5月27日夕食が終わってパート勤めの疲れでぼんやりしていると、妻が『最高裁が教団側の忌避申し立ては『裁判の公正を妨げるとはいえない」』として却下されたったて・・・」と気落ちした声で言った。
橘京助は多くは期待していなかったが、絶壁のような頑強さを感じた。
この裁判は東京高等裁判所の判決「解散命令」を受けて全国の教会が閉鎖、教会名義の所有物の権利物が清算人に移行された。これに対して教団側が最高裁判所に特別抗告の訴えをした。 (特別抗告は、通常の不服申し立てが認められない裁判所の決定や命令に対し、憲法違反などを理由に最高裁判所へ判断を仰ぐ特別な手続)
今回の却下されたは、特別抗告を受け審議する1人の裁判官の人物が公平な審議をするに相応しく無いとして起こした裁判だった。
産経新聞が報じるところによると・・
沖野真已判事は東大大学院教授だった令和6年7月に開かれた「日弁連夏期消費者セミナー」の基調講演とパネルディスカッションで、旧統一教会について「特に伝道や教化として言われるその行為そのものが基本的に問題のある行為だ」「経済的な被害にとどまらず人身の自由を侵害している」などと発言。 教団側は「沖野判事は旧統一教会に対して著しい偏見を有しており、裁判の公正を妨げる可能性がある」と主張していた・・・
さらに教会二世の会の小嶌希晶代表(30)は「信仰心からささげる献金を脅されてやったと勝手に位置付けている。教授としての議論は個人の自由だが、(最高裁判事になって)中立公正であるべき立場で審理するのは、あってはならない」と述べた。 同席した教団代理人の中山達樹弁護士は「国民の信頼が裁判の本質だ。国民から公正と見えるか、中立と思われるかどうか大事だ」と述べ、過去の言動を見る限り、沖野判事に予断がある可能性があると指摘した・・・・・・
翌朝、県境に15キロと近い町に愛車で出かけた。曇り空だったが雨は落ちてこなかった。15、6年前の梅雨期の様な空模様と蒸し暑さを感じる。だがまだ5月だった。
町の中心部をぬけ町役場やショピングセンターや旧道の町並みを走り、モダンな造りの小学校の下の通学路から山間に住宅が並んいた。
車1台が通る坂道を登ると右手に広い庭に直径30センチ長さ50センチ位の樹木の丸木山積みされた家に着いた。
「刀鍛冶の作業所を見学下したい」という京助の申し出に心よく応じてくれた刀剣鍛冶屋さんだった。
母屋に挨拶に行く。
若い人が出てきた。京助は刀剣会場で刀剣師と一度有っただけだった。京助が用件を告げると「兄は作業場です」と玄関戸を開け、山積みされた丸太の先の建物を指さした。
応対してくれたのは弟さんだとわかった。
建物の戸の中から顔が見えた。入口の上には紙垂(しで)が付いたしめ縄が有った。
まず正面には炉と炉に風を送る装置、その横に大きなベルトがついた機械。熱された玉鋼を叩いて鍛える機械だった。大きなハンマーを振り上げて二人係で作業するより効率的になった事もあるが「叩きぐわいの微妙な加減はやはり人での方が優れている」
と語る刀匠。
「今度の講演会の準備しているところでしてね。ちょっと色々と並んでいます」
刀匠は土間の汚れが靴底に付着することを気遣ってくれてスリッパを持ってきながら室中に案内してくれた。
傍の台の上には鉄製の棒の先は鉄製の長方形の台座の器具が置かれ、台座の上には折り曲げた粗鉄が重ねられていた。
京助が広島城の天守閣で見た用具と同じモノだった。
台の上には短刀に黒塗りの土が塗られたモノもあった。
「これは刀に刀文を入れる工程の説明するために造ったものです」と言った。広島城の刀剣鑑賞ブースの中の説明文には『土置き・・刃身に刃土と呼ばれる粘土状の土を塗ります。土の有無、厚さにより、焼き入れた段階で刃文があらわれます‥』と有った。この刃文は個人を特定し、また流派を特定し、また製造場所や時代を特定する有力な情報源にもなり、刀剣自身の履歴ともいえるらしいことも京助は知った。
さらに名古屋刀剣博物館/名古屋刀剣ワールドには『刃文には焼き入れによって生じる沸(にえ)、匂(におい)があり、これは秋の夜空に輝く星のようにきらきらと見えるものが沸、またかすんだ天の川を望むように見えるものを匂などと言われ、これは刀工の美意識の集約とも言えます。 刃中の沸の多い作風を「沸出来(にえでき)」と言い、主として鎌倉初期の作刀や相州物(そうしゅうもの)の系統に見られます』とあった。
京助は人の手による美、地金の持つ自然の美・・・が一体化した日本刀…自然と人間が創造した美の作品・・・
人を引き付ける源泉だと感じた。
帰り際、ドアの敷居を跨ぐ際に、刀匠は「隣が父が造った木炭製造窯が有りますが見てみます?」と言って木戸の扉を開けた。
京助の目の前に大きな土窯が有った。
京助の記憶のドアが開いた。
昭和30年代。京助が小学校時代、秋から冬の季節。父親と冬場の4カ月間の唯一の暖房設備である炬燵の燃料にする木炭の製造する期間だった。樹木の茂った山林のすぐ近くで住居からさほど遠くない場所の山に向かう斜面地をスコップで堀り起こし、平地にし木炭製造窯の準備が始まった。山肌を切り開き窯本体になる内側に1メートル位に切りそろえた樹木の幹を並べる。その上に稲ワラで編んだコモを敷く。その上に粘土質の土を置き木製のハンマーや槌で叩いて固める。窯の天井になる部分だ。窯の入り口周辺も土壁で固め火入れする口は鉄の扉で固める。この出来上がった窯に火入れして数日間燃やし土の天井や入口の土壁を乾燥させる。中の樹木は木炭として利用するよりは乾燥のための燃料となるものだった。出来上がった木炭製造土窯が本格的に稼働し始めるのは2回目以降だった。
京助は窯造り、そして2回目以降の1週間以上の本格的木炭製造の時間を父親と共にした。
時には木枯らしが吹き、時には霙がふり、時には小雪が舞う。貴重な実体験をした。身体に浸み込んだ思い出だった・・・。
『山懐の谷間から産出した砂鉄から、玉鋼になり、木炭の熱エネルギ-と鉄のハンマーで何度も叩かれ、折り曲げれられさらに叩かれ鍛えられてゆく。
柔らかい鉄を包み込む強靭な刀身。そして数種類の砥石を使った砥師の技で仕上がってゆく。この美しい刀身から醸し出す美の極致を考えながら、”滲みでる美のような一生を持って生き果ててみたい”』橘京助は思った。
5月最後の日曜日だった。友人Mから電話だった。最高裁判所に向けての家庭連合の取り組みに熱い期待を送っていたMだった。「橘君!俺は今、目覚めたよ。今日の会長の講話は色々と考えさせられたね。ころまで色々と我が家庭連合は非難されてきたがね。最初は安部暗殺事件で政治家と家庭連合と関わりを有る事も無い事も並べたてツッツキ廻しして非難した。これが安部派をターゲットにして攻撃し成功する。次の段階はスパイ防止法を取り上げ長年我々が活動してきた実績も攻撃し、今度は勝共活動も宗教活動の一環として攻撃されてきた。そして今年3月の「解散命令」で勝ち取ると次は存在すること自体悪であるという段階まで進みゆきつつある。新たな杞憂が生じ始めたね。
今回の”沖野真已裁判官を外すよう求めた教団側の忌避申し立て”の結論に至っては即『却下』という判決。3月の統一教会解散命令時、憲法で保障されている信仰の自由は守られるため、今後も教義を信じたり、個人的に礼拝や布教を行ったりすることは制限されません・・・と言う内容も問題し踏み込んだ論点まで及ぶ可能性まで拡がりを見せているように思うようになったね。
俺はそうした外圧に曲がることなく『愛天、愛人、愛国』の教えを『為に生きる精神』実践された教祖と女性連合の総裁の夫婦を見習って、残りの人生を歩いて行く覚悟を固めたね」と言って結んだ。
京助は今朝読んだメーセジの文面を反芻した。
明日から6月。
『・・・私たちの摂理を振り返れば、神様は常に苦難の場で新たな摂理を始められました。
人間の目には困難のように見えても、信仰の目で見ればその中に天の御旨が準備され、新たな道が開かれてきたのです。人類歴史6000年間、忍耐して待ち続けてこられた天の父母様の心情を思うと、今私たちが経験しているこの困難も、結局は天の御旨を成し遂げていく過程の中にあるという信仰を持つようになります。・・・・』
~次回に続く