「史実」を学べない歴史の授業 (日米編) Part 21 | Subaruのブログ

Subaruのブログ

ブログの説明を入力します。

イエスと日本民族。

この、殆ど接点がないように見えながら、
この両者の関係は、不思議なほどに、
とても共通点が多いということを書いてきましたが、
実際、一回の blog では到底書ききれず、
今回の blog も、
この両者の関連性を探る内容になります。

今回は、理念という面を中心にして、
この両者の共通点をさぐっていきたいと思います。

イエスは、生前中、隣人愛の実践を強調しました。

隣人愛などとというもったいぶった言葉を使うと、
多くの日本人には馴染みが薄いかも知れませんが、
隣人という言葉を「隣の人」と言い換えると、
要するにこれは、
「近所付き合い」と言うことになります。

なーんだ。それなら日本民族は、
数千年の永きに渡ってやってきたじゃないか。

そうなのです。

日本民族とは、イエスの教えを、学ばずとも自ら、
永い歴史を通じて実践してきた民族だったのです!

日本は江戸時代、
他国の侵略から自国を防衛する都合上、
鎖国体制を敷いてきました。

しかし、1853年、
Fillmore 大統領の親書と共に日本に来航した Perry は、
翌年1854年一月に、
七隻もの船を率いて日本にしつこく押し掛け、
半ば強引な形で、日本とAmerica との間に
「日米和条約」
を締結することに成功しました。

このような執念深い America の日本に対する執着は、
世界支配を目論む侵略支配勢力にとっての、

「日本制圧無くして世界制覇はあり得ない」

という覚悟の現れがあったものと思われます。

しかし、日本を外交の舞台に引きずり出すことは、
日本が国際的な檜舞台に上がってしまうかも知れないという危険性もはらんだ、
言わば諸刃の刃でもあったのです。

その、侵略勢力の予感は的中し、
日本は開国以来、その頭角をめきめきと表し、
国際連盟の常任理事国にまでのし上がり、
世界の注目を浴びる国となってしまいました。

さらに日本は、
「大東亜共栄圏」なる崇高な目標を掲げ、
東南 Asia や中国、
朝鮮半島への積極的な支援を行ないました。

これは正に、イエスの説いた隣人愛を、
国を超えた Level で成した、ということなのです。

先の大戦において、日本の先人達は、
将来生まれてくる後孫達の為に、
尊い命を捧げました。
特攻隊においては、
行きの燃料だけ積んで帰らぬ旅路へと向いました。

そして、この、先人達の犠牲の精神はまさに、
あの、イエスが語った、

「わたしがあなたがたを愛したように、
あなたがたも互に愛し合いなさい。
人がその友のために自分の命を捨てること、
これよりも大きな愛はない。

(ヨハネ15章12~13節)

というみ言葉に重なってしまうのです。

神とイエスの名を声高に叫んだ Europe 諸国は、
歴史を通じて、
他国に対する侵略と殺戮、略奪行為を繰り返し、
支配した国を植民地化しては、
植民地から搾取をしていました。

イエスの名を表看板に掲げながら、
やってることはイエスの教えとはまるで異なる、
いやむしろその逆のことを実践していたのです。

それに対して日本は、イエスの説いた教えを、
学ばずとも自然に実践した民族だったのです。

この、史実に裏付けられた日本民族の真の姿が、
世界人類の前に明るみなることを恐れた支配勢力は、

第二次戦後、

「日本は Asia 諸国を侵略して蹂躙した。」

という巧妙な logic を展開するようになりました。

しかも、彼らは周到にも、この反日教育を、
他ならぬ日本人の手によってなされるように仕向けたのです。

GHQ によって飼いならされた政治家達。
暴力革命による国家転覆を正当化する日教組。
反日左翼思想に影響された Mass Media.

これら日本人自らによる、
亡国教育が今に至るまで続いてしまったので、
実は嘘だらけだった歴史教育であっても、
それなりに説得力があるように受け止められてしまったのです。

つまり、
後孫達の為にその命を捧げた先人達は、
その、当の後孫達の手によって、
侵略者の汚名を着せられ、
冤罪による二重の十字架に掛けられることになってしまったのです。

しかし、そのことを通じて、皮肉にも、
自分の愛した弟子達から裏切られ、
自分が愛し続けた Israel 民族の手によって葬られたイエスの姿と、
先人達の姿が重複してしまうのです。

また、この反日教育の追い風を受け、
中国や韓国は嵩にかかって日本にたかり続けてきましたが、
これらの国に対してさえ、日本は、
右の頬を打たれてなお左の頬を差し出すような対応をしてきたのです。

勿論、
「外交三流」と言われる日本の甘い外交には、
反省や改善すべき点は多々あります。
しかし、キリスト教国家を自称しながら、
愛と許しの精神とは縁もゆかりもないウリスト教精神に満ちた国と対比するまでもなく、
一体どの国が、
歴史を通じて愛と許しの教えを実践してきたか、
一目瞭然と言える結果が出てしまったのです。

実を言うと、私は、
これらの史実に基づいた「気付き」に到達した時、
何か、
頭をぶん殴られたような衝撃を覚え、
混沌とした精神状態を通過してしまいました。

今でも心の整理が付いたとは、まだ言えません。

何故なら、私もまた、
反日日本人の一人で、永きに渡って
「日本の先祖は悪い人達」
と信じ込んでいたからです。

罪滅ぼしの気持ちもありますが、
せめて、手遅れになる前に、
一人でも多くの人が、
日本民族の真実の姿に気付いていくべきだと思っています。

嘘にまみれたの教育を受けた後、
いきなり真実を学ばされると、
今まで学んできた内容と、
事実が全く違っていたということに対し、
心が消化不良を起こして、
プチ精神破綻をきたしてしまう可能性も無きにしもあらずです。

しかし、真実を学ぶことなくして、
前に進んでいくことも不可能でしょう。

歴史の真実に蓋をしたまま、
未来だけ見つめていこうとしても、
明るい未来を望むことはできません。

少しずつ、しかし着実に、

「歴史の真実」

の扉を開いていきたいと思います。