母を庇っていた記憶 | ~明日も生きていくあなたへ~

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ようこそいらっしゃいませニコニコ

 


スピリチュアルカウンセラー/ヒーラーの

みずほです。

 

 


今日は心が痛かった記憶の話です。

 

 


子どもは親を庇うことがあります。

 

 

その小さな身体で親に心配かけまいと、

可哀そうだからと必死で守ろうとするのですプンプン

 

 

 母とのことついては

ブログで何度か書きましたけれど、

 

わたしの感情の元にあって、

何か事あるごとに揺れるのは、

母に対する「愛されたい」がまだ生き残っているからだとわかります。

 


「まだ生き残っている」

 


それが自分を取り戻す源泉にもなっているのです。

 

 

 

幼稚園のころ


担任の先生がみんなに

『雨はどうして降るのかな?』と聞いてきて


わたしは

『お空が泣いているの、お空の涙なんだ汗』と発言しました。


母にそう教えてもらったからです。

 


それを聞いた先生は『え~?』と笑って

そこに乗っかったお利口男子が、

『そんなの嘘だ!雨は雨雲があって、雲が水を降らせるんだよ』と答えました。


先生も『そうだね』と認めましたが、

わたしは本当にお空が泣いていると

母の言葉を信じていたのです。

 


子どもの気持ちとして母が嘘つきにされたような悲しさと、自分も否定された悲しさで、

どうにもショックだったのですえーん

 

 


また小学6年生のころ


クラスの女子数名からいじめを受けていました。始めはわたしへの攻撃でしたが、次第にわたしの家族に対しても、あること無いこと(今思えば、彼女たちの親が関わって吹聴していたのでしょう)よってたかって叩きのめしました。

 

 

わたしの母は離婚し、

シングルマザーとして生きていました。

 


昭和40年代の世の中の反応は、離婚するような女性を欠陥視する時代です。

 

恐らく一般家庭のお母さんたちは、母のような女性に対して、失格者とか問題がある人間として恰好の非難対象だったと思います。

 


ただ非難するお母さんたちの意識が思わぬ矛先に向いてしまったことは、罪深いことだと思います。

 


わたしは母のことをいじめの材料にしてくる相手に対して、こう言ったのです。

 

『わたしのことは何を言っても構わないけど、お母さんのことは関係ないでしょ』

 

お母さんは悪くない。

 

それが精一杯の気持ちでした。


 

いじめを受けながら、いつも母の存在があって、どうやって知られないように、母が心を痛めないようにするかを考えていました。

 


 

必死で生きていた母の姿を思うと

心配しないで安心して生きて欲しいと、


辛さを隠して頑張ったのですが、

小学生の心と身体には限界がありました。

 


わたしは、もう助かりたかった。


 

転校したいと、振り絞る気持ちで母に訴え、

真実を話しました。

 


母もショックを受けていましたが

これで母も楽になれるのではないかと思ったのです。

 

 

やはりわたしは母を愛しています。


 

その思いに

まっすぐ応えてはもらえなかったけれど、


小さなときから母を人一倍必要として

母を誰よりも信じていました。

 


愛しているのに、応えてもらえない憎しみ。



その狭間に何十年も居続けて、

その感情が別の場面で再現されるごとに苦しみを抱えてきました。



年老いた母に恨みをぶつけたこともあります。

 


自分を責めているときは、

決まって子どもの頃の救われない生き残った感情が発動しています。

 


愛と憎しみで出来上がった感情です。



その愛と憎しみを受け入れながら


わたしがわたしを救い出す日々は、

きっと恐らく一生をかけての作業になると思います。

 


だからこそ、

母を庇ってきた記憶を取り出すことが出来たとも思います。

 


 

自分を見つめていると母が現れてくる。


どうしてこんな人の娘に生まれてきたのか、

恨みたくなるなかで、恨みだけでは生きてこられなかった訳が脳裏によみがえってくるのです。

 

 

みずほ

 

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