小説 共鳴太鼓 光と闇、希望と絶望を和太鼓の音で表現する妙味!  (22) | 小説 豊饒の大地 第3部 こころ 

小説 豊饒の大地 第3部 こころ 

第3部 こころ 75歳になった男が孫娘との関わりで発見する天の役事
第2部 共鳴太鼓 未来を背負う若き世代の物語
第1部 やまぶきの花 戦後まもなく生まれた男が生きた昭和、平成、令和の物語。

  

これまでのあらすじ

学園創立110周年記念に開催される文化祭に和太鼓チームは演目「イエス・キリスト」を演じる。練習にかける部員の情熱が美術部も作品創りに参加したいという意欲をかりたてた。

 

 全員の賛成で美術部の提案は了承された。

 美術部の部長田辺守人が「自分の目と耳で太鼓の演技を見てみたい」と言った希望は翌日に実現した。「2部の演者全員ではないが大太鼓の対面打ちの表の演者光永誠と裏打ちの演者小川清、イエス・キリストを現す中太鼓横山優斗の3人が繰り広げる競演のシーンです。最も迫力ある3人の演舞、太鼓の音を聞いて下さい」上村佑子は窓際の椅子を並べた席に腰かけて横にいる田辺守人に言った。

 「まだ、練習段階ですから演者の呼吸が合わないところが多くありますから差し引いて聞いて下さい」

 大太鼓の表側に立った光永がゆっくりバチを振り下ろす。それに答えるように中太鼓が鳴り響いく。中太鼓の演者は副部長の横山優斗だった。大太鼓が小刻みなリズムに変化してゆく。中太鼓がもう1台加わる。3台の太鼓の連打。此に合わせてもう1つの中太鼓と1台の太鼓を2人で打つ中太鼓が3台。狭い教室に太鼓の音が呼吸を合わせて打ち鳴らされていった。

 佑子が隣の田辺に「イエスの誕生の場面、大衆のなかでイエスと洗礼ヨハネの二人の心が一致している場面を表現しているの」

 田辺は黙ったままだった。

 光永が打ち続ける大太鼓の裏側に2年生の小川清が登場して光永と同じリズムで打ち始める。「大太鼓の裏側を打つ小川清はイエスに反対する勢力の元締め」佑子が付け加えた。

 光永とリズムを合わせながら打ち続けていたメンバーの音が少し小さくなった時、大太鼓の裏側の小川清のリズムが変化して、たんだんと大きくなってゆく。それに呼応するように中太鼓の演者が小川清のリズムに合わせ始める。

「イエスと洗礼ヨハネが互いに反発しあう場面が始まったの」佑子が解説した。

洗礼ヨハネを現す中太鼓の演者は3年生の町田芳樹だった。

小川の打つテンポが早くなってゆくと光永のグループから抜けた町田芳樹の中太鼓が加わってゆく。

 小川が打つリズムと光永の打つリズムが交互に繰り返されてゆく。小川、町田の打つリズムに中太鼓がさらにもう一台加わり光永と小川のグループによる二大陣営の太鼓打ち。戦場の鬩ぎ合いを彷彿させる太鼓合戦の音だった。

 光永のグループからさらに離脱者が増え小川のグループに加わってゆく。

 佑子が「イエスキリスの弟子たちが1人去り2人去り。最後は誓ったペテロまで去ってゆく場面」

 今まで黙って聞いていた田辺守人が「最後はゲッセマネの祈りの場面ですね」目は演舞するイエスキリス役の横山優斗のバチさばきをじっと見ていた。

 

 小川清一団の太鼓音が、光永の大太鼓にただ一人呼応していた横山優斗の太鼓音を飲みつくす。

 

 最後は小川清が大太鼓の裏側で打ち続ける音が続く。

 

 「これが私たちたち和太鼓クラブの1部2部3部のなかの山場でもある2部のイエスの磔の刑の前と刑の執行の場面です。一言感想を言ってもらえませんか?」佑子が尋ねると田辺は「和太鼓でイエスの最後場面を表現するために構成、譜面、演者の役割を細かく考えて出来上がっていて太鼓のやり取り、演者の駆け引きで臨場感があり、この部室で見ているだけでも心を動かされるものがありました」

 

 「美術部にはイエスの刑が執行された時、黒雲が覆い周辺が暗くなり、イエスが絶命すると聖所の幕が縦に裂けたという場面をお願いしたいと思っています。それでなお余力がありましたら最初の天地創造の人間が造りあげられた時とエデン園からの追放の場面ですね」

 

 「天地創造の場面は努力してみますが今の時点では何ともいえませんね」

 田辺の顔からすでに何かを構想しているのを佑子は感じた。

「そうそう。2部の場面での大きな画はイエスの刑が執行された時に大きな画が縦に裂けたら観客にもっと訴えるでしょうね」と佑子は美術部の田辺部長に言ってみた。

田辺は「それも考えてみましょう」と言った。

 

  翌週の月曜日の昼休憩から隣の美術部に部員が集まって会合が開かれているのがわかった。2日後、田辺がデザイン帳を片手に佑子を訪ねてきた。

 「部員たちのアイデアから三枚ほど素描ですけど書いてみました」と言って一枚づつ拡げて見せた。

 「イエスの裁判の模様を描くと誕生の場が遊離した話になってしまうし。誕生の場面を描くと、イエスが裁判から磔の刑と進んでいってしまい、運命に翻弄された人となってしまって和太鼓クラブが表現しようとする作品と違う内容になってしまうことに気がつきました」続けて「2部の最初から終わりまで掲げられても納得の画となると神に信頼され救世主になることを願われているイエス像を描くしかないと気がつきました。それがこの絵です。”上部に明るい分が神の存在、そこから降り注いてくる光線。それを受けて輝く1人の若者。光に向かって大きく両手を拡げている。顔は希望に満ち前進しようとする”。それがこの絵です。最後の刑場で息を引き取る時、神殿の幕が下に向かって裂けた。という場面は前もって上部に細工をしておいて両サイドからヒモを強く引いて二つ裂くことにしようと思っています」と言ってデザイン帳の素描を見せた。

 絵をみた瞬間、佑子の脳裏に次の第3部の画のアイデアが浮かんだ。

『真っ暗闇の中、片端の2人打ちの1台の中太鼓がゆっくりしたリズムを奏で始める。時間が経過するにしたがって2台、3台、4台と増える。舞台の照明の明るさも増してくる。中太鼓に加え小太鼓がなり響いてゆく。最後の場面は大太鼓も加わり全員参加しての演奏となる。エンディングは全員参加の演武が続いているなか舞台の照明が段々と暗くなる。逆に2部にイエスの姿が描かれて吊るされていた白い幕の上部に丸い光の輪が現れ段々と明るくなってゆく。それに連れて舞台の太鼓演武者の顔がわかるまての明るさに復帰されてエンディングとなる。

 

 7月31日は暑い日だった。明日から8月。瞬く間に7月が終わった。運動部の対外試合も終盤になって、3年生は模試や過去問題など本格的受験に進み始める。

 和太鼓クラブも1部、2部、3部ごとに分かれての練習計画は2年生が主体になって1年生の部員の技能向上に重点がおかれた。

 実際各部でも全員揃っての練習は望めなく映像や音の録画や録音などが練習の大きな助けとなった。

 続 <毎週土曜日掲載予定>