次男H.KOUZOUさんの話(続き)
高校進学を何処にするか?近所に3歳年上の男の子がいた。その子が工業高校に進学するらしいと集落に噂が広まった。農家しかしらない僕は始めて工業高校なるものの存在を知った。好きだった機械いじりと興味の有った電気の事が生かせる将来の職業選択の道が開けた。これから高度成長時代が始まる期待の波が地方でも感じられ時代になったきていた。
期待し、憧れた工業高校の入試に同じ中学校から3名が受験し、先生が引率してくれて受験会場に向かった。日本海沿岸に開けた工業地帯でパルプ工場や製糸工場、特産の石州瓦とともに「山陰有数の工業都市」と呼ばれていた。
高校入学試験の結果はダメだった。
生れて始めて持った期待だけにショックも酷かった。滑り止めに受けた家から近くに有った農業高校に3カ月通った。夏休みになる前、隣の家の1級上の子が大学に進学するらしい…とうわさがたった。僕にも大学進学・・という夢が現れた。
翌年受験し直し1年遅れで県境を越えた私立の高校に入学した。父親が小声で言った「大学に遣るお金の余裕はないから・・・」と。谷間に有った家からの人里に家屋の引っ越しが始まっていた。
兄は高校卒業して瀬戸内海にある製鉄所に就職していった。
それから給料日には毎月家に送金してしてくれていた。
僕が私立の高校に通えることができるようになったのも兄の毎月仕送りが有ればこそできたのだろう。
私立高校は山間部にあると言っても進学を売り物していた。
当時は土曜日も出校日だった。8時半から始まり午前4時間昼食後、午後の4時間合わせて8時間の授業が月火、木金。水曜日は6時間、土曜日は4時間の授業だった。8時間の授業など帰宅の路線バス時間と授業終了時間がほぼ同時刻。
父親が小声で言った「・・お金に余裕が・・」の言葉は重く僕の心の重しになったいた。「その言葉の裏には私立大学や大都市の大学に仕送りする事は経済的に無理だ」と言う思いが常にあった。それは僕も理解していた。
昭和44年(1969年)の大学初挑戦は不合格だった。職安にも顔出したが・・結局自宅浪人生になった。
無職で自宅浪人。同級生の何人かは広島市内に移り住んで予備校に通っているという噂を聞いた。肩身の狭い思いが積もって人と顔を合わせる事が嫌になった。家に閉じこもり近くの町営図書館で借りた本の読書に没頭し始めた。
夕方、父親の50ccバイクを持ち出して隣の集落までツーリングした。深夜はラジオ講座による受験勉強。息ヌキにオールナイトニッポンなどのラジオの深夜放送に耳を傾けた。その代わり朝は10時過ぎまで寝床の中だった。
当時は大学生の学生運動がテレビのニュースや深夜放送で取り上げられ聞き入った。
大学生という言葉に大きな憧れを抱きながら・・・
N.HIDEKIさんの話
僕が統一教会の学生に伝道されたのは1969年の大学に入学した年の秋学園祭でした。当時大学はいわゆる新左翼と後の時代に名付けられた共産主義思想が蔓延していました。
共産主義といってそれも一つの主義主張だけでなく当時の社会、世界の状況をどう解釈し、それに対決する方策の違いによって様々な派に分裂し混乱状態でした。
学生運動の高まりの頂点といえば今でも語り草になりますけれど東大闘争ともよばれる紛争でした。
その前の年。10・21国際反戦集会に集まった学生過激派たちが新宿駅を中心に騒乱騒ぎが起こった。いわゆる新宿駅騒乱事件です。
東京大学では医学部の改革をめぐる問題を発端にして、ストライキに入り、さらに学生と医局員の衝突事件に発展し、その処分に対する反対運動もおこりました。
その状態の中、急進学生運動家が安田講堂を占拠する、これを大学側が機動隊を導入する。この導入に対して多くの学生教職員が反発してさらに激しい抗議運動が展開されてゆく。1969年一月にはその年の東大入試は中止となりました。
僕は関西の国立大学の入試に臨みましたが試験日の4日くらい前に突然入試会場が変更になり慌てしまいました。電話も地方ではそれほど普及していなくスマホやインターネットも無い時代です。明日の入試を控えて前の日、田舎から独りで今晩の宿泊場所も決めず家を出て行きました。
受験会場の近くの駅前に有った旅館に2泊の思いを込めて玄関のドアを開けました。
心細さを通り越して無我無調でした。高校入試に一年遅れで入学し、しかも田舎生活の経験しかない私にとってはよくも旅の途中で弱気になることなく、ひたすら前をみて夕暮れの闇の中に輝く旅館のネオンサインを目印を頼りに歩いてゆきました。
出てきたのは母親と同じくらいの年齢の女性でした。
怪訝そうな表情を浮かべたものの私の話を聞いて部屋に案内してくれました。
部屋でを提供され、「布団は隣の部屋に用意しています」と言って夕食を卓袱台に置きながらはなしかけてきました。「貴方と同じような親子のかたがもう一組いいらっしゃいます」と言って出ていった。
隣の部屋の襖を開けると暗い部屋に誰かいるようでその人がこちらを見ています。
私は部屋を間違えたと思って「すみません!?」頭を下げました。不思議なことに向こうの人物も同じように頭を下げてきました。????よく観察すると向こう人物は自分でした。
閉めかけたかけた襖を再び開けると小さな小部屋に布団が一式。その向こうに畳3畳ほどの鏡、布団の頭部には水差しとカップが乗った小盆。
そして布団には枕が二個。
・・・・・・・
それを目の当たりにして、僕はやっと気が付きました。
この宿は・・・・・・!
この日、私は朝五時起床し家からバス停まで20分の距離を歩き、バスに乗りJR駅に着きました。ここから未体験の連続でした。山陽本線で急行列車に乗車し、4時間近くかかって神戸駅着き、ここで乗り換えてやっと目的の駅に着いた時は夕日が落ち、周囲に闇が押し寄せてきました・・・。
12時間張り詰めた神経繊維は熱を持って緊張し、強張ったままでした。
夢か現実か・・・・
夜半過ぎ猫の声が切れ切れに聞こえてきました・・・
次回に続く