前を行くルフェランが立ち止まった。
 ヨウスが考えながら歩いていると、いつの間にかルフェランたちの寮室まで来たようだ。

 今朝、トルクにしがみつかれていた扉が口を開けている。
 そして、トルクはいない。
「だから、扉は閉めろって!」
 がー、とルフェランは叫び声を上げ、何処かへ走り去ってしまった。

「訓練場に行ったんだろう。
 トルクさんもそこだ」
 ランスの言葉に納得したが、
「……止めなくて、いいのか?」
 きっとルフェランは殴りに行っただろう。

 ランスは器用に片眉を上げ、ふん、と笑う。
「今俺が行っても巻き込まれるだけだ。
 終ったころに引き取りに行く」
「…………」
 どっちをだろうか?
 今にわかるので訊かずにおこう。



「クォーズは、今から何を?」
「いや、トルクに用があったんだけど……」
 今行けば巻き込まれること間違いない。
「ヤーフェ講師のところに行くよ」
「できたのか、例の?」
 ヨウスが頷くと、ランスは同行を申し出てきた。

「忙しいだろ?
 一人で大丈夫だ」
「……クォーズ」
 ランスの手がヨウスの肩を叩く。
「あのヤーフェ講師と一人で会わせるわけにはいかない」
「…………」
 いつの間にかヤーフェ講師は要注意人物になっていた。

 一旦、ヨウスの寮室から依頼の本と出来上がった本を持ち出し、本館へ戻った。
 教室ではまだ発表が続けられているのか、学生の往来が多い。
 柱にしがみついて泣くものが多いのは、もしかして恒例なのだろうか。

「あぁ、クォーズ。
 合格おめでとう」
 ランスは前を見たまま棒読みで言った。
「次は何を?」
「あー……来季の初級で、文学を」
「問題ないな」
「…………」
 それは、期待されているということだろうか。

「結局は何を目指す?」
「いや……まだ、特に」
「今のうちに決めておかないと、せっかく取った資格も役立たずになる」

「みんな、決めているのか?」
「男はほぼ目的がある。
 女生徒の大半は花嫁修行と婿探しだ」
「婿探し?」
「学舎に入れるほどの頭と金を持った男を探してな」
「…………」

「別にみんなってわけじゃないわよ」
 二人の背中に向かって声がかかった。
 ルリだ。
 その後ろには、友人らしき女生徒が数名、距離を置いてこちらを見ている。

「ちなみにあたしは父の跡を継ぐためよ」
 立ち止まったランスが口を開く。
「ついでにティスを掴まえたわけか」
 ルリの唇がムッと尖る。

「つ、掴まえたって……まだよ」
「まだ元彼女か」
「!」
 二人は睨み合った。
 廊下の真ん中では邪魔だろうと思ったが、二人の火花が飛んでくるようで、迂闊に声をかけられなかった。

「…………。
 先、行ってるから」
 一応断って、火花から退散する。

 事務所までもうすぐのところで、待っていたかのようにヤーフェ講師が出てきた。
「おや、クォーズ君」
 相変わらずの鳥頭鳥髭講師は、片手にパンを持ち、パン屑を髭に付けていた。
 指摘するべきだろうか?
「…………」
 やめておこう。

「依頼の翻訳が終わりました」
 何食わぬ顔でヨウスは二冊の本を差し出す。
 ヤーフェ講師はそれをギュッと抱き締めた。
「あぁ! ありがとうクォーズ君!
 君が女神様に見えるよ!」
 いええ男です、と言おうかと思ったが、ヤーフェ講師に手を握られ、ギョッとした。

「今度お礼をするよ!」
 掴まれた手を勢いよく上下される。
「いえ、別に」
「甘いものがいいかな?
 女の子は甘いものがホント好きだね!」
「いえ、おとこ」

「カルカモットの焼き菓子が今人気らしいね。
 今度並んで来ようかな。
 一デルくらいでいいかな?」
 大人買いして誰が食べるというのだろうか。
 茶会が開ける。
 驚きから抜け出せない本人を置き去りに、周囲は大いに盛り上がった。
 何せヨウスは、入舎二季目にして中級試験に受かったのだ。
 東寮生たちの喜びようは、ティセットが中等生に上ったときほどもあった。

 まさに、あの時の再現だ。

 ただ、当人はヨウスなので、肩を叩かれても、強引に握手をされても無反応。
 話しかけられても応えられず、どさくさに紛れた女生徒に触られまくっている。
 少しかわいそうだとルフェランは思ったが、喜ばしいことなので放っておいた。

 話は広まり、学生たちが詰めかけ、ヨウスは教室の入口で立ち往生した。
 ヨウスの次に結果を受けた生徒は不合格だったようだが、その後ろで自棄気味に声を上げる。



 興奮に床が揺れた。
 その時だった。
「鎮まれ!」
 恫喝の一声。

 シン、と場が鎮まり、緊張が広がる。
 あれほどの興奮が一瞬にして消えた。
 コソリともしなくなったのが不気味なほどに。

 人波が動きだす。
 波は徐々にルフェランたちに近付いてくる。
 ヨウスを背に隠すのが癖になっていたルフェランは、無意識に一歩動いた。
 嫌な予感がした。

 波の向こうから一人の青年が現われた。
「何事だ、これは?」
 青年は明らかに、ルフェランを見ている。
 その制服は白色。
 逆らってはいけない相手だ。

「…………」
 何と答えようか考えながらルフェランが口を開いた時。

「これは、シーラット様」

 ルフェランの肩に触れるか触れないかほどの近さに、東寮長ランスが現われた。
「ランス……」
「申し訳ありません。
 東寮のものが、お耳を騒がせてしまいました。
 本日は試験の発表がありまして、仲間の健闘を祝っていたところです」

 ランスの答えに、青年――シーラット侯爵家のエンドリクスは鼻で笑った。
「庶民は仲が良いな」
「唯一の取り柄ですので」

 ランスは行儀良く、侯爵家の息子の靴を見ていた。
 けっして、身分のある相手の顔をマジマジと見てはならない。
 不敬に当たるからだ。
 それでなくても、シーラット家の息子は要注意人物だと誰もが知っている。



 緊張の幕が張られた。
 それを破ったのは、一人の少女の声だった。
「エンドリクス様」
 呼ばれた青年が振り返ると、白い制服の少女が人波の間から歩いて来るところだった。
「…………」

「迎えに来てくださったのですね。
 恐縮ですわ」
 周囲の重い空気など気付きもしないというふうに、青い瞳をエンドリクスに向けて微笑ませる。
 おもわず、誰もが見惚れた。

 その容姿は、学舎本館に堂々と飾られた大絵姿の人と瓜二つ。
 帝国の花、ウェデルク皇帝が額縁から抜け出して現れたようだ。

 次期五大貴族の婚約者。
 エザル子爵家のセーラアンナ嬢。

「セーラアンナか」
「わたくし、合格していましたの」
 何も知らない少女のように微笑む。
「お祝いに、スカル酒をいただきませんか?」
 侯爵子息は鼻を鳴らして笑い、少女の腕を掴んで歩きだした。

 二人は一度も振り返らなかった。

 ルフェランはその小さな背を、じっと見ていた。
 痛みを堪えながら。


   *  *


 すっかり無口になったルフェランの後ろをヨウスは歩いた。
 その横に、東寮長のランスか並ぶ。

 ランスがいてくれると、ヨウスに声をかけてくる学生が少なくなる。
 本人もわかっていて、おデコ殴打事件(ルフェラン命名)から以降は、近くにいるようになったのだろう。

 なんだか、お姫様扱いだ。
 思うたび腰が引ける。

 子どものころは訂正しても男と信じてもらえなかった。
 この歳になってようやく、十人に一人は初対面でも間違われなくなった。
 男だと訂正すれば信じてもらえるようになった。

 大きな進歩だと思う。
 たまたま同室になったやつがこんなに手間のかかるやつだなんて、運が悪い。
 悪いことついでに相手はルフェランよりも大柄で、武科の生徒でもある。
 文科の細腕にはかなりの重荷だ。

「オレはもうダメだー!」
「おまえはいつもダメダメだ!」
「はうっ!」
 ルフェランのきつい一言が効けたようだ。
 扉からズルズルと落ち、床に座り込んでしまった。
 こうなるともう、梃子でも動かない。

 扉にしがみついてシクシクと泣き出すトルク。
 ルフェランは盛大な溜め息をつき、周りの見物人たちをひと睨みする。
 と、その中に、友人の姿を見つけた。
「おはよう、ヨウス」
「……おはよう」

 若干、頬を引きつらせたヨウスは、野次馬の視線に耐えながら近付いてきた。
「どうしたんだ?
 気分でも悪いのか?」
「でっかい王子様はご機嫌斜めなだけだよ。
 試験の結果を知りたくなくてね」
「……?」

 ヨウスにとっては不思議なことだろう。
 これが初めての合格発表で、喜んだり落ち込んだことがないのだ。
 トルクのように落ち続けるのも珍しいが、合否を気にせず結果だけを純粋に求めるのも珍しいかもしれない。

「でっかいのは置いて、ヨウスの見に行こう」
「いいのか?」
 あれはそのままで、とヨウスが指差す駄々っ子など無視し、二人で教室へと急いだ。



 教室では、すでに発表が始まっているようだ。
 いつも授業を受けている教室の前には人だかりができ、草原を掻き分けるように進むしかない。

「おい、クォーズが来たぜ」
 小さくない声が小波のように広がる。
 有望されていたティセットの元同室生で、その容姿からも注目を集めていたヨウス。
 いつものように長い前髪が表情を半分隠しているが、こうなったら隠しても意味がない。

「受かったのか?」
「ちょっと、どれよ!」
「今からだろ?」
「おい、まだか!?」
 ヨウスが人込みを嫌う気持ちがわかった。
 目立ち過ぎると居心地が悪い。

 やっと教室の前にたどり着く。
 ヨウスに「がんばれ」と呟いて、その背中を押す。
 試験を受けた生徒たちの群れの端まで歩くと、さっそく声をかけられていた。



 試験当日から預けていた学生証の裏に、学科と等級が焼き印されていれば合格。
 変わった箇所がなければ不合格となる。

 すでに合否を受け取った生徒はそれぞれの反応を示していた。
 友人たちと喜ぶものもいれば、廊下の隅に座り込んでいるものもいる。
 合格した生徒は、何度も焼き印を撫で、あるいは頬刷りしていた。

 教壇に立つ講師が名前を呼んでいく。
 一人減り、泣き。
 また一人減り、座り込む。
 さらに一人減り、走り去って行く。
 どうやら今回は難しかったらしい。

 後半になって呼ばれたヨウスは、学生証を返す講師に肩を叩かれ、二・三、何かを話したようだ。
 ルフェランのところに戻ってくるヨウスの表情は相変わらずで、どっちなのかわかりにくい。

「どうだった?」
 あ、とヨウスは気付いて、戻ってきた学生証を裏返した。
「……合格、みたいだ」
「合格だって!」
 わっ、と声が上った。

 突然の歓声に、ヨウスは口をぽかんと開いて立ち尽くす。
 何が起きたのかわからないのだろう。
 きっと、ヨウスに説明したところで理解できないことだ。

 それよりもルフェランは、我がことのような嬉しさが込み上げてきた。
「ヨウス、おめでとう!」