明治政府の背後で暗躍した侵略勢力の「悪魔の知恵」2 | Subaruのブログ

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明治政府は、欧米の文化を日本に流入させたことを、
「文明開化」と呼び、
まるで、欧米の文化が入ってくる前は、
日本に文明が無かったかのような錯覚を起こさせる、
欧米礼賛の宣伝工作を行いました。

しかしながら、実は、古来より、日本という国は、
固有の伝統と文化を誇る国だったのです。

そして、その日本の伝統と文化を支えてきた、
「三つの柱」とも言えるものがありました。

その一つが
「信教の自由」
そして、
「民意によって支えられた政治」

さらにもう一つが、
「政教分離」です。

ただ、私がこう書くと、
「?」
と感じる人もいるかも知れません。

なぜなら我々は、これらの思想は、
欧米からもたらされた高邁な理想だと、
信じ込まされてきたからです。

一般に、「自虐史観」というと、
日本の Asia 侵略のことが強調されます。

確かに、
戦後 GHQ の行ってきた WGIP という政策は、
War Guilt Information Program の略なので、
大東亜の戦いについての情報を control することにより、
日本人に自責の念を負わせることが目的だったことは確かです。

しかし、侵略勢力は思いの外周到で、
日本における歴史の授業においては、
太古の昔からの日本の歴史を、
全般的に否定していることが分かります。

それ故、
日本で学ぶ日本史と世界史の授業の主な目的の一つは、

「日本の文化・伝統は、
欧米からもたらされた文化・伝統に劣る。」

と信じさせることだと、私は見ています。

この自虐政策を本気で克服しようと思うならば、
上に挙げたこれらの高邁な思想・文化・伝統が、
欧米から日本にもたらされた理念であるなどという理屈は、

全くの虚構である、

ということに、日本人が気付かなければ、
真の意味での自虐史観からの解放は訪れない、
と私は思います。

それで、今回は、上に挙げた理念の一つである
「信教の自由」
について、
考察を入れていきたいと思います。

まず、欧米の文化・伝統から入っていきますが、
欧米の思想や風習・文化が、
ユダヤ・キリスト教思想に大きく影響されてきたということは、
もう既に皆さんご存知のことでしょう。

また、これも既に述べたように、
ユダヤ・キリスト教において祀られている神は、
その昔、Israel 民族という、
非常に独善性と侵略性の強い民族主義者達によって祀られてきた、
「Israel の神」
という民族神でした。

ユダヤ教とキリスト教で、
共に経典として用いられている「旧約聖書」の記述によれば、
選民を自称していたIsrael 民族は、
かつてはエジプトで奴隷生活をしていたそうです。
ところがある時、モーセという、「神の預言者」を自称する人物が
「あなた方を解放して、乳と蜜の流れる、
カナンという素晴らしい土地に案内してあ・げ・る。」
という話を持ちかけてきました。

その言葉を信じたイスラエル民族は、
エジプトを脱出したことはしたのですが、
砂漠に放り出されてしまいました。
その後彼らは、
永年に渡って砂漠での生活を余儀無くさせられました。

富も、資産も、教養も、知性も、
無い無い尽くしで過ごしてきた彼らがすがった神は、
全知全能で、全てのものを支配し、
いつも Israel 民族にえこひいきしてくれて、
彼らに逆らう者は、圧倒的な力で粉砕してくれるという、
彼らにとって大変ありがたい
「Israel の神」という民族神でした。

そして彼らは、この、彼らの祀る民族神が、
Israel 民族を、
この地上の支配者となるべく選んでくださったという、
いわゆる
「選民思想」、或いは「ユダヤ思想」
とも呼ばれる思想を持つようになりました。

この、彼らが抱いた選民思想は、彼ら自身の信念と、
彼ら自身で書いた民族神話以外、客観的な根拠はありませんが、
この極めて主観的な信念に基づく選民思想を植え付けられた彼らは、
この「Israel の神」以外の神のみを祀ることを強要され、
Israel の神以外の神を祀った者は、石で撃ち殺されたりしました。

また彼らは、Israel 民族以外の民族を全て「異邦人」と呼び、
Israel の神以外の神を邪神と規定しました。

Israel 民族以外の民族が、
Israel の神など祀ってるはずはありません。
それぞれの民族が自分達の民族の神様を祀っていたはずです。
それなのに、イスラエル民族は、
土着の神々を祀る他民族をことごとく「邪神崇拝者」と決めつけ、
邪神崇拝を断罪する、という名目の元に、
他国や他民族を侵略することを正当化してきたのです。

この、自分の物差しで他民族を計り、
自分達の正義の名の下に他国や他民族に攻撃を加えるという手法は、
今日に至るまで、侵略勢力の伝統的手法として、
連綿として受け継がれてきています。

日本に落とされた原爆にしても、その背後には、
日本は、偶像を祀る多神教崇拝の国だから、
神の裁き、いわゆる報いを受けたんだ、
という考え方は、確かに存在しました。

1,000年以上も前に、このように非常に独善的で排他的で、
危険度 max の特殊な思想を持った Israel 民族の国は、
ローマという強大な国に滅ぼされてしまいました。

Israel という国家は滅びました。しかし、
生き残った Israel 民族はローマに侵入し、
変形 version で「ユダヤ思想」を広め、
その後その教えはキリスト教と名を変え、
ローマ全土に広がっていきました。

「ユダヤ思想」の独善性と排他性を受け継いだキリスト教は、
ミトラ教を初めとした、
ローマで受け継がれてきた伝統的宗教や土着の信仰をことごとく破壊し、
ついに、この「Israel の神」という名の、
外国から輸入された神を祀るキリスト教がローマの国教にまでのし上がり、
キリスト教以外の宗教は全て邪教と見なされ、
異教の神を祀る者は背信者と呼ばれるようになりました。

ここまで書いてくれば、もう既にお分かりだとは思いますが、
ユダヤ・キリスト教において培われてきた伝統とは、
信教の自由を許さないことなのです。

ユダヤ・キリスト教がローマに流入して以来、ローマにおいては、
信教の自由を許さないユダヤ・キリスト教勢力と、
土着の伝統を重んじる者達との内紛が頻発し、

国は分裂し、
あの「世界の道はローマに通ず」とまで言われた強大なローマ帝国は、
内部分裂と外敵の侵略の挟み撃ちに会い、ついに滅亡してしまいます。

その後、このユダヤ・キリスト教は、
Europe の国々に受け入れられていきますが、
今度はこのキリスト教と政治が結びつき、
民衆を抑圧し、「中世暗黒時代」が訪れます。

その後、
その暗黒政治に反旗を翻した Protestant という新しいキリスト教勢力が、
それまで隆盛を誇っていた Catholic 戦いを挑み、両者の間で、
「30年戦争(1618 ~ 1648)」
という血みどろの戦いが、
ドイツ・イタリア地域を中心とする Europe を舞台に展開されます。

この戦争によって、Europe の国々に屍の山が積み上げられ、
「これじゃ命がいくつあっても足りん」
ということで、この辺からやっと、
「信教の自由」という概念が生まれてきたわけです。

Catholic か Protestant か、これまた失礼ながら、
言ってみれば、それだけのことで、長年に渡って、
多くの Europe 人達は闘争と殺戮を繰り返してきたのです。

Europe の歴史を学びなおしてみると、しばしば、
余りの level の低さに驚愕させられます。

それに対して、日本はどうでしょうか。

日本では、太古の昔より、「八百万の神々」を祀りましたが
どの神を祀るか、あるいは祀らないかを決めるのは、
個人の自由でした。

つまり、日本には、太古の昔より、
「信教の自由」が存在していた
のです。

538年、日本は仏教を受け入れましたが、
日本の土着の伝統である神道を否定することなく、
「仏神道」として融合させることに成功しました。

儒教も中国から伝来しましたが、
儒教は「朱子学」という学問として体系化し、
先人達の巧みな知恵によって、
「信教の自由」
の伝統が保たれてきました。

これは、古来より先人達が持ち続けてきた
“Oneness”
の理念に基づくものだったと言えるでしょう。

このように、
古来より先人達から受け継いできた高い level の日本の伝統を否定し、
それよりも遥かに level の低い Europe の文化・伝統を、
明治以来日本人は礼賛し、欧米追従路線を走るようになりました。
その理由は、

「日本劣化政策」

以外に考えられません。

侵略勢力は、日本を欧米の level 並みに引き下げる為に、
日本の先人達が築き上げてきた崇高な伝統を、
一旦ご破算にしておく必要がありました。

では次回は、江戸幕府から明治政府に政権が交代して以来、
いかにしてこの「信教の自由」が侵害されてきたかを見てみましょう。

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