パン職人だった叔父のこと | ~明日も生きていくあなたへ~

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ようこそいらっしゃいませニコニコ


 

スピリチュアルヒーラーのみずほです。

 

 

 

 

わたしはパンが大好きです食パン

 

時々雑誌やSNSでチエックしては

気になったお店まで出かけます。

 


知り尽くしてはいないけれど、

その街に行ったらあのパンを買おう!

ぐらいにはなっていると思います。

 


むかしは甘いパンよりハードで、

生地の味を楽しむのが好きだったのですが

いまは何でもOK!


見た目でサクっと選んで

1日3食楽しむこともあります。



 

こんなパン好きのわたしには、

パン職人をしていた叔父がいました。

 


今から30年以上も前に40代の若さで

ガンのため他界したのですが、

入院する前日まで始発電車でお店まで通っていたのです。

 


叔父はむかし大学進学を断念し、

美術系の専門学校に通っていました。

 

母方の一番下の叔父で、

わたしが生まれた頃はまだ学生でした。


当時は母の弟妹たちも同居していましたが、

わたしにとっては一番怖い存在で、

何かと言えば叩かれたり、怒鳴られたり、

いつもビクビクしていました。

 


あとでわかったことですが、

叔父は兄が大学に進学したように、

自分も進学したかったのを経済的な理由で親から断念させられてしまったのです。


そのため親や兄弟がいつも恨めしく、

そこに自分より力の弱い子どものわたしに苛立ちをぶつけていたのです。

 


そんな叔父がなぜパン職人を目指すように

なったのかはわかりませんが、


青山のドンクで修業を始め、やがてジョアン(今は無いのかな?)のパン職人として新宿や銀座の三越、最後は浅草の松屋で店長をしていました。

 


わたしが小学生になって、叔父も結婚をした頃から人が変わったように穏やかになり、

子ども心にもその変貌ぶりに戸惑ったことを覚えています。

 


ようやくパン職人という道を拓き、

仕事の楽しさ、美味しさを売る夢のある仕事に自信を持てるようになったからこそ、

叔父の中で変化が起きたのだと思います。

 


一度銀座のお店に行ったとき

工房から出てきた叔父の顔は上気して、

自信に満ちた笑顔で迎えてくれました。


オススメのパンだと焼き立ての食パンを

指さしました。

叔父が焼いたパンでした食パン

 


別の時にはドイツパンを叔父の前で厚めにスライスしていたら、


「こういったパンは薄めに切るんだよ、生地が重いから食べた時に口の中でゴムみたいな食感になってしまうんだ」

と言われたことを覚えています。



 

そう音譜


叔父はパンを作っていたんだラブラブ




いまならもっとパンの美味しさや、

どこのパンがいいとかそんな話が出来たのかもしれない。


わたしが食べ歩いたパンについても聞いてもらえたかもしれない。

 


何より「わたしの叔父さんはパン職人」だと、

叔父の焼いたパンを友だちに教えてあげられたと思う。

 


生きていた頃は叔父との交流もなかったけど、いまは探し歩くほどわたしがパン好きなのを、叔父も喜んでいると思っています。

一緒についてパンを選んでくれているかもしれない。

 



子どもの頃

叔父の感情のはけ口になったわたしは、

憎まれていると思っていました。


でもそこに居るわたしが憎かったのではなく、その頃の叔父が抱いている事情によるものだったと、いまはわかるようになりました。


でも大いに傷つき、恐れの意識を作り出したひとつのきっかけであることに変わりはありません。


何てことをしてくれたんだ!

と、いまでも思います。

 

 

その思い出だけがわたしの中に残り、

穏やかさをとり戻した叔父との整合性に戸惑ってきたのです。

 

叔父に対する恨めしさと懐かしさのバランスは自分の中で苦しみを抱き締めることでしか、とれないのです。

 

もう終わったことだから…ではなく。

 


恨めしさは恨めしさとして持っているわたしを、わたしが包むことだけ。

少しでも暖かく包むことだけ。


今も生きていくためにね。


 

叔父は亡くなる一年前、

同じ沿線に住むわたしが病院に入院したとき、一人でお見舞いにやって来たのです。


仕事帰り、

手にはビニール傘をもって。

 


女性ばかりの4人部屋で、

緊張したのでしょう。

わたしの背後で「すみません、〇〇さんはこちらでしょうか?」と、あらたまった声のする方を振り向くとそこに叔父が立っていたのです。

 

ただ驚くばかりでしたが、

叔父なりに心配して来てくれたのでしょう。

元気な叔父と会話したのはそれが最後でした。

 



夕べ食事をしていると不思議なことに、

何十年も忘れていた叔父の思い出が

突然よみがえり、パンを頬張ると切なくも嬉しい一体感を覚えたのでした。

 


みずほ