ジュネーブ半径500Mな毎日 -102ページ目

スイスはカダフィが嫌いなの、かな?




リビアの紛争は、スイスでも皆心配しています。



スイスからリビアまで、飛行機でわずか二時間。

リビアは地中海を挟んだイタリアの向こう側

リビアからイタリアへは亡命者があとを断たないそうですね。



「デモ隊を攻撃するために爆弾を積んで離陸した飛行機のパイロット」

上空でパラシュートで脱出・逃走、飛行機はどこかに墜落炎上したり、

イタリアのマルタ島にそのまま飛行して亡命したり、

さまざまな理由でイタリアには難民が押し寄せる見通しで

イタリアの首相も

「難民受け入れはもうイタリアだけの問題ではなく

ヨーロッパ全体の問題である」

と語る程です。


そんなスイスはイタリアと国境を接しています。

スイスは果たして難民を受け入れるのでしょうか。

国連には難民のための機関がありますが、それはまた国策とは別の話で。



スイスは外国人には比較的厳しい態度で、国益を守って行きた歴史がある上に
(アウシュビッツで何が行われているか公式書類を持って、知りながらもユダヤ人亡命者を国境で追い返したりなど)


多分、スイスはカダフィが嫌いなんじゃないかと・・・・・・
それはまだ記憶に新しい2009年

・カダフィの息子夫婦がジュネーブに宿泊
・ホテルの使用人をひどく扱う
・スイス警察が、それは人権侵害に値するとして、息子を逮捕
・保釈金で釈放後、リビアに帰るも、父カダフィはスイスに対して怒り心頭
「ガス供給を止めろ」と言ったり、
「スイスを攻撃しろ」と言ったり、
その他、スイス人ビジネスマンを人質のように、逮捕・拘束、その後保釈するも、リビアから出国させないことにしたりしたのです。
・その後、スイスの大統領がリビアに人質救出のため、謝罪し、賠償金を支払ったために、スイス国民側に不満が高まる。(しかもこの時に人質はリビアから出国できず、結局二年近くリビアに滞在させられる)

そんな、なんとなくすっきりしない関係のリビアのカダフィー氏。

スイスにあれだけ怒っておきながらも、700億を超える資産をスイス銀行に預けていたとか。

そして、それを今回、スイス銀行が今後3年間に渡り凍結するとか。



個人レベルでは、「資産凍結、当然じゃない?」と思うのですが、企業レベルで「資産凍結然り」という大義名分はどんな感じなのでしょう。スイス銀行の正義は世界の正義?  そもそも世界共通の正義なんて無いから、信じた道を行く?  
もっと先を読んで、カダフィー後の政権にすでに取り入ろうとするための策略?

スイスって先見の明があるなーって思う事が多いのですが、
いったいどんなブレインがいるのか、興味があります。







変な話・幽霊がいるって知って、なぜかほっとする私


ジュネーブに暮らし始めて

なんとなく不思議に思っていた事は

どうも、いないような気がする

って事でした。



私は自分には霊感はないと思っていますが、

何かしら若干感じるらしく

今まで引っ越すたびに、新しい家では必ず金縛りにあい、怖い顔した人に首を絞められたり、体が動かなくて大変だったりしていたので、今回ジュネーブに来た時も

「ああ、今日からまたしばらく金縛りか~何日続くかな~」

って思っていたんです。
この現代において、人間が一度も住まなかった土地に、私たちが新しく住む事は出来ない訳なので、きっと何かしらの人の想いやしがらみを感じる事だろうと思っていたのです。

ところが、この築ウン十年というマンションに足を踏み入れた時に、不思議な事に何も嫌な感じがしないんです。
ガランとしている、という感じ。私が外国人だからかしら?

嫌な感じというのは、すなわち「気配」のことだったと、スイスに来て理解しました。

それは外を歩いていても同じで、何も気配がしないのです。

木の陰に何かいるような感じとか、空気がそこだけ重い感じとか、何か侵しては行けない場所とか、そういった気配が全然感じられないので、ずっと不思議だなと思っていました。

実際、スイスには幽霊話も妖精話も、諸外国と比べるととても少ないです。

それは言語がわかれているために、フランス語圏、イタリア語圏、ドイツ語圏にそれぞれ吸収されているのかもしれませんが。

それとも私が外国人だから、アンテナがあわなくて、何も感じ取れないのかな?とか思っていましたが、スイスでは本当に「きれいな空気だな」っていう以外、ふっと振り返りたくなったり、物陰を除いてみたり、立ち入っては行けないと感じたりするような事がほぼ皆無でした。木も花も美しくそこにあるだけで、何も語りかけてくるような感じがしないのです。(こう書くと頭がおかしな人みたいですね、おかしくなっちゃったのでしょうか。)


そんな私ですが、日本にいた時と変わらないのは、いつも深夜二時に目を覚ます事です。
なので、夜に目を覚ますと「2時なんだな」って思います。ちょっとしてから時計を見ると2時2分とか2時4分とかなので、やはり2時に目が覚めているのだと思います。日本ではちょっと怖かったのですが、スイスでは全然怖くありません。しかし、カレン(犬)がその時間に唸る事はありますから、何かはあるのかもしれませんが。

そんな折りにジュネーブにも幽霊話があるという記事を読んで実はちょっとほっとしたのでした。
今まで、「何でいないんだろう?それって逆におかしくない??」って不思議に思っていた自分がいるのだと改めて思いました。

そうなんだ、ジュネーブにも幽霊がいるんだーって、なんだか幽霊がいる事が当たり前のような感覚でほっとするような気持になりました。幽霊話をたくさん抱えるジュネーブ旧市街も今度歩いてみよう、って思っていたのです。

そんなある日のこと、
お昼ご飯を食べていたら、玄関で物音がして、扉が開いたような音がしました。
強盗だったら怖いなと思って玄関まで行きましたが、何も変わった事はありませんでした。
静かなスイスの静かな昼休みの異様な音。
とてもリアルな音だったので、今でも不思議に新鮮に耳に残る音でした。
で、そのあと、寝室にいたら、突然目覚まし時計がセットしていない時間なのに1秒だけ鳴りました。


えーなになに~。


って思いました。それ以外はまったく感想が無いのですが、「え?何?」って感じ。
誰かのいたずらかな?ピンポンダッシュしにきた?っていう気持になるような。


皆さんもスイスを歩くとそんな気持になりませんか?
自然はきれいだけど、きれいだな、っていう以外に、それほど感情がわいてこないみたいな。
叙情的な気持にならない。それが私はとっても不思議です。
他の国でもいろいろと感じるところはあったのに、スイスってなんだかすごくさらっとしています。
なんだろう、この無感覚な感じ。
それでまたいろいろと感じる事があるのですが、ちょっとそれは置いておく事にして。



日本の歌を聴いていると必ず自然が歌われていると思います。
雨、風、空、花
初恋+雨
花びら+卒業
挫折+冷たい雨
恋+雪
みたいに。
自然を感じて情緒を感じられるのは、過去の経験や思い出からだけじゃなくて、透き通った雨や、しっとりした花びら、雪の重みや匂い、きっと自然から何らかの気配を察知しているからかな、なんて思ったりもしました。



スイスでも幽霊は足がないそうです。
金縛りにあったことはまだないけど、フランス語がわかるようになったら誰かがやってくるかも?
なんて思ったりするこの頃です。
























ジュネーブ 国連前の「壊れた椅子」(Broken Chair)




ジュネーブの国連前の広場にはとても大きな椅子があります。

スイス人芸術家ダニエル・ベルセ (Daniel Berset)による「壊れた椅子」(Broken Chair)

クラスター爆弾やその他の地雷に抗議するためのオブジェです。

身体の一部だけを失わせるぐらいの小さな破壊力しか持たない爆弾は

人間が作った爆弾の中でも、とてもひどい物だと思います。

相手国の国民の体の一部を傷つけ

・兵士として使えず
・農作業などの労働が出来ず国力も下がり
・国は税金を医療費に回さなければならず、軍事費に充てられない

というように、国力を全体的に軟弱化・低下させる恐ろしい方法で

結局犠牲になるのは罪も無い人々なのです。

命は決して奪わずに一部だけを奪う

この爆弾は沢山の「実験」を通して「適切」な火薬量などが決められ

使われるようになりました。











このオブジェにはそのような強烈なメッセージが込められている事は良く知られている事ですが

最近、このオブジェをさらにすごいと思うようになりました。

なぜかというと、それは、

この椅子が、きちんとまっすぐに立っているからです。




この国連前広場は、日によってとても強い風が吹きます。

そんなビルの間の開けた広場に、

この椅子はびくともしないで立っているのです。





photo:01




バランスが悪いようで、ぐらぐらしたり、倒れそうなのにしっかりと椅子の姿勢を保っている

不幸にも地雷によって足や腕を奪われた人々の生きる姿勢そのもののような気がします。

義足や義手をはめ、もしくははめないで

失われた機能を補う手段を見つけたり

今できる仕事を懸命にして生きている人たちの

地道で実直な日常の尊さと

命の尊厳を表しているのだと思います。

人がゆったりと腰掛ける事はもう出来ないかもしれないけれど

椅子は椅子としてあり続けるし

椅子はやはり椅子にしか見えなくて、他の何かには見えない






photo:02






残酷さ、つらさ、悲しみ、無力感、強さ




強風に煽られてもびくともしない、アンバランスな高さ12メートルの椅子

この椅子は、その幅の広い背もたれの部分から眺める事が多い作品です。

多くの人たちがそうやって「背中を見て学ぶ」ようになっているのでしょうか。



せっかく与えられた知識や能力や知恵が、結局軍事力に吸収されて行く

そんな世界は嫌だなと思います。