Christian の数はそこそこ増えたんだけれど、
中南米で起きたような、
過激な国家転覆の動きには発展しませんでした。
それどころかキリスト教伝来から数十年後、
日本は織田信長を中心として戦乱終息の方向に向かいます。
このことは、
仏教と武士道の影響が大きかったんじゃないかと、
前回の blog に書きました。
そして、もう一つ理由を挙げるとすれば、
それは、日本民族は、
聖書の話の中の「より良き部分」
を重点的に学んでしまったからじゃないかと思います。
今まで私の blog でも取り上げてきましたが、
聖書の中には、非常に cult 性が強いというか、
かなり危険思想的な story が数多く含まれています。
この書物が「有り難い神のみ言」
として永年に渡って受け入れられ、今もなお、
世界中の人々から信じられているということは、
我々は結構、
恐ろしい世界の中に生きているのかも知れません。
しかし当時の日本人達は、聖書に書かれている、
暴力的で、
野蛮でキモくて恐ろしい内容とかはさらりとスルーして、
良いことが書いてあると思える内容を極力 pick up しながら、
キリスト教を受け入れていこうとしたんじゃないかと思います。
まず、イエスの説いた平和思想は、
永く続いた戦乱の世を終わらせたい人々の思いに拍車をかけたことでしょう。
イエスは
「国が二つに分かれて争い合ったら立ちいけない。」
とも言われました。
このみ言を学んだ者達は、
挙国一致のへの思いをますます強くしていったことでしょう。
また、ユダがイエスを裏切った話にしても、
信頼関係の重要性を説く教訓として、
自分は主君を裏切らないようにしようとか、
そんな風に捉えたことでしょう。
イエスは「隣人を愛せよ」と説きましたが、
もともと日本人は近所付き合いを実践していたので、
この教えも抵抗無く受け入れられたことでしょう。
また、イエスは隣人愛の実践の喩えとして、
「良きサマリア人」の話をされました。
サマリア人とは、ユダヤ人と異邦人の混血児で、
当時のユダヤ人から蔑まれていた人達です。
こういった story を聞いた日本人達は
Europe から来た外国人や、
日本民族にとって異邦の宗教であるキリスト教にも、
敬意を持って接し、融和と協調を計ろうとしました。
当時の日本人達は特に、
キリスト教と阿弥陀教の教えに共通性を見出しました。
ある意味、まるで
「宗教統一運動」のようなことまで始めてしまったのです!
日本人は古来より八百万の神を祀り、
仏教が伝来した時も、
「神仏習合」という super ultra C のような発想を用いて、
異なる思想も respect を持って受け入れようとする努力をしてきました。
異なる宗教、思想、哲学、文化の中に、
共通点を見出し、和合と協調を目指す。
フランス料理の Omelette の中に日本のご飯を入れて、
お互いの文化の良き部分を生かしながら、
オムライスへと昇華させ、さらに高い次元を目指す。
Collaboration と Fusion、そして respect。
それはある意味、
世界各地に存在する、
あらゆる文明を結実させる為の素養を、
自然な形で培ってきたのかも知れません。
かくして日本におけるキリスト教は、
Europe 人達の思惑とは裏腹に、
Cou detat のような動きには繋がりませんでした。
Spain は Inca や Aztec といった巨大な帝国を滅ぼすのでさえ、
かけた期間は2年余りです。
それでも Spain 人達にとっては永い期間かけた方です。
軍事力とキリスト教。
この両面作戦で、それまで Eupope 諸国は、
多くの国々を陥落させてきました。
しかしそのどちらを用いても、
この極東の小さな島国を滅ぼすことができない。
「闇の支配者達」にとって、
日本はかなり厄介な、
頭の痛い国となってしまいました。
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