これまでのあらすじ
橘竜二は今年早々逝去した妻の慰霊と自分が知らない妻が育った故郷の様子知りたくなって広島県に東京駅から新幹線で出発した。八月の太陽は降り注ぎ連日高温注意報が発表されるなか広島新幹線駅に着いた。過去数度訪れた駅だったが付近一帯は様変わりしていた。妻の実家を訪れるのは五十年振りだった。過去には中国山地の県境に近い町までJR列車で訪れたが今回はバスだった。実家の周辺は様変わりしていた。耕作放置地が雑草で覆われ水田に風景は無かった。だが、義理の兄夫婦とその家族に迎えられ妻の幼少の頃の一端を知り心温まる出会いだった。妻の実家のお墓参りをした時、寂しく遺骨だけ眠る父母が”墓参りにきてくれ”と叫んでいるように感じて急遽予定を変更して山陰海岸の故郷に行った。18歳の時、就職で関東に出た。その後、夏には数度帰郷したが旅人の気持ちだった。墓所で盆前の墓掃除に来ていた小中学校の同級生に出会った。言葉を交わすと幼少の顔と現在に容姿が二重写しなって不思議な世界に迷い込んだようだった。
橘竜二は自宅に帰った。裏口のドアの鍵を開け頭上の電源ブレーカーを入れると風呂場に入る廊下の電灯が点いた。出発した時帰宅する時間を考えて廊下の電灯は点けたままブレーカーを落とした。居間に入って時計を見上げると午後七時を過ぎていた。
ほぼ十日間に渡る旅路だった。明日には宅配便で送った旅行鞄が届く。手持ちのバックの整理をすると何もすることがなくなった。
迎えてくれる妻の姿は無かった。
故郷の風景が思い出された。自宅からJR駅まで2キロの距離を自転車で往復し自宅から出て川沿いに500メートル走ると打ち寄せる波の音が聞こえる。岩盤をくり貫いたトンネルを抜けると一塊の集落が港を取り巻くように瓦を並べる集落がある。右手に港を見ながら海岸線の波打ち際に沿って高さ4メートルほどのコンクリートで固められた道路を駅舎まで朝夕自転車で往復した。嵐の日は波の飛沫がコンクリートの高さを乗り越えて道路の上まで打ち寄せた。
逆に波風が穏やかな夕方は海面がガラス板で覆われているように滑らかで、沈む太陽の光の帯が迫ってくる夕闇を切り開き幻想的な光景が目の前に繰り広げられる。
夜空から天使が舞い降りて来ても不思議ではないと思える時間だった。
竜二は18歳まで見続けてきた。
10月中旬から春先まで、家に着くと裸電灯は消えて真っ暗闇だった。自転車を置き灯りを灯し母が仕事に出掛ける前、橋の架かった小川に流れ込む山からの湧き水をバケツで運んだ五右衛門風風呂の外の火焚口に丸めた古新聞紙と枯枝にマッチで火入れをして薪に燃え移るまで手を加えた。漏れ出た煙で何度も涙目になった。
暫くすると母が森林組合の仕事と買い出しを終わって夕食の準備が始まる。夕食の準備が終わる頃、大工だった父が仕事仲間の人の軽トラックに便乗して帰宅した。
小学校の低学年の時だった。父が新築だったか直しだったか知らないが屋根から落ちて大怪我をした。それから3カ月間、母は森林組合の仕事をしながら父の介護を続けた。竜二と姉は橋を渡った先の集落の母の実家で寝起きをさせてもらった。父親の収入が途絶えて母は近所に御米を借りに何度も足を運んでいた。その姿を見ながら幼いながら竜二は心底『貧乏は嫌だ』と思った。何度も。
時代を、環境を恨んだのではなかった。父母を恨んだのでもなかった。
満たされない思いだった。
その父親はチョー・ヨンピルの『恨五百年』が好きだった。それに「釜山港へ帰れ」も。
韓国語の意味がわかっているのかどうか知らなかった。若い頃「大工の仕事で朝鮮半島で仕事をした事もあった」と有る時、教えてくれた。
もう一つ思い出がある。父は俗いう”気”が弱かった。心に不安がよぎると自分の意志とは違う力に作用されて震えが起こった。唯一の解決法は近所にいた霊的問題を解決できると評判だった人だった。不思議な事にこの人に祈ってもらうと震えがピタッと止まった。竜二は父親がこうした他人の霊的役事に頼る姿を見るのが嫌だった。仕事は丁寧で一級の腕だった。市の歴史にある家屋の解体修理作業にも参加していた。乾燥した時の木材の曲がり、材料の材質なども考慮に入れて造作ていた。他人からも認められる職人だった。父は竜二の性格とこれからの時代を考えて大学に進学させる財力はなかったので中学生の時、工業高校の機械・電気科に進学する事を進めてくれた。昭和42年、1967年60戸の集落で大学生になったと聞いたはお寺さんの長男だけだった。
竜二の就職先が決まった時は黙って送りだし出してくれた。母親は自分たちが年老いた時には帰ってきてくれる事を口には出さなかったが思いに抱いていたのは日々の言動で感じていた。
すべてが思い出の中から蘇ってきた。
存命中にもう少し父母が過ごした時代の人々の様子と暮らしぶりを聞いておけば良かったと何度も思った。
両親が生きていた時代ならではの経験した事を聞きたかった。
それは身近にいた妻にもいえることだった。
次回に続く
神無月のころの日本海は冬がすぐそこまできていた
