ドキメンタリ-風小説 海流 -3ページ目

ドキメンタリ-風小説 海流

後期高齢者の祖父母、40歳前半の両親、11歳の男の子、6歳の女の子
の家族とそれを取り巻く渦巻のような環境。何処に向かって進むのか?  

次男H.KOUZOUさんの話(続き②)

   国立大学Ⅰ期校は不合格だった。続けて有ったⅡ期校の試験問題は概ね回答できた。だが発表までは期待と又不合格ならの気持ちが交差する日が続いた。

 翌朝父親が集落の新聞配達所まで朝刊を求めて出かけた。帰宅するなり言った「受かっているで!!」声まで興奮していた。

 地方ページの下段の大学合格者名簿に自分の氏名を見つけた。  嬉しい~! 

 違った。

‶長い高校生活が終った!!”

 高校受験に失敗し、翌年別の高校に入学した。そして3年後の卒業年に大学を受け、不合格。

 行く処なく稲作農家の実家で自宅浪人の1年間は修行僧の生活だった。

 そしてやっと大学生になった。

 4月入学式の日だった。

 入学式の会場にヘルメットに旗サオを持った数人の学生運動家の一団が乱入してきた。すぐ数人の大学職員に阻まれ会場の外に連れ出されていった。父兄参観で出席していた父親はそれを見て獏には何も言わなかった。

 大学生になったが、僕は心の空虚さを抱えたままの日々が始まりました。 

 6月23日、日米安全保障条約自動延長で全国で、77万人が参加した安保反対統一行動が行われ僕の大学でも午前中から反対運動を展開していた各派のスピーカーから流れ出るアジ演説で騒然としていました。空虚さに蝕まされた心を抱えて、学部の研究棟が入る4階の窓から構内で展開されている各派のデモ行進を眺めていました。

 7月夏。掲示板に担当教授の夏季休業スケージュールが発表され夏休みが始まった事を知った。漂うような空虚な感覚のまま下宿屋に留まっていた。

 生活の毎日に飽きて急に海を見たくなった。JR山陰線下り列車で1時間ばかりの駅に着いた。

 無人の駅ホームの前には日本海が拡がっていた。

 誰もいない浜辺の砂浜に降り立って夏の太陽で暖められ霞んだような遠に見える島影を見つめていると涙が落ちた。

 田舎の実家に帰って受験時代の5年間過ごした母屋の二階の自分の部屋に入った。

 ここで過ごしていたそのままの状態で時が止まっていた。

 まだ稲刈りには早かった。毎日テレビを見て過ごした。

 

 3/14大阪府吹田市の千里丘陵で日本万博博覧会(1970年第1回)が開幕したニュースが連日モノクロテレビで放映され会場内の様子やパビリオンに並ぶ人々の表情を映し出していた。

 9月10日過ぎやっと大学に通うためバスで出発した。

 

 乗車してバスが走りだした。後の座席に向かって歩いてゆく。 

 バスの車窓から母親が手を振りながら必死の表情で追っかけている姿が映った。

 行き別れになるような形相で必死になって追いかけている姿が今も鮮明に記憶の中に残っている。

 

 夏休みが終わって秋晴れの空模様が拡がる午後。食堂が入る学生会館でソファに座ってボンヤリしながらテーブルに積み重ねて有ったガリ版刷りの学生運動各派のアジビラを拾い読みしていた。

 もう一度来年、希望の大学を再受験しようか・・・。それとも京都の仏教寺院でも巡る旅にでようか?・・

 頭のに浮かぶ止めどもない妄想に答えを探して思考を巡らせていた。

 

 腕時計の針が講義開始時刻を示していた。椅子から立ちあがった時だった。

 ショ-トカットの女の子が黄色いパンフレットを差し出して質問してきた。

 神様はいると思いますか?

 神様???・・。今まで考えた事なかったなぁ・・

 神様を科学的に説明してる内容があるんですよ・・

 今から講義なんだ

 じゃあ。それが終ってからここでもう一度会いません

 そう。じゃあ・・3時ころ・・・

 出席に厳しい

 古賀先生の顔を思い浮かべながら教育棟のB会館を目指した。

 

 t・kitazawaさんのはなし 

 1970年11月15日から統一教会の厚木修練所であった40日修練会の実践活動中で関西の宝塚駅に行った時でした。夕方暗くなり始めていました。JR駅前は工事中で道路のアチラコチラにカラ-コ-ンで仕切りがしてあって点滅するライトが細長く連なっていました。寝泊りと移動に使っていた小型マイクロバスの運手は待ち合わせてにために駐車する場所を確保するために苦労していました。私は途中の駅で乗り合わせたので車内から外を見ていました。

 運転手は見つけた空き駐車空間で乗降ドアを開いてまっていました。

 夕方のラッシュと駅前の工事でかなりの人が往来しています。

「手に花束と黒いポーチを持った女の子が女性の班長と乗り込んできました。乗車するなり「三島由紀夫が事件を起こして割腹自殺したんだって!ニュースでやっていたは!」興奮した声が僕の耳に突き刺さるように届いてきました。

 僕は『嘘!』口には出しませんでしたが衝撃で背筋が震えた。

 

 大学入試に失敗して予備校に通っている浪人生活で唯一希望の光となって煌めいていた作家、三島由紀夫。

 予備校に通いながら彼の小説本や講演文、週刊誌に載ったグラビア記事を手当たりしだい読み耽った。

 その作家が自決した・・・

 叫んで乗車してきた女の子はその話題を口にしなかった。

 私も聞きたかったが勤めて忘れる事にした。

 

 40日修練会が終った12月末。

11月25に自衛隊東部方面総監部にて割腹自決した三島事件の全容を近くの書店や市内の図書館の新聞閲覧室で詳しく知った。

 私は夏休み前から、統一教会の学生が集まって生活をしていた寮で体験生活中でしたので、この事件と冷静に向き合うことができました。学内では三島由紀夫研究会という名のクラブが設立されたと聞きました。

 そのころ統一教会では先輩教会員の数名が渡米メンバーに抜擢されてアメリカに渡って行きました。全米各地で始まった僕らが『大先生』と呼んでいた教祖のアメリカ講演のキャンペーンの応援でした。

  世界平和統一家庭連合総裁文鮮明師講演

 アメリカを中心とした神様の計画

 1975年12月18日アメリカ、ワシントンDC国会議事堂コーカス・ㇽ-ム 

 今日私は、美しいアメリカ議会の殿堂で、皆様にお話するようになりましたことを光栄に存じます。アメリカの国会議員各位を迎えて、お話することのできるこの機会は、私にとって二度目です。

 その最初の機会は1974年10月8日でした。それから一年が過ぎた今日、私は再びこの壇上に立ちました。一年が経過する間、私はアメリカで、次第にアメリカのマスコミの論壇の対象になりました。全国の各新聞は、私に対する記事を大書特筆し、いくつかの雑誌は、私の写真を表紙にのせ、「cover story」として扱いました。

アメリカ言論機関が物議としている焦点は、私がアメリカの青年たちを洗脳するということです。それでは、賢明なるアメリカ国民の皆様に、一言お聞きいたします。いったいアメリカの人々が、このレバレンド・ムーンによって洗脳されるほど、愚かな人々でしょうか? いいえ。私の答えもいいえです。私は、尊敬するアメリカの人々が、このような非難をすることが理解しがたいのです。しかし今日、その弁明のためにここに来たのではありません。私は、神が伝えなさいと言われるみ言(ことば)を、証しするためにきました。その他は歴史が証明するでしょう。今から私がお話申し上げようとする題目は、「アメリカを中心とする神の計画」です

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 プロローグおわり

次回から本編

 10月4日スタート予定