「では、一つ下のクラスに移りますか?」

生徒 「無言」


ま、だけど、そこで

「今のクラスに残れるように、私が成績を伸ばします」

という熱血教師はいないのかしらん。



クラス自体がレベル分けされているというのは、

教師には大変やりやすいのだけれど

生徒の方は大変だろうなと思う。

変な優越感や不必要な劣等感を植えつけられても嫌だし

生徒にはいつもうっすらとストレスがあるんだろうな。



次女はそんな長女を見ているから、なんとなく自分の行く末が分かると思うけれど

なんでも戦陣を切って行く長女は、大変だと思う。







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