すでにそれだけで美しいのかも知れない。」
私が昔聞いたことのある歌の一部ですが、
この言葉はある意味、
日本の心を表しているかも知れません。
古来より日本民族は、
自分が生かされている存在であることを認識していました。
人が生きていく上で必要となる、
果物、野菜を育んでくれる大地。
魚が生息し、
何より貴重な水の供給源である川や海。
天地の恵みに感謝。
雨にも、風にも、木にも、草花にも、
山にも、海にも、川にも、、、
自分を生かしてくれる全ての存在に対して、
謙虚にへりくだり、感謝と畏敬の念を込めて、
森羅万象の全てを
「神」
と呼びました。
日本の町角には、
至る所に鳥居やお地蔵様があります。
お地蔵様の顔は童顔です。
つまり、
どこにでもいる神様というイメージです。
その思想は、言葉を変えるならば
「神の遍在性」
とも言えるでしょう。
お地蔵様の横には、よく花が添えてあり、
水もよく変えられています。
鳥居やお地蔵様の周りは通常きれいで、
ゴミもあまり落ちていません。
最近は少なくなったけれど、田舎に行くと、
野菜の「無人販売所」があって、
人がいないのに、野菜と、
お金を入れる箱だけ置いてあります。
神を身近に感じている人々は、
誰も見てなくても、
盗もうなどという感覚がほとんど無いのです。
このような小さな例を見ただけでも、
日本の先人達が、
極めて高い霊性と道徳観念を持っていたことが伺えます。
そして、有り難き「神」は、
人間の中にも存在すると信じられてきました。
その、人の中にいる「神」のことを、
神道では「内在神」と呼び、
仏教では「仏性」と呼びました。
そして、全ての人がこの
「内なる神」
を内包していることを
「一切衆生悉有仏性」
と言います。
森羅万象の全てを神と位置づけ、
感謝し、謙虚にへりくだる。
八百万の神を祀る日本。
その、異なる神々が、
優劣を競うことも無く、
お互いを認め合いながら、
和合し、協調し合っていく。
よく考えてみると、八百万の神とは、
世界各地に存在する数多くの国々、
そして、数多くの異なる文化、伝統、
宗教、思想などの象徴なのかも知れません。
異なる文化、思想、に対する寛容の精神。
そして、その精神は、
宗教に対する寛容さへと繋がりました。
日本古来の神を祀りながらも、
仏教を尊敬の念を持って迎え、
儒教は朱子学という学問として体系化し、
異なる宗教を調和させてきました。
その flexible な考えこそが、
実は
「宗教統一」
への道だったのかも知れません。
日本は、平和を作り出すための智慧を、
歴史を通して磨いてきたのかも知れません。
日本民族は、
Europe からやって来たキリスト教をも、
はるばる遠くから来たこともあり、
その寛容と謙虚の精神を持って、
敬意を持って受け入れました。
しかし、イスラエルの神のみを奉じ、
他の何者も神として認めない排他性と独善性の故に、
後にこのキリスト教は、
日本において破局を迎えていくとになります。
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