小説 ♪絶唱♪ -16ページ目

小説 ♪絶唱♪

ドキメンタリ-風小説絶唱
epilogue《エピローグ》小説それから
第3部 こころ 75歳になった男が感じる天の役事
第2部 共鳴太鼓 未来を背負う若き世代の物語
第1部 やまぶきの花 戦後まもなく生まれた男が生きた昭和、平成、令和の物語。

  

これまでのあらすじ

 7月末、妻とよ子の実家を訪れた。義兄一家に歓迎された訪問だった。義兄山下豊治が語る幼少の頃の話は新鮮で驚きだった。

 橘竜二は妻が余りのも身近にいた存在であったが故に全く知らなかった。

  山下豊治の言葉に竜二は心地よい気持ちになった。自分を実の弟として話してくれているのを感じた。竜二はこれまで人に余り語った事の無かった自分の幼少の生活を口にした。時代も貧しかったし、自分の家族も貧しかった。

 

 「これから秋の稲刈りの準備のため買い物に行く」という山下豊治の言葉に誘われて豊治の愛車‟国産ベンツ”に相乗りして庄原市に買い物に出かけた。

 運転しながら豊治は 「この市の名前は昭和29年(1954年)に1町6村が合併した時できた。この旧市に平成17年 3月31日 (2005年)更に隣6町が合併してに新しい庄原市が誕生したわけだね。

 合併することによって人口が約2倍、世帯数も約2倍になったね。これによって広島県北にあった比婆郡、甲奴郡が消滅してしまったがね。今ではホームセンターが3店舗、2つの総合病院、県立大学、国営備北丘陵公園とそろっているから生活するには非常に良いところだと思っているね。それに高速道の入口もあるしね」と満更でもないといった顔だった。

 市内のホームセンターで雑草刈払い機の回転歯と防護メガネ、防護用具、さらに除草剤などを購入してトラックの荷台に放り込んで「昼の食事に行こうか!?」と誘われた。

 

 着いたのはお好み焼き店だった。

 「広島市内では通りを歩いていると何処でもある”広島風お好み焼き”屋さんでしょうけれどね。さすがに広島県の北のここまでくるとこの市内でも2軒かな?もともと戦後食料難の時代に手軽で栄養価もあってお腹一杯になる料理として始まったものですからね。私も始めて口にしたのはこの庄原市の高校に通学し始めて知ったようなものですよ。夕方、学校から駅まで歩いていると風にのってソースの焦げた匂いに胃袋が刺激されてグゥグゥなり始めた事が何度もありましたね」

 カウンター越しに見える大きな鉄板に上で店主が片手でヘラを動かしながら左手に卵を掴んで割り、鉄板に上に落とす。続けてヘラで計算したような大きさに広げ、生地に乗った麺、野菜に上に載せる。鉄板からジュウ~ジュウという音が耳に心地良かった。職人業の店主の一連の動作を見つめている竜二に豊治は言った。

 「橘君は18歳で山陰の田舎町から横浜に出てからの苦労は一杯あったでしょうね。まだまだ交通網も発達してなくて関東に出かけるにはよほど勇気がいる時代でしょうから。竜二さんが横浜に就職して出ていったのは昔の大阪万博が開催される前ですよね。

 東京から大阪まで新幹線が開通したのが確か1964年でしたからね。しかも4時間もかかる時代でしたね。1964年の東京オリンピックと70年の大阪万博は日本が戦後の復興を世界に宣言しアピールするイベントでしたね。私も急行列車で大阪万博には出かけましたよ。既に教師として働いていましたので」

 

 竜二の頭のスクリーンに豊治の言葉で1968年(昭和)3月末自分が横浜駅の改札口を出た時の情景が蘇ってきた。

 

 ・・・全てが刺激的だった。昼間は仕事に没頭し夕方から近くの大学の夜間部に通った。

都会で埋没し溺れないように必死だった。田舎に帰っても生きていける家庭環境でもない事は承知していた。 稲作の田圃なし、働き場所なし。
 夜間部に通いながら世間を知った。職場の人も夜間部に人間も二十歳を迎える同じ年齢の世代だが、様々な環境で育っていた。
 サークルで仲間の読書会に参加しマルクスを知りスターリン、毛沢東も知った。「共産党宣言]の巻頭の言葉に不思議な魅力を感じ共産主義唯物論、唯物史観、価値説も読書会で知った・・・

 当時、学生の間で人気のあった小田実、開高健、柴田翔、高橋和巳の作品を読み漁った。時には隊列を組んで市街地にデモに出て行った。新左翼の学生組織の集会の中にいた事もあった。

 一方である作家の「文化防衛論」に共鳴し大学の同好会の自主学習講座で小説「憂国」、「英霊の声」から、伝統、日本文化、天皇についても考えるようになった。
 1970年11月だった。衝撃的な出来事が起こった。小説英霊の声を発表した作家が東京市ヶ谷の自衛隊で割腹自殺する事件が起こった。竜二は‟親泣かせ○○”と新聞、雑誌でセンセーショナルな代名詞を付けられていた新宗教の学生組織の集中修練会に参加していた。沖縄からはパスポート持参で参加していた。そんな時代だった。

 夕方の食事中に班長が「三島由紀夫が死んだというニュースで言っていたわ」

 緊張した顔をして言った・・・・

 

 竜二は脳裏につぎつぎと浮かんでは消える画像を消しさるように頭を左右に振った。

 

 豊治は割バシでお皿に盛って有ったお好み焼きを上手に寄せ集め、一口で入る量に挟み込んで口に運んで言った。

「1970年大阪万博の年。僕は高校で国語を教えていたことも有って衝撃なニュースの有った年だったね。作家三島由紀夫が死んだ年だったんだ。

 それからだね。‟小説家は単なる物語造りの専門家”の顔だけじゃないんだと知ってからだね。毎年の発表される芥川賞や直木賞には興味を持っているんだね。最近の世相をみていると昔、作家三島由紀夫が言っていたというより憂えていた時代に段々と近づいていくようでね。最近、彼が何を心配していたのか知りたくなってもう一度読み返したいるところなんだ。彼はノーベル賞候補にもなっていたけど芥川賞も直木賞も受賞していないだね」

 

 つい数分前、頭の中で反芻していた作家の名前が山下豊治の口から出てきて思わず竜二はゾックとした。

 

「彼はあの時代に預言した通りになってきているのを感じるね。彼が天才いわれていた理由が最近何となく判ってきたようになってきたね。彼の天皇に対する思いを代弁して書いているよう思える『憂国』『英霊の声』の中の登場人物と遠藤周作『沈黙』の作中人物の心象を路程を読みながら感じた二つの世界を橘君は辿ってきているんだね・・・」

 竜二は「・・・・僕は夜間大学中退ですからね」心根にある劣等感が頭をもたげた。

「・・?」

「何でも無いんです。独り言ですから」

 

 次回に続く