小説 ♪絶唱♪ -27ページ目

小説 ♪絶唱♪

ドキメンタリ-風小説絶唱
epilogue《エピローグ》小説それから
第3部 こころ 75歳になった男が感じる天の役事
第2部 共鳴太鼓 未来を背負う若き世代の物語
第1部 やまぶきの花 戦後まもなく生まれた男が生きた昭和、平成、令和の物語。

  

 

 前回のあらすじ

教会で集まりの後の団欒で夢の話になった。それぞれが不思議な夢の体験をもっていた。きっかけは先週,

本田がみた夢の話からだった。・・同じ県内ながら始めての場所で道に迷ってしまった。一緒に来た妻は飛行機の出発に合わせて近くのバス停から空港行きのバスに乗車して行ってしまたった。住んでいる市内に帰るにもバスの時刻表の行き先名には市内の名称は無かった。通りかかる人ここから市内に行く方法を訪ねても誰も「知らないわ?」の返事だった。この地域から他の町に行く道も聞いたが「知らないわ」との答えが返ってくるだけだった。本田は道に迷ったと悟った・・・・夢だった

 

 妻が韓国に出かけた週末。数年前に会った友人から青いレターパックが送られたきた。

本田の住む県とは違った県名からの発送だった。

 送り元は中国山地の県境の先に住む山田薫だった。

 山田薫と会ったのはコロナが始まる4年も前だった。山を越え川沿いを走る国道から県道に入り更に町道を走った先に一塊の集落が有った。

 広島県との境は小川だった。この小川の南側が広島県、北側が隣の県。当然、行政区分となると歴然としてくる。同じ地域の山間の集落だったが選挙区域はもちろん町役場も、そして何か事件、事故などあるとそれぞれ別の県の管轄となってしまう。

 今でこそ町名は違うが地域としては同じ地域名だった。

町役場の支所が有ったころはそう不便は感じなかったようだが、町役場の支所がなくなり少し不便を感じた。さらに同じ集落でも「県の出先機関が廃止になって片方の地域から県庁まで行くのには距離に差がでて大きく負担が係ってくるようになった」と言っていた。

 今では民営化されたと言え郵便局を始め、宅配業者はそれぞれ違った場所のルートの運送ターミナルからの配達らしい。 

 

 添えられた手紙には昨年、奥さんが聖和(逝去)されたことが記されてあった。

 昨年の年始早々、福岡に住む娘の家に手伝いに行った時、風呂場で倒れて帰らぬ人となったとあった。

 『その後の一年半に渡る出来事を小説として書いてみた。登場する人物名は仮名です』とあった。妻の追慕も兼ねて来月6月早々、韓国の聖地に訪れる旨も綴られていた『もし、本殿聖地で会えるようでしたらお会いしたい』とあった。

 

 本田は手造り小冊子の小説を手にした。淡い緑色の和紙のような表紙だった。

 

 

   ・・・・ 元旦の夕陽が、公園の先に見える住宅街の西の空に白く輝いている。もうすぐ暗い闇が何処からかともなく忍びよりここら一帯を覆ってくる。

 寒々とした夕暮れながら今日は少しばかり新鮮な気分だった。それは年明けした意識の影響だろう。

 公園の入口からヘッドライトが灯った自転車が真っ直ぐ此方に向かってくる。ペタルを踏み込む姿勢から孫娘だとわかって山谷薫の顔がほころんできた。

「お祖父さん!何しているの?みんな待っているよ!」「あぁ夕陽を見ているんだ。お祖父ちゃんが生まれた山陰の海岸ではね、今のような冬の季節なら白波が立つ日本海に夕陽が落ちるんだ。沈む太陽から真っ直ぐに光がお祖父ちゃん向かって射してくるんだ。眩しい光の帯の中から笑顔で話しかけてくる人がいるような気持ちになるよ。それからだね、冬の夕陽が大好きになったのは。晴れた日の夕方、海に沈む太陽って本当に綺麗なんだ」「フゥん、お祖父ちゃんの生まれた所の夕陽は海に沈むの?でもここの夕陽は山よ?判った!夕陽って二人いるんだ」

 祐心の気持ちを思って山谷は黙っていた。

 玄関に入ると飾った花から澄んだ香りが漂ってきた。「まぁ良いニオイ!」佑心が振り返って言った。

 今年は六人用の食卓テーブルの椅子は五脚だった。

 山谷薫と息子高範、対面のキッチン側に高範の妻志穂、その右に孫の佑心左側に顕志と五人が座った。「感謝していただきます!」嬉しさで言葉尻が羽上がった佑心の大声で正月の夕食が始まった。

 夕食の後、長男高範と二人の孫たちのゲームに参加した。「『テリトリーブロクッス』だよ!」と教えてくれたがゲームのルールが理解できたのは団欒時間の終りころだった。

何時もは子供たちが使っている部屋に志穂が準備してくれた寝具に入って天井板の白いボードを見上げた。二年前は妻の琴美と一緒に年越しはこの部屋だった。ボンヤリと天井を見上げているとさっきまでの食卓の会話が今年か一昨年のことか区別がつかなく混在して甦ってきた。

 山谷はその夜夢をみた。妻の琴美が女の子を抱いていた。時々自分の頬をその娘の頬に重ねて泣いていた。笑顔で泣いていた。

 琴美の瞼から溢れ出た涙が抱いた娘の目尻の下の小さな黒子を濡らしている。

 妻の琴美がこの世を去ったのは出産後の次女清香の体調がまだ回復していない昨年二月の寒い夜だった。清香の家に出かけ風呂場で倒れてそのまま帰らぬ人となった。救急車で運ばれた病院の死亡診断書には『急性心筋梗塞』の文字があった。

 

 出産前から九州の博多に住む次女清香は妻に何度も助けを求めてきた。三歳になる長男晃一の子育てに行き詰まり、さらに自分のお産と夫の単身赴任が重なってパニックになって助けを求めてきた。妻の琴美は数年前から隣町のスーパーにパートで働いていた。惣菜販売陳列コーナーのバックヤードで商品製造の勤務だった。次女から悲鳴に近い連絡があったのは年末だった。『来年になったら行ってあげる』と言って一年の最も多忙な十二月末の時期を乗りきって疲れた身体を抱えたまま次女の家に向かい出産に立ち会った。

 次女は母親が傍らにいることで落ち着きを取り戻し陣痛から二時間余りで無事女の子を出産した。

 滞在は三月末までと山谷に連絡してきた。その後は夫の母親が家事の手伝いで来ることが決まっていた。そして四月には清香の主人基也が本社勤務になって帰ってくる。妻琴美はそれまでの約束で勤務先の担当者にも了解を得ていた。

 家に居ても 山谷は春四月の田圃の作業が始まるまでこれと言ってすることはなかった。次女の長男の遊び相手になればと思って二月早々、車で出かけることにした。裏庭の先に住む隣家のカーヤンに出かける旨と積雪の様子を知らせてくれるよう頼んでおいた。

 最近は積雪も少なく『梯子を使って屋根に上がり雪降ろしをしていた事も“昔話”になってしまった』と集落の会合で何度もでてきた。特にここ数年は積雪も極端に少なく山谷は玄関前や通りまでの除雪は竹箒の掃き掃除で済ませていたので心配はしていなかった。

 二月十日だった。博多の地も朝から気温が上がらなかった。北の空は雪雲の黒雲が覆い昼間の最高気温も十度を越えることはなかった。

 妻の夕食の片付けが終わって山谷は孫と居間のソファでテレビのアニメを見ている時だった。突然、建物の北側からガダーンという音とガラスの砕ける音がダイニングまで響いてきた。風呂場付近からだった。しかも室内からの音だった。遊んでいた三歳の孫が音を聞いて立ち上がろうとした。「晃一君!お祖父ちゃんが見てくる」山谷はそう言って音のした風呂場のドアを開けた。二階から次女の清香が降りて長男を抱き止めた。山谷は風呂場の様子を一見するとすぐ居間に引き返して携帯電話で救急車の要請をした。

『落ち着け!落ち着け!』自分に言い聞かせながら横にいる清香に「救急車を頼んだからここの住所を教えてあげて」と言って携帯を差し出した。言葉が震えていた。

 

 山谷は妻の葬儀を「田舎の家で」とも思ったが交通事情や式の段取りを考えて葬祭会社が運営している会館で執り行う事にして長男高範に電話で全てを依頼した。その葬祭会社は40年前東京からUターンして広島に来て最初に入社した会社で知り合った男が転職した会社だった。その男の兄が始めたばかりの全従業員四人の小さな会社だった。その男は今も相談役として席を置いていると年賀状にあった。

 葬祭会社と会館の予約と契約は息子がし、妻の遺体の迎えも葬祭会社が手配してくれることになった。

 葬儀の前日の午後に山谷の車に続いて、冷たくなった妻を乗せた車が会館に到着した。

 

 妻が死去した九州から広島までの280キロの距離を山谷は自分で車を運転して帰り、一連の儀式を終え県境の実家に着くまでの四日間は昼は歩き夜は段取りに苦慮し続けた。七十四歳の身体には拷問のような辛さだった。やっと妻の実家に辿り着いたが数日間は起き上がれなかった。さらに二月末から三月にかけて近所の人や親戚などの訪問、挨拶が続き毎日が苦行のように過ぎていった。

 

 山谷が日常生活を取り戻したのは四月末だった。初旬から始まった田圃の耕運が進み、近隣の集落でも早苗を植え付ける作業がスタートする五月の連休の話題が聞かれる頃だった。山から吹いてくる風に木々の新芽の匂いがする季節になっていた。

 山谷は夜中に一度起きて二度寝した。外の光が部屋にも射し込む時間だった。玄関のガラスの引戸を開ける音で目が覚めた。〈次回に続く〉」

 次回更新5/31ころ