当たり前って何だろう | ~明日も生きていくあなたへ~

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ようこそいらっしゃいませニコニコ

 

 

スピリチュアルヒーラーのみずほです。

 

 

 

 

普段当たり前にあったものが無くなって

あとで大事だったことに気づく。

 


それは通勤の景色にありました。

 


これまで約30年間、わたしは新宿駅を経由して都会の混雑した中を通勤していました。

 

今はバスに乗って武蔵野の緑を見ながら

ゆったりと仕事に通っています。

 


すると時折都心に出た時、

何とも言えない高揚感に包まれ

やっぱりいいな~と思うんですねおねがい

 


都会で仕事をしていた頃は、生活の一部だった景色が当たり前に広がっていました。

 

その景色が目に映らなくなったとき、

初めて寂しさを感じたのですショボーン

 



わたしは生まれた時から東京で暮らし、車の洪水も、立ち並ぶ高層ビルも、人波も、繁華街も都心の景色がとても好きです東京タワー

 

喧噪の中でシャンと歩こうという気持ちが湧き上がってくるんです。



一日の半分を喧噪のなかで過ごし、自宅で充電してまた明日の街に繰り出していく。

 

そんなサイクルから今の穏やかな環境に

身を置いていることで、

ちょっと落ち着かないのです。

 

 


当たり前というのは、

自分が馴染んでいるということ。


時には不具合も起きるけれど

自分の一部としてそこに在る、

自然なものです。

 

だから自然に反すると

目にするものや自分の動作にまで、そこ此処に現れて違いに気づかせようと感性が訴えてくるんですね。

 

でも感情感覚で受け取っても

「今やどうにもならない」とフタをして思考で説き伏せて無かったことにする。


「もっと大人になれよ」と却下することは、

自分が自分を相手にしてないこと。

 


拭えない違和感はそれに気づいてわかって

本来のところにもっていってあげなければ、

決して解消はしないのです。


何をすれば楽になっていくのか、

安心をとり戻せるかは感情感覚が

教えてくれるのです。

 

怖いと感じている中に

やりたことがあったり…


ここは違うと思う中に

本当の居たい場所があったり…

 

その人の中に持っている自然で、

安心したものがあるんですねコスモス




嫌だ、違うと感じるからこそ、

反対に好きだ、しっくりくるがわかるのです。


自分を大事にするとは、

そんなすべての感情があって、

それを自分で助けてあげること。


由として自分を相手にすること。

 


当たり前という言葉は

色々な意味をなすけれど、


自分にとって自然であること、

怠惰でなく馴染んでいて必要なこと。

 


わたしたちの中にある当たり前を

他人向けることでなく、


自分らしさ、自然に息が出来ること、

自分のためにあること

と感じてくださいね。

 

みずほ

 

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