神が与えた6年間? | Subaruのブログ

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1543年、Portugal 人が乗船した船が、
鹿児島の種子島に漂着します。

その船に乗っていたポルトガル人から、
当時の種子島の領主だった種子島時尭という人が、
2000両(今の値段で一億円位?)
という大変な大金を出して鉄砲を二丁買ったそうです。

小さな島の領主が、大変な出費をした買い物ですが、
この超高価な買い物の point は、
当時、日本国内が戦乱の世の中だったこと。

戦時下においては、殺傷能力の高い武器は当然、
重宝されます。
つまり高い買い物でも、投資としては、それこそ
「大当たり」
になる物だったということになります。

鉄砲購入後、日本人の探究心旺盛さと器用さ、
そして刀鍛冶の鉄鋼技術も手伝い、
鉄砲は改良され、量産されていきました。

鉄砲が戦に使われ始めてから、各国大名達も、
「戦に勝つには鉄砲が必要」
と認識し、鉄砲量産ブームが巻き起こりますが、
後にこの鉄砲を最大限に利用したのが織田信長で、
1575年に起った「桶狭間の合戦」では、
強敵武田軍を鉄砲隊で破っています。

鉄砲は高価な商品なので、
経済力がなければ購入できません。
そこで諸国大名達は、
流通経済を発展させる必要性に迫られます。

鉄砲伝来から6年後の1549年、Spain から、
ザビエル率いるイエズス会が日本にやって来ますが、
その目的が「日本制圧」であったことは、
それ以前に Spain が他国を侵略、
支配してきた歴史から見ても容易に推察できるでしょう。

そして、彼らが日本の背後に見ていたものは
広大な領土を持つ中国(当時「明国」)。

島国の日本など、
巨大な明国を征服する為の足がかりくらいに位置づけていたかも知れません。

明国は広大で人口も多く、占領には時間がかかる。
ささぁっとこの島国を占領してしまってはずみをつけて、
その後は日本を補給基地にでてもして、
明国制圧に向おう。

などという勝手な皮算用をしていたかも知れません。

ところが日本に実際来てみると、
予想していたのと様子が違う。

まず、鉄砲伝来から6年の間にも日本は鉄砲を量産し、
既に Europe 諸国をしのぐほどの、
しかも改良型の鉄砲を多数保有していた。

加えて貨幣経済も発達していて、
日本の当時の人口が1千万人ほどで、
Europe の国々よりも人口が多かったということも考えると、
ザビエル達が来た時の日本は、世界有数の軍事大国、
そして経済大国への道を突き進んでいたということになります。
しかも日本は武家社会で、しかも戦国の世ということもあり、
いつでも戦闘態勢に入る準備ができていたということです。
しかも大量の鉄砲まで保持して。。

歴史に「もし」はタブーとは言え、
あえて言わせてもらうならば、

もし、、、

Europe 人達が本格的に日本に来る前に、
鉄砲が伝来してなかったら?
もし鉄砲が伝来した時、
日本が戦国の世でなかったら?
大金をはたいて鉄砲を買ったでしょうか?
また、もし買ったとしても、
大量生産したでしょうか?

もし、日本人にそれほど探究心も器用さも、
鉄鋼技術も無かったとしたら?
日本に鉄砲を改良し、
自国で量産出来る技術がなかったら?

世界史を見れば、
多くの国々の歴史は戦国乱世の連続ですが、
諸外国と比較すれば平和な時代の方がはるかに多い日本において、
戦国時代と言われる時代は、この時一回きりです。

侵略の意図を持った Europe 人達が日本に来た時が、
なんとたまたまドンピシャリにこの戦国時代にはまってしまっていたわけです。

奇遇と呼ぶにはあまりにも数奇な Timing で、
Spain 人 達にとってみれば、
最悪の timing の訪日となってしまったわけです。

というわけで、私には、
この鉄砲伝来から Spain 人達が来るまでの6年間はまるで、
日本を守るための、

「神が与えた6年間」

ではなかったという気さえしてきます。

しかし、Spain にはそれまで、
数多くの国々を制圧してきた実績があります。

日本を武力で支配することがその時点で難しかったとしても、
彼らにはもう一つの手段がありました、

そう、前にも取り上げた、
「聖書」と「キリスト教」を用いた人民支配です。

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