「理論武装」した侵略者達 | Subaruのブログ

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信仰というものは、
多くの場合、人々に感動や勇気、喜びを与え、
時として、
通常では考えられないような力を発揮する人もいます。

利他愛とか、奉仕とか、
そういった Positive な方向に力が働けば、
社会に善なる影響を与えていきますが、
Europe において権力と結びついたキリスト教は、
ヨーロッパ人達が、他国を侵略する際、
彼らの行為を正当化するための道具として使われたようです。

今回の blog では、
彼らが聖書を根拠として、
どのように侵略を正当化してきたかを考えてみたいと思います。

まず、
創世記の最初に出てくる失楽園の物語では、
人間は堕落して Satan 支配下に陥った、
神の忌み嫌う堕落人間であることが記されています。

どれほど忌み嫌われたかというと、
洪水で全員滅ぼしてしまうほどだったと記されています。

そして神は洪水で全人類を滅ぼしてしばらくした後、
選民をたて、
今度はその選民達に他国への侵略や殺戮を命じたと、
聖書には記されています。

侵略者達は、これらの Story を根拠として、
「神は自分に従わない者達を全員殺す。」
ということと、具体的な殺戮は、
神の選民を通しておこなわれるという解釈をしたのではないでしょうか?

つまり、侵略者達は、
「神の使い」に従わない者達は、

全員殺す。

その際には、
人間的になってはいけない。
道徳的な善悪で考えてはいけない。
躊躇してはいけない。

等等の Logic を構築したのではないかと思われます。


侵略者達がしたであろう聖書解釈を、
もう少し付け加えて書いておきます

人類始祖のアダムとエバの息子の、
カインとアベルの物語 においては、
神は兄であるカインより、
後から生まれたアベルを愛したんだけれども、
カインはそれに嫉妬して、アベルを殺した記されています。

この story を通じて、
Europe からの侵略者達は、先住民をカインの立場に、
後から来た自分達をアベルの立場に見立てたのではないでしょうか?

アベルを殺した憎むべきカインの立場に立つ者達からその土地を取り戻すという意義付けで、
侵略を正当化したかも知れません。

また、その当時世界のどの地域においても、
それぞれ土着の神々を祀り、信仰していたはずです。

イスラエルの神など祀っているはずがありません。

「我以外、何者も神としてはならない」
という戒めがある聖書を根拠とすれば、
侵略者達は先住民達をを邪神崇拝者とみなし、
これまた攻撃を正当化する理由を見出すことができます。

ユダヤ民族は、殺戮をおこなう度ごとに、
彼らなりの理由を用いて正当化しています。

基本的に上に書いてあるような発想が根底にあるので、
悪いことをしたとも思ってないし、
むしろ正しいことをしたと思ったことでしょう。

これらの発想は皆、旧約聖書から来ているものですが、
選民思想がユダヤ民族から今度は Christian に受け継がれ、
先住民達に対する生殺与奪の権は、
拡大版 Israel 選民の立場に立つ、
Christian 達の手に委ねられた、
と侵略者達は解釈したと考えられます。

「イエスは律法の終わりとなられた。」
と主張する Christian 達が、
なぜ数々の殺戮 story が連綿と綴られた旧約聖書を後生大事に抱え、
数多くの残虐な記述を、削除もせずに保持しているのでしょうか?

それは、それらの記述が、
侵略者達にとって、
誠に都合のいいものだったからではないでしょうか?

そして彼らの都合によって、
上記のような旧約の思想は、
いつでも発動される。

そして、一神教が盛んな地域において、
今なお地域紛争が繰り返されていることを見れば、
上記の如き聖書の発想は、
今でも有効ということになります。

侵略者達が持っていた際限無き支配欲が、
神の名の下に正当化されました。

理論武装によって植民地支配を正当化した群れは、
今度は Asia へと、
その触手を伸ばすことになります。

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