連休が過ぎて1週間が過ぎた。長男の交通事故は保険会社との交渉が進んでいるようでそれ以上は聞かない事にした。
身内として心配では有るが当事者ではないので此方から聞くことはしない事にした。
そんなこんなで日々が過ぎていった。このところ、日毎に太陽光線の強さで目がチカチカ痛むようで仕方なくサングラスを使用し始めた。
橘京助は秘密の場所、アジトに出向いた。何時の日か決断しなければならない事だったが中々次の行動が起らなかった。
それはこの家の処分を何時するか?他人に譲り渡すか?売りに出すか?取り壊すか?
いずれか方向性を今年中にしようと正月来た時、決意した。
思いたったが吉日で正月明けに業者に依頼の電話を入れ、下見の日時を決めておいた。
業者が指定した日時に合わせて出かけた。
年末から年始にかけて統一教会解散命令が下る前、近辺に住む教会員の友たちとの集まりが懐かしく思い出されてきた。
戦後すぐ生まれた団塊の1期生たちだった。
現代っ子たちには信じられないような生活体験を共有していた。山間部など江戸時代がそのまま続いていた。互助の心で繋がった人間関係、農作業のための黒毛牛と同居の家屋、山鳥の雉、川魚のタンパク源と前庭の先にあった畑で採れた季節野菜が食材だった日々。夜のオネショで黄色く変色した敷布団。寒風に混じった粉雪が天井板の隙間から夜具の襟元に零れ落ちて白く凍っていた大寒の頃の日々・・・。戦後すぐの昭和22、23、24年生まれの時代兄弟だった。
家を処分しようと決意すると様々な迷いが起ってきた。
誰かに譲るには過疎地で人がいない。集落の人口は年ごとに減少、山越えしてまで借りる人はいない。売却するには購入者のメリットを見つける利点は限られている。
中国山地の山の中という交通不便な処で緊急時の医療所もなく日常生活に必要な品物を買出す店も無い地域。公共交通機関を頼りにするには停留所まで距離があった。
これら全てを“喜”として移住したい人がいるか?
京助は車の運転が不可能に成った時、この“アジト”が辿る姿は目に見えている。
廃屋で崩れ落ちた屋根、草が巻き付いてた土壁、破れたガラス戸の玄関、天井が落ちた部屋、畳を突き破っているタケノコ。
この家で義理の姉と次女である妻が高校卒業まで過ごした青春時代。日本列島がまだ貧しく洗濯は手洗い、トイレはポチッチャン便所、飲水は近くの山陰からの湧き水をバケツで運こび、風呂釜や台所の火力源は山から切出した丸木をノコギリで切断しナタで小割りした時代。
今から55年ほど前の田舎の生活。母屋は大工だった妻の父がほぼ手造りだった。
30年ほど前、天井に張り巡らせである電線を新しいビニール電線に取り換え、歩くと沈む床板を京助は自前で修理した。
天井に上がり柱の上を見た時ギョッとした。暗闇の先に懐中電灯の光に浮かび上がった“真っ白モノ”
・・・幽霊!違った。今ても新築の時に行う『棟上げ式』の神事で使った真っ白い紙を短冊にした御幣だった。
床板を剥がした時だった。石と粘土で固めた1.5四方の蔵・・・お墓!違った。妻が高校生まで使っていたと言っていた囲炉裏が原型を残していた。
妻と姉の幼少から青春時代まで。貧しくても5本の指で手作りで生き抜いてきた大正生まれの両親に囲まれ、守られた家。
ほぼ戦争時局から続いていた時代の嵐と荒波のなかを生きて生き抜いてきた両親の城。。
数日後
解体業者から見積もり金額が来た。
建物解体工事費
解体養生足場費
産業廃棄物 運搬・処分費
一般廃棄物 運搬・処分費
重機費
燃料・消耗品
最も大きな費用は木材、瓦ガラス陶器、がれき、廃プラ、コンクリート、畳などの産廃処分費だった。
落雷で自然発火による山火事の火災被害で全焼になるか・・最近ニュースになる線状降水帯に襲われて豪雨と濁流で流されるか・・・京助は“この家”の最も良き『終活は何か?・・・』思いめぐらした。
妻と出会わなかったならこの場所でこんな思いを持つことも無かったろうに。
何の因果か知らないが、出会った故の運命と思って、感謝の心を込めて“締め切ろう”と改めて決意した。
(鳥取県民謡・貝がら節)
何の因果で 貝殻漕ぎなろうた
カワイヤノー カワイヤノー
色は黒うなる 身はやせる
ヤサ ホーエーヤ ホーエヤエーエ
ヨイヤサノサッサ
ヤンサノエーエ ヨイヤサノサッサ
2.浜村沖から 貝殻がまねく
かか(女房)よまま(飯)たけ 出にゃならぬ
3.戻る舟路にゃ 櫓櫂(ろかい)がいさむ
いとし妻子が まつほどに
4.小さい時から 貝殻漕ぎなろうて
今じゃ舵とり とも櫓(ろ)とり
5.海は荒波 浜村そだち
男度胸なら ひけとらぬ
6.忘れられよか 情もあつい
あの娘浜村 お湯そだち
♬~
~次回に続く