レターパック(1)のあらすじ
山田薫と会ったのはコロナが始まる4年も前だった。山を越え川沿いを走る国道から県道に入り更に町道を走った先に一塊の集落が有った。小川の南側が広島県、北側が隣の県。当然、行政区分となると歴然としてくる。同じ地域の山間の集落だったが選挙区域はもちろん町役場も、そして何か事件、事故などあるとそれぞれ別の県の管轄となってしまう。添えられた手紙には昨年、奥さんが聖和(逝去)されたことが記されてあった。昨年の年始早々、福岡に住む娘の家に手伝いに行った時、風呂場で倒れて帰らぬ人となったとあった。
『その後の一年半に渡る出来事を小説として書いてみた。登場する人物名は仮名です。ちなみに山谷薫は私、山田です』とあった。妻の追慕も兼ねて来月6月早々、韓国の聖地に訪れる旨も綴られていた『もし、本殿聖地で会えるようでしたらお会いしたい』とあった。本田は手造り小冊子の小説を手にした。淡い緑色の和紙のような表紙だった。
山谷薫は玄関のガラス戸の音で煙幕のような眠りの世界から引き戻された。
「薫ちゃん、起きているか?今年の田植えの順番だけどね」
車二台がやっと通れる生活道路の対面に住む吉岡政治の大きな声だった。
山谷は急いで階段を降りて玄関口に向かった。玄関戸の敷居に吉岡が立っていた。入ってくる外気に夜の冷たさは消え太陽に温められていた。顔にあたって心地良かった。
吉岡政治は同じ集落の谷本政春と農業法人を立ち上げて共同で稲作作業に取り組んでいた。山谷もその組合員に入れてもらっていた。
「今年は谷本の所が五月の連休中、そして俺の所が連休開け、その次が依頼を受けている牛の谷集落の大きな田圃三枚を植え付けた後、薫ちゃんの田圃ということに谷本と相談したんだが良いか?」
「あぁ、良いよ。俺も妻琴美の遺品の整理や代々の積み上げてある食器や家具、衣類を町の廃棄物センターに持ち込もうと思っているんだ」と言いながら眉間に皺をつくった。
数日前から居間やキッチン、二階の二つ部屋、一階の一つの六畳間の部屋と押し入れを覗いてみて改めて百年近く三代が暮らしていた生活用品の多さに驚愕したばかりだった。
「お義父さんが使っていた農作業用品や使わない古い耕運機など処分したんじゃない?」山谷が眉間に皺を寄せた顔をみて吉岡が言った。「農作業の道具など俺の思いで処分出来るんだが、生活用品となるとまた別なんだ。
家内の母親が大切に使用していた和服など一つ一つに『母親と過ごした幼い頃の思い出が詰まっていてなかなか手放す気持ちになれないの』と言って家内が渋っていたんだ。俺も養子なんで『嫌だ』と言うものを処分する権限などないものなぁ」
「ふぅ~ん。お前も大変だね。後片付けの為に養子に入ってきたようなもんだね。何か手助けがいるようなら遠慮なく声をかけてくれよ!」吉岡は年末に裏庭で転んで捻挫したという左足を庇いながら道を横切って帰っていった。後片付けを思うと気分は最低だった。相談する妻は居なかった。
農業法人『まほろば』は会員を含めると十五人になるが本当に働ける人数は八名ほどだった。平均年齢78歳一番若い谷村君が58歳、年長者は会長の山口寛一さんが85歳で名も実も名誉職で看板だった。
会議で80歳を越える会員が多くなって「これからどうするか?最後は解散か?」の話になっていた。いや話だけではなく現実味を帯びてきた。
妻琴美は女二人の姉妹の妹だった。『家と少しばかりの田畑の相続をどうする?』姉妹の母親が十年前が亡くなった初盆の法要の後二家族の間で話題になった。神奈川県横浜市に住んでいる姉夫婦やその子供たちは「全部貴方がたにお願いいたします」と即答して頭まで下げてきた。確かに将来地価が急激に上昇し人々が移り住んで町が市に昇格する事などあり得ないことだった。
1人でキッチンに立ち夕食の用意をした後、入浴を済ませて食事のため再びキッチンで食器に盛り付けテーブルに運ぶ。身体に記憶されている夜勤の時の習慣のまま茶碗のご飯を口に運び味噌汁の椀を左手に持って箸を浸ける。椀の底から溶けた味噌が温度差で表面に浮かび上がってくる。この様子を夜の勤めをしながら何度も見てきた。
夕食を終え入浴を済ませて布団を敷くと『今日生活が全て全て終わった』と自覚する。これから東の空が明るくなってくるまでの長い時間が始まる。
数ヶ月前までは横に寝ている妻の寝言が聞こえたが・・
空白の世界に漂っている自分の魂(霊)。誰か、誰かを掴むか、誰かに息ができないくらい羽交い締めにして欲しいと魂が欲するくらいの虚(うつろ)さだった。
こうした日々が数日経った深夜だった。昼間のの作業仕事の疲れで食事後玄関口の来客用の居間のソファで寝込んでしまった。スイッチを入れたテレビの画面はでジャージャーと薄暗い光を発していた。この部屋は昼間の仕事の休憩と集落の役員の連絡で来客も多かったこともあって畳部屋の六畳の居間を改造しソファと机を置いていた。
睡魔が抜けると心にある思いが湧いた。これからは妻の遺品の一つ一つを自分の手で紐解きながら片付けてやる事が今の自分に出来るもっとも大切な務めのような気がしてきた。妻との生活を心に刻み整理する事が妻に対する感謝の行為だという想いだった。
会員登録しているシルバーセンターの仕事で家屋の解体前に室内の整理を依頼される仕事も増えてきていた。現場に到着するとこの家で生活していた人達の気持ちなど詮索することなく可燃物、プラスチック、金属、不燃物に分別する無慈悲な作業員に徹しなければ作業が進まなかった。ここで縁故者にとっては“宝物でも他人にしてみればゴミの山”に過ぎない事を知った。
山谷薫は毛布を跳ね除けて二階の部屋に向かった。
子供たちが卒業や就職で家を出た後は二階の一部屋は山谷専用のパソコンと書籍があり一寸した書斎気分に浸ることができる空間だった。もう一部屋は夫婦の部屋で妻が趣味の手芸用品などを置いていた広い机もあった。
琴美が亡くなってからは寝ること以外の生活の全てが一階に移動してしまった。
山谷は階段を上がって二つの部屋に挟まれた幅一・五メートルばかり小部屋のドア開け二段作りの押し入れを見た。
妻の性格がそのまま現れたように整頓されていた。
上段のカラーボックスに目がいった。
四段あるカラーボックスの一番上段には『日記令和3~』の文字が青のカラーマジックで記してあった。亡くなる前から書き続けていた日記だろう。
パラパラとページを捲ると最後の日付は次女の家に行く前日だった。
カラーボックスの一番下の段の右側端のノートの背表紙には昭和64年(平成1年)の文字があった。
64年、その年一月から山谷薫は広島市から単身で県境に近いこの土地にある工場に転職した。
住まいは妻の実家だった。琴美と長男高範は四月になってから引っ越してきた。雪が溶け妻の実家の周りの田畑から緑の雑草が顔をあげ元気一杯に手を振っているような季節だった。
広島を走るアストムラインのニースもアジア大会の話題も三交代勤務の休憩時間にテレビで知った。
四月十五日(土)☀
今日、長男高範が四歳を無事迎えた。年号が平成に変わって3ヶ月が過ぎた。なかなか新しい年号に馴染めないがやがて慣れるだろう。高範が新しい年号とともに元気で大きくなってくれる事を望むばかりだ。☆☆
💐
高範の誕生から五年目に次女清香が生まれた。それから二十年近く四人家族の生活が続き、二人が大学を卒業して就職した年に山谷は六十歳の定年を迎えた。定年後も会社の定年延長制度で働き、この地での生活は33年にもなっていた。
山谷にとってこの地は故郷では無かったが二人の子供たちにはいつまでも心に残る故郷だった。
山谷は正月の初夢に出てきた琴美が抱いていた女の子が心に引っ掛かっていた。琴美があれほどの表情をして抱きしめながら涙を流しながら頬擦りするする女性・・
妻の表情から抱きしめて泣いていた女性は三歳で亡くなった長女一純が成長した女性のような気がしてならなかった。
長女一純が亡くなったのは夫婦で東京からUターンして広島市内で働いていた時だった。琴美は生まれは県北だったが広島が故郷だった。薫は山陰の生まれで高校まで育ち東京の大学に入り中退した。その後川崎で就職した。Uターンといっても山谷にとって広島は右も左も解らない土地だった。
二度目の転職で貯金通帳の残高も残り少なくなっていた。長女は病院で幼児急性白血病と診断され入院した。
三歳の誕生日の一カ月前に亡くなった。妻は小さな棺に収まった亡骸を抱きしめて涙を止めもなく落として泣いた。山谷も一緒に泣いた。
一純は左目の下に小さな小さなホクロがあった。山谷もその子の存在を忘れた事はなかった。
妻は山谷の思いを数倍超えて想い続けていた。朝起きると必ず小さなカップに冷水を入れキッチンの後の明かり取りの小窓の下棚に置いていた。
長い間、山谷は『台所に男子入るべからず』という幼少ころ育った時代的感覚、家庭の習慣から妻の聖域に立ち入らなかった。
朝一番に妻がしていた習慣に気がついたのは引っ越して長男、次女が産まれ妻が育児にてんてこ舞いするようになってからだった。
料理の味を確認する小皿にしては底が深い陶器だった。何気なく山谷が琴美に聞くと涙を流しながら答えた。
「あの娘、一純が亡くなってからせめて私がしてあげれる事だと思って始めたの。今まで黙っていてゴメンなさい。そうでもしない私が潰れそうだったの」山谷の目を見つめて言った。
瞼に溜めた涙が溢れて頬をつたって落ちた。
この日から山谷は自分から亡くなった長女一純の名前を口にする事はなくなった。家族で長女の名前が話題になる時も妻の心の様子を熟慮しながら話に和していった。
長男高範と次女清香の成長と共に妻の顔を覆っていた憂いの表情は薄くなっていった。長男が結婚した時は妻の顔に笑いが現れ、次女の結婚式の場では新郎、新婦の以上の嬉し涙を流していた。
妻が何時も使っていた大きなテーブルの前に座り日記帳を手にして『(平成64年)令和1年~2年』の開いた。五月からのページに次女の結婚式の時の気持ちが書き綴られていた。
五月一日(大安)晴
今日から令和が始まった。娘清香の結婚式。この日を長い間待っていた。清香に長女一純の姿を重ねて結婚式に参席した。夫にも口にしなかったし、私の心の奥の奥にしまっていた。あの子一純が4歳で天に昇ってから長男を弟として、次女を妹として育ててきて今日次女の結婚式で子供たち三人の母親の役目がひとまず終わる。やっとこの日を迎える事ができ安寧と喜びで式の間泣いてしまった。長男は気がつかなかったようだが次女は感じていたようで亡くなった姉の事を私に何度か聞いてきた🎉・☆☆
山谷は妻の聖域に土足で侵入して盗み視るような罪悪感で日記を閉じた。妻琴美は山谷には亡くなった長女をふくむ三人の子供たちにかける母親としての気持ちを口にしなかった。
ボックスから出した数冊の琴美の日記を元の位置に両手を使って丁寧に戻した。
そして階段を滑らないように注意しながら降りてキッチンに入った。
『終の棲家になるだろう』と思っていた妻の実家。帰って来ると何時も家にいた妻が先に旅立つとは・・
目を閉じると春、夏、秋、冬と季節毎に変わる自分の故郷の海の波の音が聞こえてくるようだった。
『お祖父ちゃん、元気だしなよ!佑心がお祖母ちゃんが大好きだった花を持って田舎に行ってあげるからね』昨夜も佑心が動画でメッセージを送ってくれた。もうすぐ一年になる。手にしたコーヒーカッブを口にした。
コーヒーの匂いがこんなに強く、これほど苦いとはこれまで感じなかった。
・・「今朝のコーヒー、どうしたの?味も苦味は何時もと違うね」妻の声が聴こえてくるような気がした。 〈終わり〉
次回更新6/7ころ