小説 ♪絶唱♪ -18ページ目

小説 ♪絶唱♪

ドキメンタリ-風小説絶唱
epilogue《エピローグ》小説それから
第3部 こころ 75歳になった男が感じる天の役事
第2部 共鳴太鼓 未来を背負う若き世代の物語
第1部 やまぶきの花 戦後まもなく生まれた男が生きた昭和、平成、令和の物語。

  

これまでのあらすじ

 今年早々逝去した妻の実家に挨拶に訪れた橘竜二は義兄夫婦とその子供たちに予想以上に歓迎された。。義理の兄山下豊治から亡き妻の話を聞き、妻が長い時間をかけながらコツコツと兄に思いをかけて兄妹愛を育んできていたのを知った。妻がかって大学生だったころ教会を紹介した谷口義美が県境を越えて再会するために来た。谷口は40数年前にある出来事に遭遇し、その時受けた衝撃の生々しさを口にした。義兄竹下豊治は「生きるって大変な事ですね」と言った

 

 

 縁側に座りながら橘竜二は妻とよ子の兄山下豊治に「お父さんは学業途中で応召していった学徒出陣の世代ですか?」と聞いた。

「いや大学を卒業して先生をしていたと言っていました。召集令状で軍隊にいった人たちと同じように応召したようです。軍隊時代の話を父は一切してくれませんでした。ましてシベリア抑留の話など全く聞いた事は有りません。私は年齢を重ねるうちにシベリア抑留者の方々がどういう収容所でどういった抑留生活を送ってきたか知りたくなっていろいろ調べたりもしました。

 亡くなって36年になるけど今思うともっともっと戦時中の話を聞いおくべきだったと後悔しています。私が教員になって15年ほど経った頃、二階の倉庫を片付けていると戦後40年の時、町内在住の方々が戦時中の思い出を綴った上下組の文章で200ぺ-ジの手記をまとめた本が出てきました。父親・山下亀一も載っていました。インタビュ-記事でしたがね。その手記の下に額縁が有りました。軍隊に入隊してから帰国するまでの履歴が日の丸の旗に墨で記されている遺品でした。勲章が1つ入っていました。

 手記はシベリア抑留の話でした。400原稿用紙で4枚足らずでしたが父親の肉声だと思って読みました。収容所での仕事のノルマと食事の量の話、収容所のソ連の監督官の様子などの話が載っていました。『・・それと思想的な教育なあ、切り換えの早いものは早よう帰したなあ、若い連中を教育して早う日本へ帰したなぁ。思想的に大丈夫だという者からかえしたなぁ』と書いてありましたが」、この意味がよく理解できませんでした」

 豊治は言葉を切った。

「私にとっては厳しい父親でした。だが、妹とよ子にはメロメロのように優しい父親でした。妹が生まれる前は、感情が爆発するような事もありました。その時は恐怖でした。台所の土間に家族の茶碗を叩きつけている姿を見かけた事も有りました。

 障子戸の蔭から母親が目に涙を一杯溜めて、片付けている様子も目にしました。

小さいころは本当に私はこの親の子?と恨んだ事もありました。一時は早くこの家を出て行きたかったことも数度ありました。でも、父親が戦地に行き、最後は過酷なシベリアで抑留されたと知って理解するようになりました。

 この父の体験記の中には数十名の方々の体験記が有りました。海軍で戦地に行った人、飛行機の整備で任務に就いていて特攻機の任務で飛行機に乗り込む少年飛行士を見送った人の話もありました。

 

 父と同じようにシベリア送りになった人の収容所の話もありました。特に収容所内の"共産主義教育”どういう方法でどういった内容だったかは詳しく書いてなく、全く判りませんでした。だがこの意味を知ったのは額縁に入っていた軍歴の文書を読んでからでした。

『囚人において重労働につく、昭和22年末期より共産主義運動の犠牲となり思想精神に動揺を受ける、翌年6月極度の栄養失調によりソ連病院に入院』とありました。

 この"共産主義運動の犠牲となり思想精神に動揺を受ける”と有った意味が本当に理解できたのは1972年2月長野県の軽井沢の保養所”あさま山荘”でおきた人質立てこもり発砲事件で明らかになった連合赤軍の内部で起こった『総括』といわれている内容を書いた本を読んで判りました。

 "革命戦士に育成させる、なる”ために人格心情まで踏み込んだ自己批判と相互批判の方法論でした。兄弟、恋人だったとしても共産主義の理念はそれ以上に貴い価値有るモノだという思想。

 これを知ってから無神論者が人間をどういった存在として認識し、彼らが目標とする世界の到達地点が判りました。

 私の大学でも多くの学生が共産主義に賛同して時の政府に反対運動をしていました。

 そうした大学の雰囲気の中、とよ子が学生時代に左翼系の学生自治会の手伝をしていたことも父は知っていました。だが、父はそれ以上に強い愛情をあの子には注いできたという自信が有ったのだと思うようになりました」

 豊治が父親を懐かしく思い感謝と尊敬の気持ちを込めて語っているのが良く判った。

 

「とよ子さんと僕は同じ年齢なのでその時代の雰囲気はよくわかります。僕も大学の夜間部のころ学習会に何度も誘われました。まず最初のテキストは『共産党宣言』でした。「ヨーロッパに幽霊が出る――共産主義という幽霊である・・この冒頭の言葉は不思議な魅力をもっていましたね。用語は難しく内容は難解で良く判りませんでしたが、運動に参加し、仲間で討論を重ねているうちに不思議なことに自分でも何の抵抗も感じなくなり口にするようになりました。昔、昔のお話ですけどね・・」

 

 橘竜二が口にすると山下豊治は「あの時代の混乱に似たような時代が再びめぐってくるような世相になって少し不安になってきたのは私だけでしょうかね。孫たちの姿を見ているとこの子の未来のために真剣に祈らざるたをえないよう気持ちになってきました。最近は・・」

 

 橘竜二は妻と歩いて無秩序に重なったように思えたこれまでの年月が“赤糸と白糸で織られた正月の締め縄”を造っていたのだと思った。

 これに息子、孫、曾孫 二代目、三代目が銀、金の飾りをつけてくれるかな?

 

 次回に続く